さて、通説となっている信長のうつけぶりは本当だったのでしょうか?
例によって後世に書かれた軍記物の創作ではないのかと疑問が生じます。
ところが、信長のうつけぶりを書いたのは太田牛一『信長公記』なのです。
信長は髪を茶筅髷に結い、紅や萌黄の糸で巻き立てるなど異様な姿をし、町中を餅をほおばりながら、人に寄り掛かったり人の肩につら下がったりして歩いたことなどが書かれており、「大うつけとより外に申さ . . . 本文を読む
織田信長が本能寺で光秀の謀反と知ったときに言った言葉として「是非に及ばず!」という言葉は余りにも有名です。
しかし、この言葉にも問題があります。
と私が書くと、これも光秀の「敵は本能寺にあり」と同じで本当は「信長は言わなかったのか!?」と思われるかもしれません。
★ 「敵は本能寺にあり」を斬る!
大丈夫です!
信長のこの言葉の裏付けはかなり確かなものです。
この言葉は信長の家臣・太 . . . 本文を読む