朝ドラ『おちょやん』の記事を
まりさんが書いたので、
その流れでオカンの思い出話など…。
オカン実家は父が三代目でした。
初代は本家(?)の跡取り息子でしたが、
「芝居小屋をやりたい」と言って勘当されたそうです。
本家は地元では名士だったらしく、
分家をすると本家が廃れるとのことで、
跡取り以外の男子は養子、婿養子として、
家を出されたとのこと。
それ以前はオカンの旧姓は県内では一軒のみでしたが、
初代(曽祖父)が勘当されて独立したため、同姓が2軒になりました。
本家とは100メートルほどの距離で生活を始めた初代。
芝居小屋はその中間地点にありました。
オカン実家がいわば芝居茶屋。
50メートルほどの距離をおちょやんのようなお茶子さんが何人かいて、
料理やお酒を運んでいたようです。
オカン実家の建物は元は料亭だったそうで、
大きな大きな棚にぎっしりと
食器や酒器が入っていました。
建物は南北に細長く奥行きがあり、
中央に明り取りの中庭がありました。
一階は店土間と小上がりと茶の間。
中庭を迂回する渡り廊下を行くと家族の部屋です。
二階に上がると配膳用の広い板の間。
そこを挟んで南北にニ部屋ずつ計四室ありました。
どの部屋も床が設えてありましたわ。
時代の流れで映画館に変わりましたが、
オカン子供の頃はまだ旅芸人の一座が廻ってきて、
映画を休んで興行していました。
幹部は旅館に泊まるけど、下っ端の役者はオカン実家に泊まるのです。
そんなときは親戚がご飯の準備やら何やら手助けに集まったですね。
今は亡き有名俳優もまわってきたようですよ。
その映画館もテレビに押されて廃業しました。
空き家になった映画館はオカンたち子供の遊び場です。
舞台袖の楽屋、舞台下手の花道、
まわり舞台の上に張ったスクリーンの裏。
芝居小屋の名残が面白かったな。
子供の頃はお茶子さんお二人がまだ存命で行き来がありました。
名前ではなくお茶子さんと呼んでいましたな。
曽祖父の頃はこんな暮らしだったのかな〜と思いながらおちょやんを見ているのです。
勘当されて以後、付き合いは無かったのを父が交流を再開したそうです。
本家と呼ぶのもそれからの話。
その頃の当主は穏やかな人で、息子ばかりだったせいか、
オカンはずいぶんと可愛がってもらいましたわ。
「おまえは甘やかされて育っとる!」
相方はよく言う。
甘やかされてはおらんけど、
可愛がってもらったのは当たっとる。