旭市災害ボランティア活動の報告

2011年03月23日 00時02分53秒 | 活動報告
3月18日から20日までの3日間、
旭市での災害ボランティア活動に参加してきましたので、報告します。
体験等を中心に、時間経過も含めて日記形式でまとめてありますので、今後ボランティア活動に参加予定の方の参考にでもなれば幸いです。
全体的な感想等はまた明日にでも報告します。

3月18日(金
旭市における災害復旧ボランティア活動一日目。

総武本線が復旧していないため、勝浦から車で現地に向かう。
ガソリンが心配だが、きっとどこかで給油出来る筈と信じて、7:00出発。

出発から約2時間半で旭市到着。
市内に入った段階では、街並にはそれほど異変は見られない。
しかし、海岸線に向かうにつれ、陥没した道路や崩れたコンクリート壁などを散見するようになる。

9:40に災害ボランティアセンター到着。
既に多くのボランティア希望者が受付をしており、待機所に列をつくっている。
早速受付をすませると、受付順に5~6名一組のチームに振り分けられてから、作業現場に向かうとのこと。

この日は一人で行ったので、5名のチームに合流させてもらう。
カップルさん、会社員、大学生、看護学生さんなど、個性豊かなメンバーで、しかも皆さん優しい人ばかり。
みなさんこうした災害復旧ボランティアは初参加とのこと。大震災を受けて、いてもたってもいられない気持ちは皆同じなのだろうと思う。

その後、10分程度のオリエンテーションを受け、被災者からのボランティアの依頼を待つ。
しかし、なんとそのまま1時間程も待ちぼうけ。
ボランティア希望者の人数が多すぎる事や、災害復旧ボランティア制度を被災者の皆さんが知らずにいて、制度利用者が少ない事が原因のようだ。
11:00を過ぎて、ようやくボランティアの依頼が入る。
仕事は津波によって半壊した商店の瓦礫撤去。
3チーム、計15名で一組となり、現場に向けて出発。

近場なので徒歩で現場に向かうが、センターから海岸通りに向かうにつれ、津波の被害を受けた家が多くなる。
海岸から一番近い通りでは、全壊、半壊の家が殆ど。
津波によってブロック塀が押し流され、車が家を貫き、ありとあらゆる家財道具が押し流され、木の壁もコンクリの壁も関係なく破壊されている。
津波の力がこれほどとは、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
報道されていないだけで、旭市の被災状態も激甚なものだ。

11:30、ようやく現場である海岸沿いの民家兼商店に到着。
家の内部は、これでもかというくらい、津波によって破壊されていた。
何もかも、壊れるものはその全てが破壊し尽くされている。
家の作りも海からの距離も周囲の街の雰囲気も、勝浦の実家に似ており、既視感を覚えると同時に、他人事ではない恐怖を感じる。

早速、壊れた家具や、濡れた畳、崩れた壁等を皆で協力しながら撤去して行く。
その全てが重く濡れた砂にまみれていて、なかなか作業は捗らない。
壁を見ると、自分の身長(176cm)のところまで海水に浸かった形跡があった。恐ろしい、と改めて思う。

15:00、ボランティアセンターからの指示により、作業終了。
皆の懸命な努力により、何とか屋内の撤去作業は完了した。
そのまま徒歩でボランティアセンターへ向かい、作業報告をして、16:00解散。

3月19日(土)
旭市における災害復旧ボランティア活動二日目。

ボランティア2日目は、勝浦の友人2名と一緒に向かう。
メンバーは、元自衛官と、医療従事者。頼もしい限りだ。
6:30勝浦出発。ガソリン不足の影響か、道が空いていた為、8:30センター到着。

センターにつくと、既にボランティア希望者が長い列を作っている。
休日という事もあってか、ものすごい人出だ。9:00の段階で300名はいたと思う。
ボランティア受付は「初めての方」と「2回目以降の方」に分かれており、2回目以降の受付は比較的すんなり済んだにも拘らず、初回受付はまさに長蛇の列。
結局、友人達の受付が済んだのは10:30。また、チームを組んでから依頼が来て現地に向かうまでさらに30分待った為、結局到着してから計2時間以上は並んだ事になる。
中には「せっかくボランティアに来たのに働けないなんてどうしたことだ!」と怒り始める人もいた。並んでいる時間を無駄にするくらいなら勝手に被災地に行ってしまおうかという話もそこかしこで聞いた。確かに気持ちは解る。

