選挙の報告その3 ~投票日

2011年05月12日 23時01分28秒 | 政治活動
今日は、前回の記事の続きを書こうと思います。
投票日からあっという間に2週間近くも経ってしまい、今更な気もします。
しかし、初めて経験する選挙での体験談、やがて政治家を志す皆さんのお役に立つ事もあるかと思いますので、しっかりと報告させて頂きます。

投票日。

一週間にもわたる選挙活動も終わり、後は投票結果を待つのみです。
この日、私は朝一番で投票を済ませ、友人とともに事務所で選挙カーの看板の取り外し作業や、事務所の後片付け等を行いました。
もうこの段階では一切投票を呼びかける活動は出来ませんが、実は投票日当日に行える活動が一つだけあります。
それは、「追い出し電話」と呼ばれるものです。
まだ選挙に行っていない有権者に電話をかけ、「選挙に行きましたか?まだだったら是非投票所に行ってください!」と呼びかけるものです。
私はこの追い出し電話を一切行いませんでしたが(何だか微妙に違法っぽいですし、有権者だって当日まで電話なんか受けたくない筈ですよね)参考までに書いておきます。

夜8時には投票が締め切られ、いよいよ開票にはいります。
事務所に家族親戚や友人、支持者が集まり、全員でテレビの開票速報に釘付けとなります。
また、開票経過に不正が無いかチェックする「開票立会人」を候補者は開票会場に同席させる事が出来ます。
それによって、開票所からリアルタイムで「今何票」と電話がかかってきます。

開票結果を待つ間、それはもう、人生で一番緊張しました。
最初の開票結果では上位11名に入っていた得票数も、400票から伸び悩み、事務所内には「まさか・・・」という空気も流れ始めました。
しかしこの時、私自身は当選を信じていました。
自分自身、今回の選挙でやりたかった事、伝えたかった事を出し切ったと確信していたし、
何より沢山の仲間がこれだけ応援してくれて、悪い結果が出る筈が無いと信じていました。

そして、午後10時30分。
立会人から「当選したぞ!!」と連絡が入りました。
もう正直、そこからの1時間は、何が何やらはっきりとは覚えていません(笑)
家族と抱き合い、仲間と抱き合い、後援会の皆さんと抱き合い、喜びを分かち合いました。

頂いた得票数は、529票。
529名もの方々が、私を信じて勝浦市の未来を託してくれた事になります。
こんなにも有り難く、また嬉しい事はありません。
これから4年間の重責を果たすべく、公約通り、死ぬ気で頑張らねばなりません。

今回の選挙、大変な事も沢山ありましたが、嬉しい事も沢山ありました。
多くの方と対話する事で、自分の視野が大きく広がりました。
また、選挙活動を通じて仲間や家族親戚との絆も大きく深まりました。
何より嬉しかったのは、有権者の方々が「頑張れよ!」とあちこちで声をかけてくださった事です。
以前の記事で書いた通り、自分には支持母体も知名度も資金も、何にもありませんでした。
右も左も解らず徒手空拳の戦いを続ける中で、それでも「応援するよ!頑張れよ!」と声をかけてくださる有権者の皆さんの声が、どれだけ有り難かった事か。
このご恩は、必ず政策でお返し致します。
皆さんのご期待を裏切らぬよう、また1つでも多く公約を実現させるため、精一杯取り組んで参ります。

どうか今後とも、ご指導賜りますよう、宜しくお願い致します!
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被災地と勝浦の為に。災害復旧支援募金開始!

2011年04月03日 23時20分35秒 | 政治活動
3月23日の記事から10日も更新が滞ってしまいました。
震災にあわれた被災者の方々への哀悼の意から活動を自粛しておりましたが、先日より活動を再開致しました。
故郷勝浦市の明るい未来の為、また、愛する母国日本の未来の為、自分に出来る事をせいいっぱい頑張って行こうと思います。
ご心配頂いた皆さん、お声をかけて頂き本当に有り難うございました。

と、そんなわけで!
みんなでシュンとしてても仕方ないので、元気に募金活動を行いますよ!

DEAR DIARY 東日本大震災 災害復旧支援募金!

