思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

思い出のノーサイド 月寒競技場に足を運んで

2006-07-09 18:15:12 | ポエム・ひとこと

肖像権の関係で作品をお見せできないのが残念です。

言葉から情景を思い浮かべてみてください。

94年 阿部典子写真展 札幌市中央区 札幌市写真ライブラリー

 

雪の競技場 春 やわらいだ陽ざしが シーズンへの時を刻む

90.6.24 日本代表 VS 関東代表 ジャパンが初めて来た日

 FB細川選手のP・G

91.7.6 ワールドカップ出場強化試合 

日本代表 VS プレジデント15 試合前のコミュニュケーション

キックオフ

SO松尾選手からWTB吉田選手へパス

WTB吉田選手の突進

接戦ラインアウト

SH村田選手の突進 ナイスタックル

91.9.29 関東大学対抗戦  明治大学 VS 東京大学 走る明大フィフティーン

キックオフ 

突進

ナイスキャッチ

光のパスアウト

戦い終えて

92.5.31 早稲田大学 VS 明治大学 五本の旗 

静から動へ

サイドをつくSH永友選手 

SO谷選手へ トライ!

明治の猛攻 

早稲田の反撃

ラン・パス

宙を舞うボール 

地をはうボール

ナイスタックル

明暗を分けたスコア

まほうの水 芝生にもあげよう

92.9.20 関東大学対抗戦 早稲田大学 VS 東京大学 雨あがりに 

モールの中で

水しぶきをあげて

突進

空気の澄んだ競技場

やわらかな芝生に

さまざまな色のジャージが溶けてゆく

楕円球を巡って

93.6.6 関東学院大学

93.9.5 9.12 東日本社会人リーグ 伊勢丹 NEC サントリー 東芝府中

 NO・SIDE

心地よい風が吹き

私はここで 季節をくり返す


原点

2006-07-09 18:05:41 | ラグビー・思い出話

撮影・個展活動を通じてできたつながりで、 写真・文章の掲載、

発言させていただける機会に 恵まれました。

自分でもスポーツとしてのラグビーの魅力を伝えるべく

作品を撮り続けてきたわけですが、 お声をかけてくださった皆さんに

お礼申し上げます。 ありがとうございます。 ラグビーを本格的に撮り始めたのは

25歳からですが、 実年齢より外見が若く見られたようで、

予想外の言葉を言われ 落ち込む時期もありました。

メディア関係者やプロであれば、見下されもしないのでしょうが

アマチュアで女性であったための風当たりは強かったです。

カメラ=追っかけという単純な発想を持つ方が多くて

私は作品作りがしたいのに・・・。と心の中で いつも思っていました。

 

さて良き思い出をひとつ。 93年札幌月寒ラグビー場にて開催された

東日本社会人リーグでは (トップリーグの前身・以前は社会人のリーグ戦が

東日本・ 西日本・九州に分かれていた)

私は初めて北海道ラグビーフットボール協会の 腕章をつけて撮影をしました。

間近で見た強豪社会人。 迫力に圧倒され、すごいものを見てしまったと思いました。

心臓が爆発しそうになりながら(笑)高校生の時愛用していた

「KIYOTA写真部」の腕章を思い出して とても嬉しかったです。

それまでメインスタンドが主な撮影ポジションだったので

特別に許可してくださった北海道協会の方に感謝です。

 

写真展を認めてほしくて大量の作品を持ち込み

計画案を聞いていただいたこともそうですが、アマチュアリズムがラグビーの大原則。

「お金を得る」「名声を利用する」「商業主義」 すべて否定されていた時代に

何も実績がないアマチュアの自分を信じていただいて。 長い間撮影を続けていて

良かったと思いました。 写真展会場をさがす時も、メーカー名がなく公共性が

強いギャラリーを考えて札幌市写真ライブラリーの選択。

大きな会場でひと苦労でしたけれど。そこでエピソードをもう一つ。

 

高校3年生の時、野球部の全校応援を撮影する機会に 恵まれました。

そこで私は担任の先生に申し出ました。

 「先生、お願いがあります。野球部の写真を撮るので

皆より早く行って準備します。スタンドで腕章つけて 撮っているから

見ればわかると思います。その時自分の出欠を確認してください。」と。

ずうずうしくも許可をいただきました。 この時の野球部は札幌支部では強く

何度か全校応援になり友達と二人ピッチに面した記者席から

撮影させていただいたこともあります。

普通であれば関係者以外立ち入り禁止の張り紙がしてある 記者席の扉。

猛暑で開け放たれていたのを偶然に見つけ、中にいる記者の方にお願いしたのです。

「写真部の者ですが、ここで撮影しても良いですか。ご迷惑はおかけしませんから。」

私はキャノンF-1、友達はコンタックスRTS。 プロが使う最高級機種を見て

「すごいカメラ持ってるね。 女の子なのに珍しいね。頑張って撮りなさい。」

快く接してくださったことで、私達は違うアングルから 撮る事が出来ました。

自動巻き上げもなく ピントも自分で合わせるマニュアルタイプのカメラで

よく恥ずかしくもなく話しかけられたと思います。 未熟な高校生でした。

 

その後私が撮った写真は、生徒会機関誌「双陵」の扉になり

全校生徒に配布されましたが、なぜかプレーではなくスタンドで 応援する仲間を

捉えた写真が掲載されました。 生徒の気持ちが一つになった場面を選んだ

生徒会の先生は 見る目が確かで、良く推せんしていただいたと思っています。

 「機関誌に載せる。学校祭で発表する。皆に感動してもらう。

そのための良い写真。だから近づく。」

自分の原点はそこから始まっていたのかもしれません。

もちろんカメラは自分で買ったものです。

ただし父親のペンタックスSPを下取りに出してもらって

高校1年の修学旅行前に 調達しました(笑)。