オカンとワンコ

過去と他人は変えられない 自分と未来は変えられる

夏休みは

2022年07月27日 10時08分06秒 | むかし話
オジジか帰るまで玄関をウロウロしながら待つ桃惠です。
無事の帰宅を待ちます。
本音は朝のおやつ待ちですが、それは内緒です。
そしてここで朝寝です。
昨日から暑さが戻りましてね。
朝のうちは風が通るこの玄関先が過ごしやすいようですよ。


【画像】玄関で一眠りの桃惠


小学校の夏休みはいつもオカン母の実家で過ごしました。
小学校を卒業するまで従兄姉たちも一緒でした。
祖母や伯父夫婦は酪農と米作で忙しい。
朝早い乳搾りが終わってから朝ごはん。
その後は農作業にでかけてしまい、
昼ご飯に戻るまで子供は放ったらかし。
ご飯のあとはめいめいが好きなところに、
画像の桃惠のように冷たい場所を探して、
廊下や縁側に寝っ転がって昼寝です。

たまにバスが通るくらいで車は少ない。
近所の子どもに混じってラジオ体操をしたり、
川に仕切りをした水場で遊んだりと、
桃惠の寝姿を見て、楽しかった思い出がよみがえりました。


【画像】カメラを気にする桃惠




本日は七夕さま

2022年07月07日 09時27分21秒 | むかし話
たんぽぽさんが、神経の痛みを書いておられる。
オカンは舌痛症で常にピリピリした痛みを抱えているので、
たんぽぽさんの何十分の一だけど、
その痛みや不快感に共鳴します。

たんぽぽさんのもう一つのブログには七夕の歌の記事。

それを読んで思い出した七夕の日のことです。
長女が年長さんのときに肝炎を患いましてね。
医師に劇症肝炎かもしれないと言われて、でも幸いそうではなくてね。
三週間の入院生活を送りました。
容態が落ち着いて個室から3人部屋に移って七夕の日。
園では七夕さまのイベントがあるけど、もちろん参加できない。
売店から子供雑誌を買って切り抜いた飾りを
靴下を干すピンチハンガーに一緒に下げて楽しみました。

娘はその後、順調に健康を回復し、
今では四十路のスイカのおばさんです。
今週月曜日に集出荷が終わって選果場も閉まり、
今頃は一息ついてる頃。
ではなく次の作物の準備でしょうね。



因果は巡る

2022年03月08日 19時12分41秒 | むかし話
祖母は一人息子のオカン父に先立たれたあと、
兄が嫁取りして安心したのか、少しずつ認知症状が出てきた。
結婚式の三ヶ月後に亡くなったけど2ヶ月は寝たきりだった。
母が一人で介護していたから、カリカリしてたよね。
オカンも兄も手伝わなかったです。
一人でやってることにプライドを持ってたみたい。
ある日、祖母が変なことを口にすると母が愚痴をこぼしたときに兄がね、
「訂正したりせずにフンフンって聞いといてやればいい」と、
さもお気楽な言葉に母は傷ついたのよ。
一日中、側で世話しとるものにしか分からんわな!って。
だよね、分からんわ。
オカンも愚痴を聞いていたけど、ふと気がついたですよ。
アナタは他人だから言いたい放題で良いけど、
ワタシの中に流れる血の四分の一は祖母からのものだよって。
アァそれなのに、オカンも娘らにおんなじ愚痴をこぼしとるわ。


以下はカタログハウスの雑誌『通販生活』に投稿された文より。

甥は大学を休学して祖父母の家に一年ほど暮らしていた。
祖母は少し進んだ認知症で食事の支度が難しくなっていた。
甥はネットで調べて作ったもので祖父母に喜んでもらっていたそうです。
ある夜の九時過ぎに「孫(甥)がさっき出かけてまだ帰ってこない」と
ひどく心配そうな声で祖母(投稿者の母)から電話があった。
甥のスマホに連絡し「どこにいるの?おばあちゃんが心配してるよ」と、
強い調子で言ったところ、
のんびりした声で「家に居るよ」とのこと。
そのまま祖母の部屋に向かい
「おばあちゃん、ただいま。帰ってきたよ。」と声をかけたそうです。
コンビニで買い物をし、帰宅してすぐ「ただいま」を言ったけど、
祖母はそれをすっかり忘れて心配していたらしい。