目標設定額は¥200,000です。

我々の故郷勝浦市と被災地とは、漁業・水産加工業を通じて、経済的にも人的にも深い交流や繋がりがありました。
被災地の復興なくして、勝浦市の明るい未来など、絶対にあり得ません。
勝浦市はいまこそ率先して被災地の救済・支援に乗り出さなきゃならないというのに。
議会も行政も、もっと積極的に動かなかればなりません。
自分が議員だったら、被災者の受入れや被災地への支援、漁業関係者や水産加工従事者の受入の為に全力を尽くします。
いくら市に予算がないからって、空き家を利用したり後継者のいない漁船へ被災した経験者を受入れたり、策は色々ある筈です。
市議選があるからって身内で揉めてる場合じゃあないのに・・・
憤ってばかりもいられないので、自分で出来る事をして行くまでです。

募金は、上記の私の特設サイトから、簡単な方法で行えるようになっています。
説明文をお読みになった上で、もし良かったらご協力をお願い致します。
どんな小さな額でも構いません。小さな力も集まれば大きな力になります。
可能な限りで構いません。皆さんの力を貸してください!

宜しくお願いします!

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震災と、外国人実習生

2011年03月16日 23時53分52秒 | 政治活動
今日は、私の以前の職場である協同組合の理事長さんとお話をしてきました。

私の以前の仕事については詳しい説明を省きますが、(退職時の日記を参照して頂ければ幸いです)
理事長の話によると、組合に所属している外国人実習生たちの何名かが、今回の地震と震災の酷さを目の当たりにして母国に帰国したがっているとの事。

仕方ない事だ、と思います。
外国人実習生たちはそのほとんどが中国やタイなどの「地震のない国」から来た子たち。
3月11日の地震では相当の恐怖を感じただろうし、その後も続く余震や原発事故のニュースにも不安を募らせているでしょう。
実際に、過去に世話をした何名かの実習生と話をしてみましたが、みんなかなりの不安とストレスを感じているようです。

日本には現在、約10万人の外国人実習生がいて、その多くが地方の水産加工会社等で実務研修を行っています。
今回被災した地域にも多くの外国人実習生がいたはずで、特に気仙沼等の漁港では外国人実習生の被災も多かったのではと思います。
彼らの多くは日本語が不自由で、また日本の習慣や文化、そして寒さにも不慣れですから、避難所に逃げられたとしても相当辛い思いをしていると思います。
また、彼らの実家も貧しい家が多く(極端な話テレビすらない家庭もある)、ご家族にも情報が正しく伝わっていない筈で、連絡も取れずみな心配されているだろうと思います。
被災した実習生や、そのご家族の心中を思うと、本当に辛いです。やるせなくなってきます。

勝浦だけでも各社合わせて200名程の外国人実習生がいますから、彼らのメンタルケアや相談受付は急務です。
一方で、彼らを雇用している企業のダメージも計り知れません。
中小企業にとって、一度に数名もの労働者を失う事は、死活問題です。帰国したい実習生を、全員帰す訳にも行きません。
難しい問題ですが、実習生の不安を取り除きながら、現地の家族との連絡を密にし、受入企業との交渉を続けて行くしかありません。

過去の経験を生かして、僕も出来る限りのお手伝いをして行きたいと思っています。
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東北地方太平洋沖地震に際して

2011年03月13日 22時33分25秒 | 政治活動
今回の大震災に際し、災害に遭われた皆様、またご家族ご親戚を亡くされた皆様には、衷心よりお悔やみを申し上げます。
そして、現地で救難活動に当たっている皆様には心から感謝を申し上げます。

震災直後、私も地元の避難活動をお手伝いしましたが、市の防災体制、緊急時の指示の不十分さと、市民の防災意識の低さを痛感しました。
地震に際し、勝浦市を含む沿岸地域には高さ10Mの大津波警報が出されました。
隣町のいすみ市では、市の避難指示に殆どの住人が従ったそうですが、勝浦市では避難指示が出ているにも拘らず自宅に留まろうとする方が多くいて、
説得に時間を取られ、避難に非常に時間がかかってしまいました。

