本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

「千思万考」黒鉄ヒロシ氏の本能寺の変

2012年08月30日 | 427年目からの挑戦
 8月26日(日)12:00に私のブログのアクセスが急増しました。普段10人/時程度のエントリーなのに一挙に120人に増えました。何があったのかと思ったら、テレビ朝日サンデースクランブルの黒鉄ヒロシ氏「千思万考」コーナーで「本能寺の変の真実」について放送していたことがわかりました。  私は直接見たわけではないのですが、放送を見た友人から黒鉄氏がアビラ・ヒロン『日本王国記』に書かれている織田信長の「 . . . 本文を読む

ソフトウェア開発技術の講演のお知らせ

2012年08月16日 | 427年目からの挑戦
 8月22日(水)にIT経営改革研究会で短時間(30分)ですが、「オフショア開発を成功させる文書化技術~ 国外のソフトハウスから評判の悪い発注仕様書はこのままでよいのか? ~」の講演をさせていただくことになりました。  ★ 詳細はこちら  7月の三菱電機関係会社(神戸)での「製造業としてのソフトウェア開発技術」講演に引き続き、「本能寺の変」ではなく「ソフトウェア開発技術」がテーマの講演会です。 . . . 本文を読む

土岐氏解説集(土岐氏を知らずして本能寺の変は語れない!)

2012年08月10日 | 謎はこうして解けた!
【2012年3月17日 追記】  土岐氏を知らずして光秀謀反の動機はわからない!  これが私の歴史捜査の結論とも言えます。本能寺の変の研究本で土岐氏について言及したものはこれまでにありません。だから、427年間も本能寺の変の謎が解けなかったのです。  光秀は謀反の成功を祈願して愛宕神社に連歌(れんが)を奉納しました。愛宕百韻(あたごひゃくいん)と呼ばれるものです。その発句で光秀は次の句を詠みました . . . 本文を読む

「春日局は家光の生母」の歴史捜査(続き)

2012年08月09日 | 歴史捜査レポート
 江戸城に存在した紅葉山文庫の蔵書である『松のさかへ』という本に徳川三代将軍家光の生母が春日局であると書かれていることを先日のブログに書きました。  ★ 「春日局は家光の生母」の歴史捜査  本日、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の読者から頂いた資料類を整理していたら、春日局が家光の生母であると書いた史料がもうひとつあることがわかりました。以前、一度目を通した資料に書かれていたのですが、その時 . . . 本文を読む

明智光秀の首塚の歴史捜査

2012年08月09日 | 歴史捜査レポート
 明智光秀の首塚は京都亀岡市谷性寺(こくしょうじ)と京都東山三条白川筋(写真)との二か所にあります。首が二つあるわけではないので、そのいわれが前々から気になっていました。  先日、谷性寺にお参りした際にいただいたお寺のパンフレットには次のようにいわれが書かれています。  『天正十年(一五八二)光秀公、秀吉の軍と山崎の戦いで敗れ、坂本城に向かう途中山科小栗栖に於いて土民に襲わる。  溝尾庄兵衛、公の . . . 本文を読む

明智左馬助光春の名前の捜査

2012年08月07日 | 歴史捜査レポート
 歴史好きの人なら良くご存じの明智左馬助光春。山崎合戦の敗戦を知ると、占拠していた安土城を撤収し、光秀の居城・坂本城へ戻り、城に火を放って自刃したと『明智軍記』に書かれています。また、『絵本太閤記』では坂本城へ戻る際に、馬で琵琶湖を渡ったという有名な「湖水渡り」の逸話を創っています。  しかし、明智左馬助光春という人物の名前は軍記物が作ったものであって、この人物の本当の名前は三宅弥平次秀満であり、 . . . 本文を読む