「屏風と掛け軸ー大画面の魅力・多幅対の愉しみー 」 松岡美術館
後期1(日記)の続きです
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一つ目の部屋には屏風。
野田九浦(1879~1971)「妙高山」
激しい絵を描く人だと思う。洋画のようなタッチの荒い樹の幹。そびえる山が眼下に見える。強い風が吹きぬけ、崖ギリギリに立つ足がすくむ。これを爽快に感じる人もいるかもしれない。豪胆で山男のような世界でもある。左隻に一輪の山百合が風にふかれながらも咲いているのも、ほのぼのというよりも、しっかりと潔い感じ。
大村智先生所蔵の「芭蕉」の静かな佇まいで九浦にひかれて以来、九浦に出会えるのを楽しみにしているけれど、出会うのは激しい絵ばかり。昨年東京近代美術館で見た日蓮もそう。この先はどういう絵に出会うだろう。九浦は、寺崎廣業に師事し、東京美術学校日本学科に入学するも、二年で退学。白馬会で洋画を、正岡子規に俳句を学んだそう。
円山応挙「菊図」
松花堂昭乗の「一本菊」を応挙が模写した。ただし、前期に掛けられていた昭乗の「菊図」とは別の図を模写したものだそう。花の向きが反対で、花びらもちょっと違う。昭乗の菊は、菊が入ってくるのを花器が待っているようだったけれども、応挙のこれは今まさに花器から菊が飛び出してしまったよう。今回も、ちょうどいいところに花器が置かれている。
この床の間は、大正時代に建てられた旧松岡清次郎邸から移築されたそう。旧邸の写真を見ると、松岡美術館は洋風建築だけれど、門構えの様子や松の枝のかかり具合に旧邸の面影を宿している。
右側の屏風は、前期に右隻が展示されていた、荒木十畝「春秋花鳥図」1826 の左隻。
鶏の鶏冠、葉鶏頭(鶏頭は中国では鶏冠花という)とで、「官上加官」つまり出世の意味が込められているそう。個人的には、茄子が食べごろに実っているのに意識が向いてしまい、昨年末に見た、観山の唐茄子や古径の茄子(日記)を思い出す。実ものの絵はやっぱりおいしそう楽しい。茄子の花のほうも、多くの日本画家が僕も描いてみようかなと思うのもわかる気がする。
この屏風、一双そろってみたら、また違った全体の動きが感じられたのでは。
雲谷等益「山水図」1618
時空の切れ目みたいな岩といい、雪舟っぽい。
解説には:等益は、雲谷等顔の次男。等顔は毛利輝元に仕え、雪舟の雲谷庵と雪舟の「山水長巻」を拝領し、雪舟正統を称して雲谷を号とした。この画が描かれた年に等願は亡くなる。等益は早世した兄の代わりに若くして父の後を継ぎ、実子と兄の遺児を絵師として育て上げ、雲谷派の工房体制を整えた。
これは27歳頃の作。木の根元など細部に力がみなぎるというほどでもないけれど、若くして一門を率い、体制を盤石なものにするところは狩野元信のよう。
西村五雲(1877~1938)「老松遊鶴図」は、特に心に残った作の一つ。
鶴の屏風はよくあるけれど、鶴単体の躍動感、肉感に驚き。琳派や加山又造の鶴は、「群れ」として流れるような優美さを求められるけれど、五雲の鶴は、個に迫っている。
右隻の鶴は、地面を走ろうとしている!。走るのはダチョウで、鶴は舞うものだと思いこんでいたけれど。
鶴のお腹のたっぷりとした肉づき。そして重さ。鶴は、吉祥のアイコンである前に、動物。大型鳥だったのだ。