市の避難指示が徹底していなかった所為もあると思いますが、実際に避難所に待避した人数もかなり少なく感じました。
もし今回、本当に10M規模の津波が勝浦に押し寄せいていたらと思うと、背筋がぞっとします。おそらく、大きな被害が出たでしょう。
今回のような対応では、絶対に間に合わない。
市民の防災意識を高め、またしっかりとした防災体制を一刻も早く作り上げなければならないと、強く感じました。

ところで、私の大切な友人と、そのご家族も仙台在住なのですが、現在全く連絡が取れないのが本当に心配です。
一度目の地震直後には電話も通じて、無事を確認しましたが、その後はどうしても連絡をとることが出来ずにいます。
小学校2年生になる娘さんもいて、きっと困っているだろうなと思うと、いてもたってもいられません。
皆無事であって欲しいと願うばかりです。

今回の震災に際して、私は自分に出来る事を精一杯やっていこうと思います。
現地までのルートや給油手段等を調べた上で、実現可能であれば現地に行ってボランティアとして活動したいと考えています。

とにかく、動かなきゃ。

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政治活動2週間目に思った事

2011年03月11日 00時18分21秒 | 政治活動
みなさん今晩は。ご機嫌いかがですか。

前回の記事を書き込んでから、あっというまに2週間が過ぎてしまいました。
この2週間、市内の様々な活動に参加したり挨拶回りをしたりと、お陰様で忙しくも充実した日々を送っていました。

たくさんの人とお話するのは楽しいし、何よりとても勉強になります。
人それぞれ、立場が違えば意見も違うし、まさに十人十色。面白いです。
商店街には商店街の意見があり、漁港には漁港の主張があり、朝市には朝市のポリシーがある。多種多様な意見があるのは本当に素晴らしい事だと思います。

しかし、現状では残念な事に、立場の違う市民間の交流の場、つまり相互理解の機会が少ないが故か、
意見の調整が不足してあちこちで対立が起こってしまっているようにも見えます。
勿体ない、と思います。この小さな街で市民間の連携がとれていないなんて。

客観的に見て、勝浦市の現状は正直酷いもんです。
下記のデータを見ても解るように、経常収支比率などの経済項目や、出生数等の人口項目は、残念ながら全国ワーストクラスとなっています。
http://www.seikatsu-guide.com/citysearch/?ccd=12218

今どん底の状態にある勝浦市を良くしていく為には、小さなわだかまりを捨てて、
我々市民が「勝浦市民」として共通の目標と意志を持って事に当たらなきゃなりません。

その為には、まずは市民間の意見交換の場をつくって、漁師も商人も農家も学生もお年寄りも若者も男も女も、みんなで胸襟を開いて話し合っていかなければ。
しがらみのない自分なら、コミュニティ間のパイプ役として、きっと皆さんの役に立つ事が出来ると思っていますし、実際に、立場の違う方同士の交流の仲介役なんかも積極的に行うようにしています。
現状、私には敵なんて一人もいませんから(自分でそう思ってるだけで誰かに凄い敵視されてたらどうしよう)
もちろん、単なる八方美人になってはいけませんから、自分の信念や政策を大切にした上での話ですが。

とにかく、郷土愛溢れる素敵な人たちが沢山おられるんだから、互いに協力し合いさえすれば、必ず勝浦は良くなると信じています。

海だから、とか山だから、とか言ってる場合じゃないですよ本当に。
海も山も輝く街にしなければ。

と、政治活動を通じて思いました。
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政治活動開始!!

2011年02月21日 23時39分49秒 | 政治活動
みなさんこんにちは。戸坂健一(とさかけんいち)です。

ブログを開設してからはや7年。
これまで、ここで色んな思いを伝えてきました。

日本は変わらなければいけない。
その為には何が必要か。そして一体自分に何が出来るのか。
ずっとずっと、考え続けてきました。

政治家になりたい。政治家になって、みんなの幸せの為に働きたい。
それが、色んな雑念を取り払って余計なものを削ぎ落とした後、最後に私の心に残った「念い」でした。

というわけで、戸坂健一は、勝浦市議会議員選挙への立候補を決意し、政治活動を開始致しました!
立ち上げた政治団体の名称は「戸坂健一とあたらしい勝浦を創る会」。
しがらみに囚われ、前に進めなくなっている故郷勝浦を改革し、
みんなが自由に意見を出し合い、互いの生活や夢を尊重し合い、老若男女・誰しもが分け隔てなく笑って暮らせる社会の実現を目指します。
だって、それがかつての日本の田舎のごくあたりまえの風景だったと思うから。
勝浦市には、それを実現出来るだけの魅力があると思っているから。

