本日、久しぶりに国会図書館へ行ってきました。目的は高柳光壽氏の著書『明智光秀』で参考文献にあげている『浅野家文書』の山崎の合戦についての記事のコピーをとることと、美濃源氏フォーラムでの講演準備として『永禄六年諸役人附』のコピーをとることでした。
国会図書館のご利用案内を兼ねて、本日の私の行動をご紹介いたします。
国会図書館へ行くのは実に2005年以来の5年ぶりのことです。当時本能寺の変の謎 . . . 本文を読む
前回の「定説の根拠を斬る!」シリーズで「今回がこのシリーズの最終回」と書いてしまいました。
★ 定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
大事なことを忘れていました。そもそも、このシリーズを始めたきっかけが光秀の山崎の合戦での敗北後の行動とその死についての定説がおかしい!ということだったのです。その話を整理して書かずして、このシリーズを閉じるわけにはいかなかったのです。
全ての端緒はこの5月に . . . 本文を読む
土岐商が全国高校野球選手権岐阜県大会に優勝して5年ぶり3度目の甲子園出場を決めたとの事です。おめでとうございます。
★ 岐阜新聞電子号外2010年7月26日
5年前というと、まだ土岐氏の重要性に私も十分に気付いていなかったのでしょうか。当時、土岐商の甲子園出場の記憶がありません。しかし、今はとても感慨深いです。土岐商の甲子園での活躍を祈ります。
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は!
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昨日吉祥寺の武蔵野商工会館での講演会を無事終了しました。暑い最中にもかかわらず60人ほどの方々に熱心に聴講していただきました。安田塾長の「歴史を考える」講話と私の講演・質疑応答含めて、都合3時間の長丁場でしたが、皆さんに最後までお付き合いいただきました。また一歩、よき理解者の輪が広がりました。
安田塾長は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』を3回も読んだとのことで激賞していただきました。今まで . . . 本文を読む
>>> 本能寺の変の定説は打破された!
光秀謀反とは直接関係ないように見えて、実はその動機や細川藤孝との関係を考える上で重要なのが「光秀は信長に仕える前に朝倉義景に仕えていた」という通説です。
実は、この通説は歴史研究界から信憑性を全面否定されている『明智軍記』に書かれている説なのですが、どういうわけか本能寺の変研究では定説として固まってしまっています。
★ Wikipe . . . 本文を読む
前回の記載から1ヶ月たちました。余りに体力が落ちてしまったので、鉄アレイ・腹筋運動と蛋白質摂取に心がけました。緊急処置としてアミノ・バイタルを2週間ほど毎日飲みました。
効果はかなり顕著に出ています。体重は72キロを越えて増量気味ですが、「バテ感」はすっかり消えました。やはり、ガス欠状態だったのでしょう。今日は暑い中でゴルフをして、久しぶりにそこそこスコアが出ましたし、思いきってボールをたたく . . . 本文を読む
定説となっている「神君伊賀越え」の根拠がいかに脆弱なものであるかを2回にわたってみてきました。今回が最終回になります。
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
世の中に広まっていた通説を史実として認定して定説にしたのは高柳光寿氏が50年前に書いた本能寺の変研究のバイブル『明智光秀』です。高柳氏は「神君伊賀越え」が極めて困難なものであったこと . . . 本文を読む
軍記物によって広まった「神君伊賀越え」の通説は、徳川家康が堺から命からがら三河まで逃げ帰ったこと、同行していた穴山梅雪が一揆によって殺されたこと、そして家康が光秀に対して敵対行動に出たことでした。これを史実として定説にしたのが高柳光寿氏の名著中の名著とされる『明智光秀』でした。
しかし、その根拠は実に脆弱なものです。前回は「穴山梅雪が一揆に殺された」という定説の根拠を斬りました。
★ 定説の . . . 本文を読む
>>> 本能寺の変の定説は打破された!
>>> 「織田信長」の虚像を暴く!『信長脳を歴史捜査せよ!』
本能寺の変が勃発すると堺にいた徳川家康一行は直ちに脱出を図り、途中一揆に襲われながらも伊賀を越えて三河の岡崎まで命からがらたどり着いた。一行に同行していた穴山梅雪(あなやま・ばいせつ)は家康一行と離れたため一揆に殺された。岡崎に帰りついた家康は光秀討ちに動こうとしたが「中国大返し」をし . . . 本文を読む