気がつけば9日前から放置してしまってる…。
なんだかスッカリ疲れちまってな。
思い起こせば先週の水曜日から、バタバタは始まった。
月イチの街外歩きは境線に乗って移動し、
境港駅からおさかなロードを歩いた。
その途中に叔母の連れ合いの訃報を受けたのだわ。
兄からの連絡でしたが、兄も又聞きなので詳しいことは不明だけど、
通夜は翌日、葬儀は明後日と決まったそうです。
この先はどうしようもないので街歩きは続行し、
帰着駅から叔母の家に向かって直接話を聞きました。
朝は何時ものように着替えて新聞を取りに出た叔父は、
気分が悪いと言ってしばらく廊下で横になったそうですが、
やがて起き上がりトイレに入り、そこで倒れていたそうです。
身体が不自由な叔母一人では叔父を動かせず、
掛かり付けの医師に来てもらい、
ベッドまで移したけど既に事切れており、
死亡診断書を書いてもらったそうです。
掛かり付け医が居て良かったです。
でなければ警察が来ますもんね。
オカンが叔母宅に着いたとき、近くに住んでいる従姉も来ていて、
息子と三人で葬儀その他の段取りを話し合って帰りました。
通夜も葬儀も滞りなく済んだのですよ。
でも叔母はお骨拾いはもちろん、火葬場にも行かないと言いましてね。
一番肝心な連れ合いが行かんのか?
ホントに行かんでええのか?
何をどう言っても行かないと繰り返す。
なのでオカンが家に送ったのですよ。
息子夫婦が戻ってくるまで一人置いておくのもなんだかな〜と、
叔父の使っていたベッドを引き取ってもらい、
ついでに布団を始末したり、
あちこちに連絡を入れたり、
袋に突っ込んだまま未整理の領収書を仕分けしたりで、
叔母の用を片付けながら時間をつぶし、
息子夫婦が戻るのを待ちました。
葬儀は11時開始で、ほぼ一日礼服のまま過ごしたわけです。
身体のアチコチが凝り固まりました。
気付けばお昼ごはんも食べていなかったな。
叔母もだけどね。
叔父叔母二人共米寿を迎えておりました。
高齢の叔母の一人暮らしが始まります。
桃惠の居ない今、叔母の用足しに通わな、な〜。
気の重いこの数日、ぐーたら過ごしたのはそんな訳でした。
(ここまでの画像は街外歩き)
さてと、
桃惠の四十九日が過ぎたので、今日はお骨を庭に埋めてやりました。
ミャーコさん母娘が来て一緒に木箱に移して埋めました。
レン君、はなちゃんも眠るお庭。
シマリスのシマジローに
ハムスターの梅ちゃんに
はなちゃんの初めての娘(死産)と
桃惠の弟の竹次郎。
仲良くにぎやかにやっとくれね〜。
ミャーコさんが描いた絵に付いていた石は、
黒がグレータンのレン君、
茶色はチョコタンのはなちゃんで、
淡いピンクは桃惠だよとミャーコさん。
絵はお骨と一緒に箱に入れ、石はオカンが持っておくことにしました。
片付いて花だけ残った祭壇の跡。
いずれは写真もな。