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国宝 久能寺経の歳月―駿州秘抄

2009-02-01 | 
国宝 久能寺経の歳月―駿州秘抄 (単行本)
良知 文苑 (著)

国宝 久能寺経の歳月―駿州秘抄
良知 文苑
和泉書院

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 日経の書評に表記がでていた。書家である著者は古筆研究と現地調査を通じて待賢門院璋子の生涯を研究。師である角田文衛博士の仕事を継承し、鳥羽院の出家の際作られたという従来の説を否定し、璋子を慕う西行が勧進したという新説を提示している。とのこと。従来の小松茂美氏の説を否定したということのようだ。

 久能寺経の成立と伝来について、五島美術館の名児耶氏が「久能寺経と古経楼」(図録 1991年11月)を簡単にまとめているが、詳しくは、江上綏「料紙装飾 箔散らし」(日本美術397 1999年6月)に従来の説を整理されている。

(1)白畑よし氏 法華経歌絵について 昭和19年 美術史学 88
 薬草喩品の見返しの葦手に、藤原俊成(1114-1204)の長秋詠藻に収められた「康治*1のころほひ 待賢門院の中納言の君 法華経二十八品の歌 結縁のため人々によますとて」という題詞を伴う「春雨は このもかのもの草も木も わかずみどりに 染むるなりにけり」と歌が隠されているのを見出す。*1 1142-1144の年号
(2)高柳光寿氏 久能寺経成立の事情と年代 昭和26年 日本歴史38
 各巻の結縁者の名前や官位の示す時期は、やや疑問が残るが永治元年(1141)12月7日から27日とした。
(3-1)小松茂美氏 「日本書道説林 下巻」(昭和48年 講談社)
 永治元年(1141)12月ごろ成立。
(3-2)小松茂美氏 待賢門院と久能寺経ー久能寺経び成立をさぐるー (古筆学研究所編 古筆と写経 平成元年 八木書店所収)
 待賢門院落飾の際(永治二年2月26日)。結縁者に待賢門院と同日それに随って尼になった待賢門院の女房、堀川と中納言がいることから。
(4)森豊氏 西行と久能寺経 昭和49年 学鐙71-4
 西行が久能寺へ宿ったことがある事実から彼の都で動きから、久能寺経に関与した可能性を示唆した。
とのこと。

日本の美術 (No.397)
文化庁,江上 綏
至文堂

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 WIKIPEDIAを見ると、西行の出家(1140年)については、『源平盛衰記』に、高貴な上臈女房と逢瀬をもったが「あこぎ」の歌を詠みかけられて失恋したとある。とこと。1988年『西行』で白洲正子が、待賢門院への失恋による出家説を唱えているとのこと。

西行 (新潮文庫)
白洲 正子
新潮社

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 ちょっと高いが読んでみたい書物として挙げておこう。
コメント
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