目の輝き。そしてちっとも優美じゃない、あるがままのポーズ。
鶴も松も薄い彩色、さらっとした筆。そして松と鶴以外、何も描きこまれない。なのに、このおおきな屏風の”間がもつ”のがすごい。スカスカな感じなど全くしない。余白に、しんと耳をすましてしまう。すると、空間に響く鶴の鳴き声が。
これまで五雲の動物は、師の竹内栖鳳と並んで展示されたのを見る機会が多く、”栖鳳のほうが一枚うわてかな”などと恐ろしくも素人のたわごとを申していたけれど、五雲の独自の世界にひかれてしまった。
五雲は、岸竹堂、栖鳳を師とし、1912年より主催する西村五雲塾(1933年に西村五雲塾晨鳥社と改名)で山口華楊(当時12歳!)らを指導した。 1923年には京都市立絵画学校の教授となる。画塾は38年五雲亡き後も華楊らに引き継がれ、晨鳥舎となる。華楊が動物をあんなに心あるものとして描く、その原点なのかも。
池上秀畝「巨波群鵜図」1932 58歳 秀畝は荒木寛畝の最初の弟子。上記の荒木十畝とは兄弟弟子。
右隻の、狩野派のような圧倒的な重量の岩。松の青々と精緻なこと。波が激しく打ち寄せる砂浜は金に輝いている。
波は左隻の沖合へと返す。下の海がどんなに激しくうねり、波が岩に打ち付けしぶきを飛び散らせていても、ものともせず飛べる鵜が不思議なほど。
海のエネルギーと鵜の浮遊感にくらり。右隻の眼前の岩から始まり、波打ち際から沖合へ、さいご左隻の末には大海原へと、海はどんどんはるかに遠くなっていく。
大きな屏風の部屋の最後には、現代の屏風、大森運夫(1917~2016)の二作
大森運夫「伝承・浄夜 毛越寺」1981 平泉の毛越寺で1月20日に行われる二十日夜祭りの「延年の舞い」。「老女」と「若女」の二つの演目が、かがり火でつながっている。
手を合わす人々のしっかりとぶこつな指。炎に浮かび上がった人々の顔はとても安らかに見えて、ここは聖なる空間のよう。
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二つ目の部屋は、掛け軸。
応挙が3点。どれもとてもお気に入り。ここにも鶴がいる
円山応挙「老松日の出図」1787年 54歳
三幅で、大きな富士山の稜線のようなラインを描いている。右の鶴の足元にはヒナが元気そう。ばさばさっと羽音を立てそうな左の鶴の足元には松の若木。さささっと描いているけれど、肩肘張らなくて、しかも温和でいいなあ。それでいて鶴の足の節など、ぎくっとするほど写実的。
円山応挙「人物に竹」1791 このおじさんが誰だったか、解説を見忘れてしまったけれど、とってもおもしろい。
右幅では風が吹いて、竹は外へと飛ばされている。おじさんがなにやら唱えたか?この指で止めたか?、すると左幅では風がぴたっとやんでいる。右幅の竹は細く、左幅はしっかりとした太い竹。
細部は見れば見るほど、応挙の筆の細密さと冴え。おじさんのもしゃもしゃの髪の毛。葉も、竹のすっとした硬質さも、節まで美しい。
(きっと偉人なのだろう。知らなくてごめんね。)
きれいな彩色だなあ。少ししなびた葉も、青い葉も、応挙は葉先まで気を抜かず描いている。見飽きないほど美しかった。
円山応挙「鶏狗子図」1787年 今年タイムリーに、鶏から犬へ引継ぎ?
