2005年3月、リニューアルオープン直前の富士スピードウェイに入った時は「おぉ、日本にF1の新しい時代が来るねぇ」と大いに感心。その後曲折を経て(結果的に、ではあるが)鈴鹿と富士の交互開催になった際には「これが上手く定着してくれれば、ニッポンのF1はホントのホンモノになる!」と大いに期待したものです。その、僕が描いた「F1新時代」が来る前に「世間」が二世代くらい先に、というか思ってもいない方向に動いちゃった、或いは「場」そのもののあり方が変容しちゃった、ってコトなんだろうかねぇ。
リーマンショックに代表される「強欲資本主義」には全く賛同しかねるけど「経済のない一日はない」のは事実だし、「株価至上主義」には反対だけど自分が勤めるカイシャの株価は高くあってほしいのも率直な感情。シンプルで素朴なモノは珍重されるけど、便利で快適な生活は外せないのが今の世の中。そんな中にあって「最先端・最高」であると同時に「実現・継続可能」なフォーミュラ・ワンっていうのはどんな姿のモノなんだろう?
これは、我々観る側にも突きつけられた問題なのかもしれない。
う~~~む。
リーマンショックに代表される「強欲資本主義」には全く賛同しかねるけど「経済のない一日はない」のは事実だし、「株価至上主義」には反対だけど自分が勤めるカイシャの株価は高くあってほしいのも率直な感情。シンプルで素朴なモノは珍重されるけど、便利で快適な生活は外せないのが今の世の中。そんな中にあって「最先端・最高」であると同時に「実現・継続可能」なフォーミュラ・ワンっていうのはどんな姿のモノなんだろう?
これは、我々観る側にも突きつけられた問題なのかもしれない。
う~~~む。