もしこれがオカンなら
「さっき帰ったって言ったがん!」となるところだけど、
甥御さんの機転と優しさにマイリマシタ!
とはいえ、この暮らしに至った経緯が分からないので、
単にこの場面だけのことですけどね。
オホホ、素直でないオカンです。


【画像】抱っこした桃惠がフリースに埋もれとる

【画像】暑くなって出てきた桃惠の爆睡顔






コレには弱くて…

2022年01月19日 08時54分15秒 | むかし話
こちらは昨日から雪でしてね。
たまに前が見えない程に吹雪きますの。
こんなお天気ではBSが映りません。
なので今日の朝ドラは地上波だけ見られました。

その、今朝の、あのシーン!
オカンはスイッチが入ってしまい、
祝福と羨ましさと悔しさで、ツーッと落涙してしまうのです。

そして平助さんが泣きながら
「孫が出来るんは嬉しいなぁ」と言うのね。

もう何度も話した事だけど、
オカンが壱号を出産して実家に戻ったとき、
托鉢僧姿の父が夢に現れましてね。
笠で顔は見えないけど、たしかに父と分かる。
懐かしさと嬉しさで泣きながら目が覚めたのですよ。

そんなことを久しぶりに思い出して、つい声を上げて泣いてしまった。

申し込みとか、お式とかは、オカンのウィーク・ポイントなんですの。




夢に出たとオモフ

2021年06月23日 20時00分49秒 | むかし話
今朝方、ブログの推敲をしながら目覚めたのですよ。
夢うつつで推敲なんて、依存症かしら?
なんてこと、無いわねぇ。
どうやらオカン母が夢に出てきたようなんです。
というのも、その内容は母の昔話ですから。
何かがなければ、夢の中でブログ記事なんて思いうかばないでしょ。

先日、ヒデリンさんの掲示板にオカン父のことを書かせてもらったので、
母がヤキモチを焼いて、自分のことも書かせようとしたのかなと…。
ええ、オカン母は相当ヤキモチ焼きだったですけんね。

さて、そのオカン母の昔話。
七人兄妹の上二人は先妻さんの娘。
花ばあちゃんの子どもは五人でして、姉、兄、母、妹が二人です。
花ばあちゃんの連れ合い、つまりじいちゃんは、
末っ子の叔母がまだ幼い頃に亡くなっています。
そのじいちゃんが若い頃。
田んぼの位置が良かったのか酒米を作っていましてね。
醸造元に酒米を届けるときは、
オカン母を連れて行ったそうです。
選り好みなんてプンプン😤ですが、
母はじいちゃんのお気に入りだったんでしょう。
行きはじいちゃんの引く大八車について歩き、
帰りは空になった大八車に乗せてもらったそうです。
酒蔵では蔵元のごりょんさん(大奥様)から、
茶事に使うような高級な和菓子を一つ頂いて、
それがとても嬉しかったと話していました。
お店も無いような田舎の暮らしでは縁のない菓子だったのでしょう。
そんな思い出話をしてくれたのはいつだったかな?
思い出せないほどの昔のことです。
オカン母も早くに父親を亡くして苦労したでしょうなぁ。
七人いた兄妹たちは次々に亡くなって、
今は末っ子の叔母が一人になりました。
六つ違いの母とは一番気が合って仲良しでした。
父も姑も見送ったあとは、
母はしょっちゅう泊りがけで遊びに行って、
オカンも呼び出されたものです。


オカン母です。
写真の白フチに76と書いてある。
父が亡くなったのは大阪万博の年(70年)なので、6年後ですね。
母48才の夏。
若いですね。