父も母もごく普通の会社員ですし、私自身も普通のサラリーマンでした。
金もなく、コネも無い、地盤も無い、本っ当に何も無い所からのスタートです。
ごく普通の一般人が選挙という舞台でどう活動していくのか。これからはそんな事もここで書いていきたいと思っています。

また、過去に書いた記事についても、私にとって今後の選挙に不利になるかもしれない記事も含めてそのまま残します。
有権者の皆さんにとっては、候補者がどんな人間か、どんな考え方を持っているのか、その趣味も含めて全てを知りたいはずだから。
そして今後も、ありがちな、皆の耳に心地いい綺麗ごとだけを書いていくつもりは全くありません。
これまでどおり、思った事を正直に書いていきたいと思います。

今後とも、宜しくお願い致します!

更新が遅く、時には半年も放置した時期もありましたが、それでも毎日何十人・何百人もの方がここを訪れてくれるのが本当に嬉しく、また励みになりました。
読者の皆さんには本当に感謝しています。

さあ、頑張りますよ!
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2010参院選 自民党滋賀県連 予備選挙

2010年04月02日 11時41分48秒 | 政治活動
皆さんご無沙汰しております。

実は私、自民党滋賀県連が行っていた次期参院選公募に応募し、参院選立候補者となるべく3月一杯(仕事があるので週末だけだけど)活動しておりました。

詳細は自民党滋賀県連のページから。

結論から言うと、最終選考の予備選挙において地元滋賀県出身の方に大差をつけられ落選してしまいました。
確かに悔しい。しかし、自分にとって素晴らしい経験となったと同時に、日本の明るい未来の為に力を尽くして働きたいという気持ち、そして、政治家になって人々の幸せの為に働きたい、長年の夢を叶えたいという気持ちを再確認する事が出来ました。

下記動画は私の演説です。

平成22年3月27日 自民党滋賀県連参院選公募候補者 戸坂健一 演説


是非皆さんに私の演説を聴いて欲しいと思います。
まだまだ未熟で恥ずかしいけれど、皆さんにはぜひ見て欲しい。
そう思います。

日本の再生の為には、マスコミの改革と、教育現場の改革が必要である事を訴えましたが、力及ばず落選。

悔しいですが、期間中、本当に勉強になったし、何より本当に楽しかった!
自分の紡ぎだす言葉を武器に、人の心を動かし、それを票という形で力にしていく感覚、そして沢山の方々の温情あるお言葉やご支援を受けて自らの政策や夢を実現していく感覚。
夢のまた夢として、これまで曖昧だった政治家としての仕事の一端を、少しだけ垣間見た気がしました。
もっと話したい、もっと多くの方々に自分の意見を聞いて欲しい、そして、人々の幸せの為に働きたい!これを自分のライフワークにするんだ!!
充実している、心の底からそう思えた1ヶ月でした。

この素晴らしい経験を機に、しっかりと未来を見据え、これを失敗としてではなく政治家としての第一歩・またとないチャンスと捉え、これからの道を模索して行きたいと考えています。

皆さんに心から感謝を申し上げたく思います。
一サラリーマンに過ぎない私に、今回こんな素晴らしい機会を与えて下さった自民党滋賀県連の皆さん、
応援して下さった党員の皆さん、滋賀県民の皆さん、
そして何より、期間中ずっと支えてくれた両親と、大切な友人のみんな。

本当に有難う御座いました!
ご支援下さった皆さんの気持ちを無駄にせぬ様、これからも頑張っていきたいと考えています!

・・・
演説の時、本当は、Zガンダム(テレビ版)のクワトロ大尉のセリフも織り交ぜた熱い原稿があったんですが、予期せぬ式の流れで原稿を置いたまま壇上に上がってしまい、言いたかった事を100%言い切れなかった事が、本当に残念です。


「まだだ、まだ終わらんよ!」
コメント (4)
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