【2015年9月2日追記】
「蒔田の吉良歴史研究会」のホームページが開設されました。吉良家・蒔田家の御子孫の方の目にとまって、会の事務局へご連絡いただけると幸いです。
>>> 蒔田の吉良歴史研究会のホームページ
そして、蒔田の吉良家と私の奇縁が判明しました。私が生まれてから30歳まで過ごした東京都世田谷区の九品仏(くほんぶつ)。その地が蒔田の吉良家の領地だったのです!
>>> 九品仏の由来の説明ページ
説明ページに書かれている九品仏のお寺(浄真寺)、池などは幼い頃の遊び場でした。幼稚園は浄真寺付属の幼稚園に通っていました。懐かしいですね。そうとは知らず、生まれた時から蒔田の吉良さんとはご縁があったのです。
【2013年10月9日追記】
ご紹介した旅館松島の女将さんからご連絡をいただきました。活動が広がっているようですので、ご紹介いたします。
1.蒔田の吉良歴史研究会発足
標記の会が発足したとのことです。会長は斉藤つよし氏(横浜歴史研究会会員)。会員募集中です。
2.愛知の吉良町を訪ねる1泊の旅
同会企画で10月21日(月)1泊2食・昼食2回付25,000円の旅行の募集が行われています。詳しいことと申込みは下記まで。
蒔田の吉良歴史研究会事務局
水野嘉和(横浜歴史研究会会員)
TEL045-741-2983 FAX045-741-2975
旅館松島 女将・島田紀子(同会会員)
TEL045-731-2720 FAX045-731-0204
● 蒔田の吉良氏の解説ページ
【2012年11月3日追記】
8月10日の記事で吉良家のご子孫を横浜の蒔田町の旅館の女将さんが探していることをお知らせしました。
コメント欄におひとりだけ「そうかもしれない」と応答がありましたが、残念ながら確証を得ることはできませんでした。facebookに登録されている6名の吉良さんにもメッセージをお送りしましたが、お礼のメッセージが1名の方から返ってきただけでした。また、私と同じマンションにお住いの吉良さんにもご連絡しましたが、「該当しない」とのことでした。
全く成果なしと思っていたのですが、土岐会でお付き合いのある山田哲司さんが心当たりをあたって調べてくださり、明治時代に千葉県睦沢町へ移った蒔田家の分家の方と連絡が付いたとのことです。ともあれ、ほっとしました。
山田さんの調査によれば、「足利義持の頃の古文書にある蒔田郷が蒔田の初見で、現在の横浜英和女学院の所に蒔田城があり、城主吉良頼康は吉良上野介義央の先祖にあたる。吉良家は足利氏の嫡男左馬頭義氏の子の義継が三河国 吉良荘で初めて吉良姓を名乗った。以後、代々守護職として足利将軍の重臣をつとめた(西の吉良家)。吉良左兵衛佐成高が鎌倉公方足利持氏より世田谷区と蒔田に土地を賜り、成高が世田谷城を築城すると、子頼康が蒔田に築城し住んだ(東の吉良家)。 (以上、宝生寺文書による)
江戸幕府から東の吉良家は蒔田を名乗るように命じられ 蒔田を名乗ったが、西の吉良本家は47士討ち入り事件後 取りつぶしになった」とのことです。
ご自分の先祖に興味があっても、ルーツをたどれないでもどかしい思いの方も多いかと思います。そのような方に参考になる先祖調査の具体的な方法を書いたブログを以下にご紹介しておきます。
★ 先祖調査の方法 ちょっと具体的に
【2012年8月10日記事】
忠臣蔵で評判の悪い吉良上野介。その上野介の吉良本家は赤穂浪士の討ち入りでお家断絶しましたが、分家は存続し江戸幕府から横浜南区の蒔田(まいた)町に領地をもらって、東京の世田谷から移り住んだとのことです。
東京新聞2012年8月4日朝刊に蒔田町の旅館の女将さんが吉良分家のご子孫の方を探しているという記事が掲載されていました。先祖の無念を晴らすためにも名乗り出ていただけるとよいのですが。
記事によれば、蒔田町の吉良分家は明治時代に千葉県睦沢町へ移る一方、家を継ぐ男子がいなくなり、交流があった世田谷で、当時の東京市議を務めた故鈴木堅次郎氏に家名を預けたとのことです。
皆様、お知り合いに吉良さん、千葉・横浜に地縁のある蒔田さんがいらっしゃれば、是非この情報をお伝えください。

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『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
また、読者の書評はこちらです。
>>>トップページ
>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
「蒔田の吉良歴史研究会」のホームページが開設されました。吉良家・蒔田家の御子孫の方の目にとまって、会の事務局へご連絡いただけると幸いです。
>>> 蒔田の吉良歴史研究会のホームページ
そして、蒔田の吉良家と私の奇縁が判明しました。私が生まれてから30歳まで過ごした東京都世田谷区の九品仏(くほんぶつ)。その地が蒔田の吉良家の領地だったのです!
