本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

ほらの達人 秀吉・「中国大返し」考

2019年05月14日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 本能寺の変の定説となっていて歴史学界が必死に護持しようとしている怨恨説も野望説もどちらも豊臣秀吉が家臣に書かせた『惟任退治記』に初めて書かせたもので、それをもとに江戸時代に大量の物語(軍記物)が逸話を創作したという明確な事実を歴史学者はまったく無視し続けています。この事実を拙著で指摘してから10年たちました.実に嘆かわしい状況としか言いようがありません。歴史学者は権力者のフェイクに弱いようです。
 >>> 軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
 >>> 惟任退治記を無視し続ける歴史学界の解説

 ようやく『惟任退治記』のフェイクを暴いた歴史学者が現れました。九州大学の服部英雄前教授(現くまもと文学・歴史館長)です。これも定説となっている秀吉の中国大返しの日程がフェイクであることを暴いています。同様の研究者の出現を期待します。
 >>> 服部英雄氏の論文

 >>> 「春日局は徳川家光の実母」も裏付けられました!
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 織田信長はサイコパスではありません。それどころか、高度な戦略・戦術家であり、彼の事績をきちんと調べれば、奇行とされることにも、すべて戦略・戦術上の理由があります。そのことは『織田信長 435年目の真実』幻冬舎をお読みいただければ理解できます。
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問 信長は中国(明)を攻めようとしていたのか?
 当時、日本に来ていたイエズス会宣教師の報告書にそう書かれています。「信長は毛利に勝利したら、一大艦隊を編成して明へ攻めこむ考えである」と。日本国内にはそう書いた史料が存在していないのですが、十年後に豊臣秀吉が唐入り(中国侵攻)の準備を始める際に、イエズス会に対して東シナ海を渡れる軍船とその操縦のできる航海士の提供を求めたことから考えると、信長の唐入りの意思がイエズス会のみに伝わったのも同じ理由からだと気付くでしょう。当時の日本にはそのような大型の軍船も航海士も存在しなかったのです。
 秀吉の唐入りの目的をイエズス会宣教師は「天下を統一して国内に新たな土地が無くなったので、家臣に与える土地を中国で確保するため」であるが、「これは表向きの目的で、本当の狙いは国内に置いておくと将来危険な人物を国外へ放逐するため」と分析しています。これは信長も同じだったでしょう。天下をとるような人物(天下人)は他人よりもはるかに先を読んで手を打っていたのです。
 イエズス会宣教師は秀吉の唐入りのニュースが伝わると日本中がパニックに陥ったと書いています。見も知らない国へ攻め込むのは死に行くようなものだと考え、きっと有力な武将が謀反を起こすとか、各地で謀反が起きるといった噂が乱れ飛んだとのことです。イエズス会宣教師が「謀反」という言葉を書いた事案はこれだけです。明智光秀が信長の唐入りを知ったら、どう考えたでしょう。当時の光秀の立場に立って考えてみてください。

問 信長はどうして家康を討とうとしたのか?
 戦国武将は自分の一族の生き残りを自分の責任として、その責任を果たすために最善を尽くして必死に生きていました。信長にとっては、その行きつく先が天下統一であり、唐入りだったのです。彼らが責任を負っていたのは自分一代のみのことではなく、子や孫や子孫代々への責任をも負っていました。
このことは先祖や子孫への感性が薄れた現代人にはピンと来ないことかもしれません。平家物語の描く悲劇は平清盛が自分一代で栄華を極めながら、自分の死後に一族滅亡をもたらしたことでした。琵琶法師の語る平家物語の悲劇を通じて、「平清盛の轍を踏むな!」が戦国武将の心に深く刻まれていました。
 そうならないように自分が生きている間に最善の手を打っておくことが天下人に求められていました。秦の始皇帝や豊臣秀吉は自分の死後に家臣によって子を殺されて天下を奪われました。彼らは明かに失敗したのです。
 一方、漢の国を建てた劉邦(高祖)は天下を取るとそれまで自分を支えてきた重臣を次々と殺して、四百年続く漢王朝の基礎を作り上げました。徳川家康も豊臣家を滅ぼして徳川の長期政権を築きました。彼らの所業は非情なものでしたが、天下人としては見事に成功したのです。
 このような武将の考え方を理解して歴史を見直すと、武将もずいぶん変わって見えてくると思います。父親の代から織田家と敵対し、祖父も父も信長の父の謀略で殺されたと考えている家康は何を考えたか、そのような家康を信長はどう見たか。彼らの立場に立って、考えてみてください。

 >>> 怨恨・野望・偶発説は完全フェイク
 >>> 隠蔽された謀反の動機


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