「本能寺の変と九州が関係するの?」とびっくりするお話をいたします。小倉市周辺にお住まいの方は今からでもお申込みください。
北九州市小倉で「本能寺の変427年目の真実と北部九州のかかわり」というテーマで講演いたします。
日時 2013年11月22日(金)17:30-19:30
会費 1000円
会場 TKP小倉シティセンター
小倉北区馬借町1-39クエスト第2ビル5階
主催 かんもん北九 . . . 本文を読む
>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実明智 憲三郎文芸社
【2013年10月31日追記】
明智光秀の墓と称するものは各地にありますが、正真正銘なのが京都三条東山・白川筋の「明智光秀首塚」です。
★ 明智光秀首塚の歴史捜査
代々この首塚を祀ってきた和菓子屋さんの餅寅さん。今も元気な女将さんと律儀なお父さんが守ってくださっています。
★ . . . 本文を読む
>>> 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者のひとこと集
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」読者書評
>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
2015年5月現在では『本能寺の変 四二七年目の真実』に四年間の追加捜査結果を加筆 . . . 本文を読む
【2013年10月25日追記】
1年以上前に下記の2012年6月1日記事を書きましたが、インターネット上では相変わらず「見付らなかった信長の遺体の謎」が話題になっているようです。
新聞やテレビのニュースで火事の報道を見たら即わかることが何で謎なんでしょう?!?!?
ボヤ程度でも焼死体はDNA鑑定しなければ身元が特定できません。火事の報道ではその家に住んでいた人がわかっていても、必ず「焼死体の . . . 本文を読む
学会レベルでは「明智系図はどれも信用できない」(高柳光寿『明智光秀』)として無視され、一方、歴史愛好家の間では実に様々なことが唱えられて混迷を極めている明智系図研究。その歴史捜査結果を9回に分けて書いてきました。今回は、最終回としてこの歴史捜査を通じて感じたことを書きたいと思います。
★ 明智系図の歴史捜査1:ここにも明智軍記汚染
★ 明智系図の歴史捜査2:明智軍記汚染の実態
★ 明智系図 . . . 本文を読む
玄琳の書いたA5続群書類従・明智系図の謎について2回に分けて推理してきました。その結果、やはり玄琳の「書き足し」部分の信憑性は低く、光秀の子の記述も出鱈目とみるのがよさそうです。
★ 明智系図の歴史捜査6:玄琳作明智系図の謎
★ 明智系図の歴史捜査7:玄琳作明智系図の謎解き
そうすると、信憑性のある系図群であるA系の頼基・頼重系には光秀の子の書かれた系図がないことになります。これ以上の捜 . . . 本文を読む
垣根涼介氏『光秀の定理(レンマ)』が拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で提示した歴史の真実を取り入れた史上初の画期的な本であることをブログに書きました。
★ 『画期的歴史小説・垣根涼介『光秀の定理』
★ 垣根涼介『光秀の定理』書評
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者のひとこと集
大変面白く読んだ本でしたが、鍵として使われている確率論が本当なのかどうか釈然とせずに、ずっと気になっ . . . 本文を読む
前回の謎解きで玄琳作のB5続群書類従・明智系図の「書き足し」部分の信ぴょう性が低いことがわかりました。
ところが光秀の子・光慶が生き延びて玄琳となったいう説を唱える人がいます。Wikidediaの記述をみてみましょう。
光秀の長男の十五郎光慶は、父に従い本能寺の変や山崎の戦いに参加し、坂本城で自害したとも、亀山城で亡くなったともいわれ、はっきりしていない。生き延びて、京都妙心寺の住職玄琳に . . . 本文を読む
前回は、光秀の子と自称する玄琳(げんりん)の書いたA5続群書類従・明智系図には余りにも出鱈目な部分とA2寛永諸家系図伝・土岐系図の原典となったとみられる信ぴょう性高い部分とが混在しているという謎があることを書きました。
★ 明智系図の歴史捜査6:玄琳作明智系図の謎
なぜ、そのようなことが起きたのかを推理してみましょう。かなり長文になってしまいましたが、お付き合いよろしくお願いいたします。
. . . 本文を読む
前回は信憑性ある土岐明智氏の系図の復元を行いました。
★ 明智系図の歴史捜査5:土岐明智氏系図の復元
そこには、光秀へのつながりが付けられていません。残念ながら現時点では信ぴょう性ある史料が見付かっていませんので、一旦、捜査の結論をそこで打ち止めてけじめをつけておきました。
さて、ここから次のステップです。今回から「光秀とその子」の系図を追ってみます。
A系の系図に光秀とその子の書かれ . . . 本文を読む
前2回で土岐明智氏の系図としては「明智系図の歴史捜査1」で書いたA2寛永諸家系図伝・土岐系図とA1尊卑分脈・土岐系図の信憑性が格段に高いこと、そして両系図は途中の頼秀で接合できることを解明しました。
★ 明智系図の歴史捜査3:土岐明智氏の公式系図
★ 明智系図の歴史捜査4:別系統の土岐明智氏系図
この二つの系図を接合して書いたものが、この写真です。これが信憑性の高い「土岐明智氏系図」とし . . . 本文を読む
>>>光秀子孫が解いた垣根涼介『光秀の定理』の確率論
>>>垣根涼介『光秀の定理』書評
垣根涼介著『光秀の定理(レンマ)』(角川書店)を一足早く8月に読ませていただきました。
8月末までに片付けねばならない仕事があり、角川書店さんから届いた本を来月になって読むことにしていたのですが、感触をつかむために出だしの何頁か読んでみたら、やめられなくなって、とうとう最後まで読み通してしまいました。 . . . 本文を読む
土岐明智氏の系図としては「明智系図の歴史捜査1」に書いたA系の系図を研究すべきです。前回はA2寛永諸家系図伝・土岐系図が最も信憑性が高い系図であることを説明しました。
★ 明智系図の歴史捜査3:土岐明智氏の公式系図
この系図と並んで信憑性が高い系図がもうひとつあります。A1尊卑分脈・明智系図です。『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』は南北朝時代から室町時代初期に完成したもので、編者は公家の洞院 . . . 本文を読む
「明智系図はどれも信用できない」と高柳光寿氏が『明智光秀』に書いたことにより、明智系図研究は完全に停滞してしまいました。ところが、様々ある明智系図の中には信用度がピンからキリまで存在するのです。前2回はキリについて述べましたが、今回はピンについて述べます。
★ 明智系図の歴史捜査1:ここにも明智軍記汚染
★ 明智系図の歴史捜査2:明智軍記汚染の実態
徳川家康の家臣に菅沼定政と名乗る人物が . . . 本文を読む
前回は明智系図の分類と、その中でのB系の頼清・頼兼系が『明智軍記』に汚染されたものだという捜査結果をご説明しました。
★ 明智系図の歴史捜査1:ここにも明智軍記汚染
今回はもう少し詳しくB系の各系図と『明智軍記』の記述を比較して、汚染の実態を明らかにしてみましょう。
『明智軍記』には光秀の家系について以下のように記述されています。
【明智軍記要約】
明智兵庫助光安・入道宗宿は土岐の庶流 . . . 本文を読む