【2012年12月21日更新】
『本能寺の変 四二七年目の真実』著者のブログです。通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。
このページはブログの1章の目次です
ブログは作成順に配列されますので、基本的に読んでいただきたい順番とは逆の順になってしまいます。そこで、カテゴリー別に読んでいただきたい順を以下に目次としてご案内させていただきます。
マークが今回更新した記事です。
◎このブログのガイド
このブログのご説明 2011.3.31更新←初めにお読みください!
ブログ始めました! 2010.1.2
明智憲三郎のプロフィール 2012.11.14追記
『本能寺の変 四二七年目の真実』あらすじ 2012.11.29更新
『本能寺の変 四二七年目の真実』出版のお知らせ 2010.8.24
「光秀子孫が解き明かす驚愕の本能寺の変」講演要旨 2012.3.4
【このブログの目次】
目次1:このブログのガイド (このページです)
目次2:通説・俗説・虚説を斬る!
目次3:427年目からの挑戦
目次4:歴史捜査レポート
目次4続き:大河ドラマ「江」の歴史捜査
目次5:謎はこうして解けた!
◎トップページ
***************************************
『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
また、読者の書評はこちらです。
>>>トップページ
>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
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今後とも宜しくお願いいたします。
書き込みありがとうございます。
最近、スコアが伸び悩んでいます。理論は右手のゴルフで間違いないと思っていますが、体がついていっていないようです。62歳という年齢のせいにはしたくなく、なんとしてもスコアを伸ばしたいと思っていますので、コーチをよろしくお願いいたします。勉強させていただける機会があれば是非ご紹介ください。
まだまだ突き詰めるべき真実の底は深いと考えておりますので、いろいろご意見をいただけると幸いです。歴史の真実の蓋然性を高めること(歴史捜査)の道はまだまだ先があると思っています。
でも、私は歴史の真実を追究しております。光秀の本当の前半生を明らかにしたいと考えています。それが光秀謀反につながるからと思いますので。
その思いに美濃源氏フォーラムがご支援くださり。9月18日にシンポジウムを開催してくださることになりました。様々なご意見が出ると思いますが、新しい時代につながる議論ができればよいと思っています。
明智光秀公シンポジウム
土岐一族明智光秀公伝説の謎を追う
会場 瑞浪市総合文化センター http://www14.ocn.ne.jp/~bureyko/page007.html
先生の御著書や後援会で、「明智光秀は、通説55歳より年配だった」という御説を伺って、ちょっと悩んでいる事があります。別に、「違う!」と言いたい訳ではないのですが。
「兼見卿記」元亀2年11月に、兼見の父・兼右氏が、遠出しようとしたが、止められました。
細川藤孝、藤孝義兄、そして明智光秀の3者かと思います)
老齢すぎる、という理由だったと思います。が、結局、兼見パパは、外出を強行しました。2年後に、亡くなられています。
当代記の「光秀さん67歳のほうが、真実に近いのでは?」との、明智先生の御説はよく解るのですが、光秀さんが享年67だと、この吉田兼右氏と同年代になってしまいます。(兼見、藤孝、信長3者の”父”に近いご年齢?)
明智光秀氏、本当は、おいくつだったのだ?と、考え込んでしまいました。
正室。煕子さんと、ガラシャさん他、子供達との年齢差も気になります。女性は、出産可能年齢がありますし…
考えれば考えるほど、袋小路にはまってゆく気がします。
先生の、御調査が進展する事を願っております。
ところが、光秀の享年が67歳という記述は武田攻めから信長一行が家康領を通って帰ったときの記述に書き加えられた「光秀は高齢につき信長の宿舎のそばに宿舎を用意された」という記述と合わせて書き加えられたとみられます。
なぜ、どういった意図でこのような追記がなされたのかという疑問と合わせて、本当に67歳だったのかという疑問は残ります。
光秀の前半生と並んで、このことは光秀謀反の背景をなすものとして重要と見ていますが、まだまだ深堀りが必要と考えています。引き続き研究を続けていきますので、ご期待ください。大変よいご指摘をいただきありがとうございました。
「当代記」も、記述が信用ならない、と聞いた事があります。
そう考えると、本当に大変な作業ですね。
先生の調査で、事実が多く発見される事を願っております!