鶏は格調高く、鋭い目線。両親そろってひよこの教育中?。ひよこまでも、きりっとしている。親子そろって、武士の家っぽいのだ。
鶏のふわりとした毛並みは細密に描かれている。ひよこも一本一本、筆をいれている。
対して、子犬たちは、ころんころんの天真爛漫。ぽってりとした線でかわいさ満開。こちらは幼稚園児の遊びの時間みたい。
みやこわすれは青と白のつけたてで描かれているようで美しいし、つぼみはかわいらしい。真っ先にお友達と行っちゃう元気な子も、ついてけなくて遅れちゃう子もいるところ、やっぱり幼稚園みたい。
狩野探幽「牡丹に雉、長尾」1666 65歳 絵師の最高位である法印に叙せられて4年後、晩年の作
雉と尾長と牡丹で作る柔らかな楕円、それもシャボン玉が宙で風に押されたよう時のように浮遊していて、地面に立っていながらも重力から自由になった感覚。
尾長のしっぽの美しいこと。黒と赤の量と分配が素敵で、雉は尾のところにコサージュのような赤い牡丹が特徴的。
探幽って、瀟洒で巧みで、やっぱり上手いんだなあと改めて思う。
下村観山が二点。
「山寺の春」1915 は一度見たことがあるけれども、こんなに随所に哀しさや寂寥感がそっと声を上げていたとは。以前より心に迫って見える。
義経と思しき人物は、こんなに悲しい顔をしていたのだった
行く末を暗示するようなものが随所に描かれていた
左幅から右幅の間には、時間の経過があるのだろうか。鞍馬を出て、31歳で自害するまで約14年。卒塔婆にふりかかる桜の花びらが優しすぎる
観山の「鷺」1919
一見優美だけれど、蓮はつぼみ、花の終わりをむかえつつあるもの、すっかり花びらを落としたもの、と命の各段階を見せている。
丁寧な描きぶりに見ほれてしまう。葉のやわらかなウエーブ。葉脈は、裏側はしっかり描き、表はうすく。微妙な陰影もつけている。
花の線描きも、白とピンクの花では違えている。
鷺は、食べようと捕まえた虫に巻き付かれて、困った顔。
観山の動物を見る目は優しいなあと思う。
野間記念館でひかれた、吉川霊華「寿星」も。観山や木村武山などが描いた寿星もみたことがあるけれど、霊華のは独特の高雅な雰囲気。故事の世界からそこに甦ったようだった。
最後に観山の師、橋本雅邦(1835~1908)も二点。
「龍虎図」 68~71歳の作だそう。
龍虎図といえば勇猛なのもいるけれど、この龍は静かに登場する。そのへんの勢いだけのやつにはない、抑えてもにじみ出る、名優のような貫禄。雲をまとっている。
一方、虎は光を受けるように顔を上げている。なんだか柔らかい感じ。
二頭はゆるやかな音のないダンスのように織りなしあう。
先日見た川合玉堂展、玉堂が雅邦に感銘を受け、キャリアを捨てて上京を決意したのは、1895年だった。雅邦が60歳の時。雅邦の父は、木挽町狩野の狩野養信の門下で、川越藩御用絵師の養邦。雅邦は11歳で狩野芳崖とともに狩野派に入門。塾頭となり、25歳で独立。廃藩置県により禄を失い苦渋の時代を送ったものの、47歳ごろから各展覧会で頭角を現し、1888年に東京美術学校の教授となる。
西洋画からも技法を取り入れ、かつ維新前は狩野派の絵師としてならした雅邦が描く日本の画題は、自由で魅力的。
欄間「藤図」1902も、自在に、のびやかな筆。 前期には日中の面が展示され、後期は裏返して、夜の情景。
前期の蔓は透けるように薄い墨で描かれていたけれど、今回の夜闇の中の蔓は濃い墨で。そして昼間の蔓は上へと光の中を伸びあがっていたが、夜の情景では下を向いて、眠りについているよう。
と思ったら、一すじの蔓が上へ。ひそやかな息遣い。これは表面の日中の蔓へとつながっているのかも。
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このあとは、陶磁器の部屋へ。明清の景徳鎮に、眼福眼福。気に入ったものを列挙。
明代
水草がかわいい
清代
明代の壺は図案的だったのが、清代になると絵画的傾向を強める、と解説に。
こうもりがかわいいぞ。
表裏合わせて、桃が8つ。
この壺のあっちこっちに、のどかな人たちが楼閣山水に遊んでいる。
ほんとに楽しそうなの。
松岡清次郎さんのコレクションには、ほっこりさせていただくものが多い。
松岡美術館は来る度、心なごみます。