この日我々チームに入った依頼は、「津波で被害を被った庭園の砂の除去」。
実際に現場に到着してみると、確かに庭全体にうっすらと浜砂が覆っているが、家屋にも被害は殆どなく、「これはボランティアが必要な状態なのかな?」と疑問に思ってしまう状態。
いや、これも困っている人を助ける為だと自分に言い聞かせ、庭石の砂を懸命に払う。しかし、ほんの数十メートル先の現場では、家屋が倒壊し人手も足りていない様子なのに・・・
このような緊急性の少ない案件を、果たして今労力を割いてまでやる必要があるのだろうか?とつい疑問に思ってしまう。
それに、今回の5人のメンバーはそれぞれ、元自衛官に、プロレスラー並みの体格の医療従事者、自分もガタイは良いし、他の二人も、頼りがいのある大学生に、リーダーシップ溢れる農業経営者と、ある意味精鋭メンバーだ。
力仕事ならもってこい、のメンバーなだけに、勿体ないなあと感じてしまう。
センターの仕事の割り振りの方法が上手く行っていないのではないか。
ついつい、納得出来ないものを感じてしまう。

この日も予定通り15:00に作業終了。
勝浦までの帰宅途中、経営しているガソリンスタンドを発見し、なんとかガソリンも確保。

3月20日(日)
旭市における災害復旧ボランティア活動三日目。


ボランティア3日目。
この日は自分と、昨日と同じ元自衛官、そして建築関係の仕事をしている友人の3人で出発。
現地での混雑を見越して、6:00に勝浦を出発した。

途中、大原にて勝浦いすみ青年会議所のメンバーと合流し、情報交換。
青年会議所の皆さんも旭市にボランティアに行くとのこと。さすがの行動力だ。

8:00ボランティアセンター到着。
センター受付開始は9:00だが、既に長蛇の列が出来ている。
今回は3人とも、既にボランティア経験者なので、受付はすぐに済んだ。
同じく3名で来ていた土木関係者の方と6名のチームを組む。

今回の現場は、津波で被害を受けた家屋の瓦礫・土砂撤去。
5チーム28名でその現場に向かう。

10:00現場到着。
今回の現場は広く、また津波によって所々塩水でびしょ濡れになっており、家屋内の土砂の量も尋常ではない。
果たして作業が終わるのかと心配になるほどだったが、災害ボランティアセンター開設から5日経っている事もあり、作業経験者も多い。
ボランティア同士、以心伝心の連係プレイでどんどん片付いて行く。見る間に作業は進み、午前中で作業完了。
そんな中でも、特に友人二人の獅子奮迅の活躍ぶりは惚れ惚れする程で、改めて友人を誇りに思った。

指定された作業が終わってしまったので、午後からは別の現場を渡り歩き、人手が足りないボランティアのヘルプにまわる。

一件目は縫製会社。
現場で作業を手伝っている女の子がどうも中国人らしかったので、話しかけてみると、なんと外国人技能実習生だった。
震災や津波を受けたにも拘らず、帰国もせず復興作業を手伝っているなんて本当に偉い。「がんばってね」と声をかける。
しかし、現場にいた会社の方に話を聞いてみると、この中国人実習生たちも来週には中国に帰国してしまうらしい。
工場自体は被害も少なく、明日にでも仕事は再開出来るというのに、いきなり労働者の多くがいなくなってしまい、大変困っているとのこと。
聞けば、震災後、被災地だけでなく、日本中の中国人技能実習生が続々と帰国を始めているという。
日本には8万人近くの中国人技能実習生がいるから、その子たちが本当に帰ってしまったら、日本の中小企業は大打撃を受ける事になる。
製造業の現場労働力を、外国人に頼って来たことの脆弱性が、今回の震災によって表に現れてしまった。早急に対処しなければ、今後日本は本当に大変な事になる。

二件目は家屋の瓦礫撤去。
この家はまだ建築途中で、津波によって建築中の壁のほとんどが破壊されてしまっていた。この家は一体どうなってしまうのか。
いや、この地区の他の家にしても、見た目では普通に見えてもほとんどが浸水し被害を被ってしまっている。
一度塩水に浸かってしまっている以上、復旧は困難な筈で、この地区一帯はどうなってしまうのか。被害が大きすぎて見当もつかない。