>>> 九品仏の由来の説明ページ
説明ページに書かれている九品仏のお寺(浄真寺)、池などは幼い頃の遊び場でした。幼稚園は浄真寺付属の幼稚園に通っていました。懐かしいですね。そうとは知らず、生まれた時から蒔田の吉良さんとはご縁があったのです。
【2013年10月9日追記】
ご紹介した旅館松島の女将さんからご連絡をいただきました。活動が広がっているようですので、ご紹介いたします。
1.蒔田の吉良歴史研究会発足
標記の会が発足したとのことです。会長は斉藤つよし氏(横浜歴史研究会会員)。会員募集中です。
2.愛知の吉良町を訪ねる1泊の旅
同会企画で10月21日(月)1泊2食・昼食2回付25,000円の旅行の募集が行われています。詳しいことと申込みは下記まで。
蒔田の吉良歴史研究会事務局
水野嘉和(横浜歴史研究会会員)
TEL045-741-2983 FAX045-741-2975
旅館松島 女将・島田紀子(同会会員)
TEL045-731-2720 FAX045-731-0204
● 蒔田の吉良氏の解説ページ
【2012年11月3日追記】
8月10日の記事で吉良家のご子孫を横浜の蒔田町の旅館の女将さんが探していることをお知らせしました。
コメント欄におひとりだけ「そうかもしれない」と応答がありましたが、残念ながら確証を得ることはできませんでした。facebookに登録されている6名の吉良さんにもメッセージをお送りしましたが、お礼のメッセージが1名の方から返ってきただけでした。また、私と同じマンションにお住いの吉良さんにもご連絡しましたが、「該当しない」とのことでした。
全く成果なしと思っていたのですが、土岐会でお付き合いのある山田哲司さんが心当たりをあたって調べてくださり、明治時代に千葉県睦沢町へ移った蒔田家の分家の方と連絡が付いたとのことです。ともあれ、ほっとしました。
山田さんの調査によれば、「足利義持の頃の古文書にある蒔田郷が蒔田の初見で、現在の横浜英和女学院の所に蒔田城があり、城主吉良頼康は吉良上野介義央の先祖にあたる。吉良家は足利氏の嫡男左馬頭義氏の子の義継が三河国 吉良荘で初めて吉良姓を名乗った。以後、代々守護職として足利将軍の重臣をつとめた(西の吉良家)。吉良左兵衛佐成高が鎌倉公方足利持氏より世田谷区と蒔田に土地を賜り、成高が世田谷城を築城すると、子頼康が蒔田に築城し住んだ(東の吉良家)。 (以上、宝生寺文書による)
江戸幕府から東の吉良家は蒔田を名乗るように命じられ 蒔田を名乗ったが、西の吉良本家は47士討ち入り事件後 取りつぶしになった」とのことです。
ご自分の先祖に興味があっても、ルーツをたどれないでもどかしい思いの方も多いかと思います。そのような方に参考になる先祖調査の具体的な方法を書いたブログを以下にご紹介しておきます。
★ 先祖調査の方法 ちょっと具体的に
【2012年8月10日記事】
忠臣蔵で評判の悪い吉良上野介。その上野介の吉良本家は赤穂浪士の討ち入りでお家断絶しましたが、分家は存続し江戸幕府から横浜南区の蒔田(まいた)町に領地をもらって、東京の世田谷から移り住んだとのことです。
東京新聞2012年8月4日朝刊に蒔田町の旅館の女将さんが吉良分家のご子孫の方を探しているという記事が掲載されていました。先祖の無念を晴らすためにも名乗り出ていただけるとよいのですが。
記事によれば、蒔田町の吉良分家は明治時代に千葉県睦沢町へ移る一方、家を継ぐ男子がいなくなり、交流があった世田谷で、当時の東京市議を務めた故鈴木堅次郎氏に家名を預けたとのことです。
皆様、お知り合いに吉良さん、千葉・横浜に地縁のある蒔田さんがいらっしゃれば、是非この情報をお伝えください。

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また、読者の書評はこちらです。
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私の旧姓は「蒔田」です。
残念ながら祖父が戦争孤児で千葉か横浜に地縁があるかどうか、先祖がどういう家柄だったかもわからないです。
一応東京出身で千葉からも横浜からも近いですが。
おそらく我が家とは関係ないと思いますし
今更証明のしようもないですが
とても興味深い記事でした。
ありがとうございます。
以下のページに先祖調査を実践された方の方法が書かれていますのでご紹介いたします。いぜれにせよ、ルーツ探しは焦らず、急がず、あきらめずに継続していくことが大事だと思います。
http://blog.goo.ne.jp/hajime1844/e/544f1ef36d39a9d0d4b22084845de39a
紹介していただいたリンク先を参考に先祖調査をしてみたいと思います。
ありがとうございました。
(息子である父にはついていません)
家紋は、昔父親に「コレだと思うんだけど・・・」と聞いたのは丸が沢山ある家紋でした。
中心に大きい円があり、その周りをいくつかの小さい丸で囲む感じの家紋です。
ただ、祖父の記憶は子供の頃のものですし、その家紋も確かなものかどうか怪しいと父は言っていました。
孤児になる以前はかなり裕福な生活をしていたと祖父が言っていたようですが、父曰くは、「オヤジは見栄っ張りだった」とのことですので、どこかで話を盛っているのでは、と話半分で聞いていたようです。
わざわざ調べていただいてありがとうございました。
お父様の記憶にある家紋は九曜紋のようです。千葉氏が用いたとのことなので、千葉県ではよく見かける家紋だったのかもしれませんね。
http://www.harimaya.com/kamon/column/hosi.html
気長に、あきらめずにルーツ探しを継続するのがよいと思います。
蒔田 信之
045-731-2720
http://www.r-matsushima.com/