
【2017年9月11日初稿、13日追記】
明智光秀が本能寺の変のあとに反信長勢力に足利義昭の上洛を支援するように要請した書状の原本が見付かったとのニュースが流れています。
>>> 毎日新聞ニュース
この書状についてはかなり以前に今回の原本発見者である三重大学教授藤田達生氏が著書で取り上げて、足利義昭黒幕説の証拠としてきたものです。今回は原本が発見されたというだけの話なので、特に目新しいものではありません。おそらく研究界でも冷やかに見られていると思います。
というのも、この書状が書かれる以前には光秀が義昭を担ごうとした証拠も形跡も一切ないからです。義昭を庇護していた毛利氏も本能寺の変後に光秀の謀反に加担しようとした形跡が一切ありません。それどころか本能寺の変の正確な情報すらつかめていなかったのです。この評価については私だけでなく(珍しく)研究界の大勢を占めています。
諸々の証拠から総合判断すれば、この書状は「光秀が味方確保のために使った方便」に過ぎないというのが「歴史捜査」の結論になります。今回のニュースは一片の「証拠」とされるものを振りかざす従来型の研究姿勢の事例として受け取ればよいかと思います。「歴史捜査」については下記の記事をご覧ください。
>>> 証拠積み上げ歴史に新説(神戸新聞記事)
いかに本能寺の変は間違った考え方と間違ったやり方で議論されてきたかは拙著『「本能寺の変」は変だ!』文芸社をお読みいただければ、ご理解いただけると思います。
私が主張しているのは「蓋然性を高めること」、言い換えると「史料との距離感を縮めること」です。たとえば、何の史料の裏付けもない「秀吉黒幕説」は蓋然性ゼロです。黒田官兵衛が京都で何か画策した裏付け史料がありますか? 前述のニュースもほぼ同様であり、これひとつがわずかな証拠ということです。逆に足利義昭黒幕説を否定する証拠(警察用語で消極証拠といいます)がたくさんあるにもかかわらず、これを証拠として説を主張するのは冤罪作りとしか言えません。
そして、もうひとつ大事なことは「戦国武将の常識である孫呉兵術を学んでから考える」こと。「兵は詭道なり」「戦わずして勝つのが最善」といった基礎知識なしに武将の考えていたことを類推しても「闇夜に鉄砲」です。当るわけがない。秀吉が直接信長殺しの手を下す必要はまったくない、彼にはもっとうまい手がある、と気付くだけの知識は最低限学ぶべきです。あれこれ推理するのはそれからです。
光秀にとって足利義昭を担ぐという大義名分は諸将を味方に付けるには格好の材料です。その効果が絶大であれば、本当にそうしてもよいと考えたでしょう。しかし、それを「政権構想」と呼ぶのはあまりに「史料からの距離感」があり過ぎます。
明智光秀が本能寺の変のあとに反信長勢力に足利義昭の上洛を支援するように要請した書状の原本が見付かったとのニュースが流れています。
>>> 毎日新聞ニュース
この書状についてはかなり以前に今回の原本発見者である三重大学教授藤田達生氏が著書で取り上げて、足利義昭黒幕説の証拠としてきたものです。今回は原本が発見されたというだけの話なので、特に目新しいものではありません。おそらく研究界でも冷やかに見られていると思います。
というのも、この書状が書かれる以前には光秀が義昭を担ごうとした証拠も形跡も一切ないからです。義昭を庇護していた毛利氏も本能寺の変後に光秀の謀反に加担しようとした形跡が一切ありません。それどころか本能寺の変の正確な情報すらつかめていなかったのです。この評価については私だけでなく(珍しく)研究界の大勢を占めています。
諸々の証拠から総合判断すれば、この書状は「光秀が味方確保のために使った方便」に過ぎないというのが「歴史捜査」の結論になります。今回のニュースは一片の「証拠」とされるものを振りかざす従来型の研究姿勢の事例として受け取ればよいかと思います。「歴史捜査」については下記の記事をご覧ください。
>>> 証拠積み上げ歴史に新説(神戸新聞記事)
いかに本能寺の変は間違った考え方と間違ったやり方で議論されてきたかは拙著『「本能寺の変」は変だ!』文芸社をお読みいただければ、ご理解いただけると思います。
私が主張しているのは「蓋然性を高めること」、言い換えると「史料との距離感を縮めること」です。たとえば、何の史料の裏付けもない「秀吉黒幕説」は蓋然性ゼロです。黒田官兵衛が京都で何か画策した裏付け史料がありますか? 前述のニュースもほぼ同様であり、これひとつがわずかな証拠ということです。逆に足利義昭黒幕説を否定する証拠(警察用語で消極証拠といいます)がたくさんあるにもかかわらず、これを証拠として説を主張するのは冤罪作りとしか言えません。
そして、もうひとつ大事なことは「戦国武将の常識である孫呉兵術を学んでから考える」こと。「兵は詭道なり」「戦わずして勝つのが最善」といった基礎知識なしに武将の考えていたことを類推しても「闇夜に鉄砲」です。当るわけがない。秀吉が直接信長殺しの手を下す必要はまったくない、彼にはもっとうまい手がある、と気付くだけの知識は最低限学ぶべきです。あれこれ推理するのはそれからです。
光秀にとって足利義昭を担ぐという大義名分は諸将を味方に付けるには格好の材料です。その効果が絶大であれば、本当にそうしてもよいと考えたでしょう。しかし、それを「政権構想」と呼ぶのはあまりに「史料からの距離感」があり過ぎます。