15:00作業終了。
さすがに3件も廻るとへとへとで、手に力が入らない。
自分の力が少しでも被災者の皆さんの役に立ったなら良いけれど・・・

現場からあるいてセンターに帰る途中、壊れたスーパーの前を通る。
津波で駄目になった商品と瓦礫とがごちゃ混ぜになって店先においてある。
しかし、よく見ると、瓦礫の中に中身の入った缶詰や瓶類、缶ジュースやペットボトル等が大量に混じっている。それらを、重機が何もかもごちゃ混ぜのまま撤去している。
正直、勿体ないと思ってしまう。旭市の避難所でも物資は不足している筈だし、使える物資はなんとか利用出来ないものなのだろうか。
そもそも、この大量の瓦礫は一体どこに行ってどのように処理されるのだろうか。

16:00解散。
3日間のボランティアを終え、帰途につく。




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旭市災害ボランティア活動 一日目

2011年03月18日 23時02分34秒 | 活動報告
旭市における災害復旧ボランティア活動一日目。

凄惨な現場を目の当たりにしてなにやら気疲れしてしまって寝落ち寸前なので、詳しい報告は明日します。

同じ港町の人間として、これだけは言える。ひとごとじゃない。
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自分に出来る事

2011年03月17日 18時39分25秒 | 活動報告
仙台の友人を助けに行きたくとも、交通手段もガソリンもない。
被災地の方々に物資を届けたくとも、それだけの力もない。
だからといって家でウジウジしてても始まらない。

というわけで、千葉県の中でも最も津波の被害の大きかった旭市の災害ボランティアセンターに登録し、
明日から旭市でのボランティア活動に参加する事にしました。
現地で見て、聞いて来た事、経験して来た事を教訓とし、今後の勝浦市の災害対策に活かす事が出来れば、と考えています。

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震災と、外国人実習生

2011年03月16日 23時53分52秒 | 政治活動
今日は、私の以前の職場である協同組合の理事長さんとお話をしてきました。

私の以前の仕事については詳しい説明を省きますが、(退職時の日記を参照して頂ければ幸いです)
理事長の話によると、組合に所属している外国人実習生たちの何名かが、今回の地震と震災の酷さを目の当たりにして母国に帰国したがっているとの事。

仕方ない事だ、と思います。
外国人実習生たちはそのほとんどが中国やタイなどの「地震のない国」から来た子たち。
3月11日の地震では相当の恐怖を感じただろうし、その後も続く余震や原発事故のニュースにも不安を募らせているでしょう。
実際に、過去に世話をした何名かの実習生と話をしてみましたが、みんなかなりの不安とストレスを感じているようです。

日本には現在、約10万人の外国人実習生がいて、その多くが地方の水産加工会社等で実務研修を行っています。
今回被災した地域にも多くの外国人実習生がいたはずで、特に気仙沼等の漁港では外国人実習生の被災も多かったのではと思います。
彼らの多くは日本語が不自由で、また日本の習慣や文化、そして寒さにも不慣れですから、避難所に逃げられたとしても相当辛い思いをしていると思います。
また、彼らの実家も貧しい家が多く(極端な話テレビすらない家庭もある)、ご家族にも情報が正しく伝わっていない筈で、連絡も取れずみな心配されているだろうと思います。
被災した実習生や、そのご家族の心中を思うと、本当に辛いです。やるせなくなってきます。

勝浦だけでも各社合わせて200名程の外国人実習生がいますから、彼らのメンタルケアや相談受付は急務です。
一方で、彼らを雇用している企業のダメージも計り知れません。
中小企業にとって、一度に数名もの労働者を失う事は、死活問題です。帰国したい実習生を、全員帰す訳にも行きません。
難しい問題ですが、実習生の不安を取り除きながら、現地の家族との連絡を密にし、受入企業との交渉を続けて行くしかありません。

過去の経験を生かして、僕も出来る限りのお手伝いをして行きたいと思っています。
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東北地方太平洋沖地震に際して

