撮影・個展活動を通じてできたつながりで、 写真・文章の掲載、
発言させていただける機会に 恵まれました。
自分でもスポーツとしてのラグビーの魅力を伝えるべく
作品を撮り続けてきたわけですが、 お声をかけてくださった皆さんに
お礼申し上げます。 ありがとうございます。 ラグビーを本格的に撮り始めたのは
25歳からですが、 実年齢より外見が若く見られたようで、
予想外の言葉を言われ 落ち込む時期もありました。
メディア関係者やプロであれば、見下されもしないのでしょうが
アマチュアで女性であったための風当たりは強かったです。
カメラ=追っかけという単純な発想を持つ方が多くて
私は作品作りがしたいのに・・・。と心の中で いつも思っていました。
さて良き思い出をひとつ。 93年札幌月寒ラグビー場にて開催された
東日本社会人リーグでは (トップリーグの前身・以前は社会人のリーグ戦が
東日本・ 西日本・九州に分かれていた)
私は初めて北海道ラグビーフットボール協会の 腕章をつけて撮影をしました。
間近で見た強豪社会人。 迫力に圧倒され、すごいものを見てしまったと思いました。
心臓が爆発しそうになりながら(笑)高校生の時愛用していた
「KIYOTA写真部」の腕章を思い出して とても嬉しかったです。
それまでメインスタンドが主な撮影ポジションだったので
特別に許可してくださった北海道協会の方に感謝です。
写真展を認めてほしくて大量の作品を持ち込み
計画案を聞いていただいたこともそうですが、アマチュアリズムがラグビーの大原則。
「お金を得る」「名声を利用する」「商業主義」 すべて否定されていた時代に
何も実績がないアマチュアの自分を信じていただいて。 長い間撮影を続けていて
良かったと思いました。 写真展会場をさがす時も、メーカー名がなく公共性が
強いギャラリーを考えて札幌市写真ライブラリーの選択。
大きな会場でひと苦労でしたけれど。そこでエピソードをもう一つ。
高校3年生の時、野球部の全校応援を撮影する機会に 恵まれました。
そこで私は担任の先生に申し出ました。
「先生、お願いがあります。野球部の写真を撮るので
皆より早く行って準備します。スタンドで腕章つけて 撮っているから
見ればわかると思います。その時自分の出欠を確認してください。」と。
ずうずうしくも許可をいただきました。 この時の野球部は札幌支部では強く
何度か全校応援になり友達と二人ピッチに面した記者席から
撮影させていただいたこともあります。
普通であれば関係者以外立ち入り禁止の張り紙がしてある 記者席の扉。
猛暑で開け放たれていたのを偶然に見つけ、中にいる記者の方にお願いしたのです。
「写真部の者ですが、ここで撮影しても良いですか。ご迷惑はおかけしませんから。」
私はキャノンF-1、友達はコンタックスRTS。 プロが使う最高級機種を見て
「すごいカメラ持ってるね。 女の子なのに珍しいね。頑張って撮りなさい。」
快く接してくださったことで、私達は違うアングルから 撮る事が出来ました。
自動巻き上げもなく ピントも自分で合わせるマニュアルタイプのカメラで
よく恥ずかしくもなく話しかけられたと思います。 未熟な高校生でした。
その後私が撮った写真は、生徒会機関誌「双陵」の扉になり
全校生徒に配布されましたが、なぜかプレーではなくスタンドで 応援する仲間を
捉えた写真が掲載されました。 生徒の気持ちが一つになった場面を選んだ
生徒会の先生は 見る目が確かで、良く推せんしていただいたと思っています。
「機関誌に載せる。学校祭で発表する。皆に感動してもらう。
そのための良い写真。だから近づく。」
自分の原点はそこから始まっていたのかもしれません。
もちろんカメラは自分で買ったものです。
ただし父親のペンタックスSPを下取りに出してもらって
高校1年の修学旅行前に 調達しました(笑)。