2011年03月13日 22時33分25秒 | 政治活動
今回の大震災に際し、災害に遭われた皆様、またご家族ご親戚を亡くされた皆様には、衷心よりお悔やみを申し上げます。
そして、現地で救難活動に当たっている皆様には心から感謝を申し上げます。

震災直後、私も地元の避難活動をお手伝いしましたが、市の防災体制、緊急時の指示の不十分さと、市民の防災意識の低さを痛感しました。
地震に際し、勝浦市を含む沿岸地域には高さ10Mの大津波警報が出されました。
隣町のいすみ市では、市の避難指示に殆どの住人が従ったそうですが、勝浦市では避難指示が出ているにも拘らず自宅に留まろうとする方が多くいて、
説得に時間を取られ、避難に非常に時間がかかってしまいました。

市の避難指示が徹底していなかった所為もあると思いますが、実際に避難所に待避した人数もかなり少なく感じました。
もし今回、本当に10M規模の津波が勝浦に押し寄せいていたらと思うと、背筋がぞっとします。おそらく、大きな被害が出たでしょう。
今回のような対応では、絶対に間に合わない。
市民の防災意識を高め、またしっかりとした防災体制を一刻も早く作り上げなければならないと、強く感じました。

ところで、私の大切な友人と、そのご家族も仙台在住なのですが、現在全く連絡が取れないのが本当に心配です。
一度目の地震直後には電話も通じて、無事を確認しましたが、その後はどうしても連絡をとることが出来ずにいます。
小学校2年生になる娘さんもいて、きっと困っているだろうなと思うと、いてもたってもいられません。
皆無事であって欲しいと願うばかりです。

今回の震災に際して、私は自分に出来る事を精一杯やっていこうと思います。
現地までのルートや給油手段等を調べた上で、実現可能であれば現地に行ってボランティアとして活動したいと考えています。

とにかく、動かなきゃ。

コメント (2)
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政治活動2週間目に思った事

2011年03月11日 00時18分21秒 | 政治活動
みなさん今晩は。ご機嫌いかがですか。

前回の記事を書き込んでから、あっというまに2週間が過ぎてしまいました。
この2週間、市内の様々な活動に参加したり挨拶回りをしたりと、お陰様で忙しくも充実した日々を送っていました。

たくさんの人とお話するのは楽しいし、何よりとても勉強になります。
人それぞれ、立場が違えば意見も違うし、まさに十人十色。面白いです。
商店街には商店街の意見があり、漁港には漁港の主張があり、朝市には朝市のポリシーがある。多種多様な意見があるのは本当に素晴らしい事だと思います。

しかし、現状では残念な事に、立場の違う市民間の交流の場、つまり相互理解の機会が少ないが故か、
意見の調整が不足してあちこちで対立が起こってしまっているようにも見えます。
勿体ない、と思います。この小さな街で市民間の連携がとれていないなんて。

客観的に見て、勝浦市の現状は正直酷いもんです。
下記のデータを見ても解るように、経常収支比率などの経済項目や、出生数等の人口項目は、残念ながら全国ワーストクラスとなっています。
http://www.seikatsu-guide.com/citysearch/?ccd=12218

今どん底の状態にある勝浦市を良くしていく為には、小さなわだかまりを捨てて、
我々市民が「勝浦市民」として共通の目標と意志を持って事に当たらなきゃなりません。

その為には、まずは市民間の意見交換の場をつくって、漁師も商人も農家も学生もお年寄りも若者も男も女も、みんなで胸襟を開いて話し合っていかなければ。
しがらみのない自分なら、コミュニティ間のパイプ役として、きっと皆さんの役に立つ事が出来ると思っていますし、実際に、立場の違う方同士の交流の仲介役なんかも積極的に行うようにしています。
現状、私には敵なんて一人もいませんから(自分でそう思ってるだけで誰かに凄い敵視されてたらどうしよう)
もちろん、単なる八方美人になってはいけませんから、自分の信念や政策を大切にした上での話ですが。

とにかく、郷土愛溢れる素敵な人たちが沢山おられるんだから、互いに協力し合いさえすれば、必ず勝浦は良くなると信じています。

海だから、とか山だから、とか言ってる場合じゃないですよ本当に。
海も山も輝く街にしなければ。

と、政治活動を通じて思いました。
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