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この15年、本能寺の変研究に力を注いできました。それにかけた気力・体力・労力・時間はとてつもないものです。
なぜ、そこまでやったかと考えると、「先祖の起こした事件の真実をどうしても知りたい」という強い思いでした。いくら心地よい話でも、不確かな話では納得できないのです。確かな証拠を探し続けました。
その結果、ようやくたどり着いた光秀の前半生と系譜の真実。実は今まで年次不明とされていた文書や誤った年次に比定されていた文書から新発見があったのです。史料がないとされてきた光秀の前半生ですが、実は史料はあったのです。
私の思いの強さは、現代の殺人事件の被害者家族の「本当のことを知りたい」という思いと共通するものだと考えていましたが、実は「歴史研究者の矜持」のようなものでもあることをイギリス人史家の言葉で知りました。
イギリス人史家アイザイア・バーリンの次の言葉が心に響きます。「私も同じだ!」
歴史の研究とは、ある個人が何らかの理由で現実の社会と、摩擦を生じ敗北感を覚えたとき、そこから現実逃避するため又は立ち直ろうとして、世の中にはたして真実はあるのだろうかと、過去の具象として存在するものの真の存在を追求してゆく血みどろの過程の作業。
すべてを擲って挑んでゆく挫折した者に残された途。つまり執念というか、生きざま死にざまのすべてを賭けて突きこんでゆくもので、歴史解明とは自殺できかねる者が代わりに選ぶ捨て身のゴウである。
このような思いで書き上げられた『光秀からの遺言 436年後の発見』河出書房新社をお読みいただき、光秀の本当の前半生と人物像をお知りになっていただきたいと思います。
>>> 河出書房新社のページ
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」エピローグ
【東京新聞2018年7月21日10面記事】
歴史を捜査する手法は仮説推論法(アブダクション)という手法です。歴史学者の方々の論説を見てると、残念なことに、この手法を理解している歴史学者がいないのではないかと思わざるを得なかったのですが、その手法を理解し、駆使している学者の存在を東京新聞の記事で初めて知りました。どうやら理解していないのは日本中世史の正統派の方々の特殊性のように見受けられます。あるいは古代史でも事情は同じなのかもしれませんが。
>>> 邪馬台国の会:東京新聞の記事
邪馬台国の研究者の安本美典氏です。
記事の中で次のように語っています。安本氏は仮説検証法と書いていますが、仮説推論法と同じものです。
私は仮説検証法という方法を取ります。かつては絶対正しいという公理(前提)を設けて定理に進み議論を展開していたのですが、現代では仮説の前提は絶対に正しいものではなくてもよく、その前提から矛盾のない大きな大系がどれだけできるかによって、価値が決まることになりました。
「ある一部分の事実だけをとりあげて、マスコミ報道に持ち込むという方法をとりません。それは宣伝であって、証明にはなりません」とも語っています。
まことに同感です。
>>> 怨恨・野望・偶発説は完全フェイク
>>> 隠蔽された謀反の動機
なぜ、そこまでやったかと考えると、「先祖の起こした事件の真実をどうしても知りたい」という強い思いでした。いくら心地よい話でも、不確かな話では納得できないのです。確かな証拠を探し続けました。
その結果、ようやくたどり着いた光秀の前半生と系譜の真実。実は今まで年次不明とされていた文書や誤った年次に比定されていた文書から新発見があったのです。史料がないとされてきた光秀の前半生ですが、実は史料はあったのです。
私の思いの強さは、現代の殺人事件の被害者家族の「本当のことを知りたい」という思いと共通するものだと考えていましたが、実は「歴史研究者の矜持」のようなものでもあることをイギリス人史家の言葉で知りました。
イギリス人史家アイザイア・バーリンの次の言葉が心に響きます。「私も同じだ!」
歴史の研究とは、ある個人が何らかの理由で現実の社会と、摩擦を生じ敗北感を覚えたとき、そこから現実逃避するため又は立ち直ろうとして、世の中にはたして真実はあるのだろうかと、過去の具象として存在するものの真の存在を追求してゆく血みどろの過程の作業。
すべてを擲って挑んでゆく挫折した者に残された途。つまり執念というか、生きざま死にざまのすべてを賭けて突きこんでゆくもので、歴史解明とは自殺できかねる者が代わりに選ぶ捨て身のゴウである。
このような思いで書き上げられた『光秀からの遺言 436年後の発見』河出書房新社をお読みいただき、光秀の本当の前半生と人物像をお知りになっていただきたいと思います。
>>> 河出書房新社のページ
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」エピローグ
【東京新聞2018年7月21日10面記事】
歴史を捜査する手法は仮説推論法(アブダクション)という手法です。歴史学者の方々の論説を見てると、残念なことに、この手法を理解している歴史学者がいないのではないかと思わざるを得なかったのですが、その手法を理解し、駆使している学者の存在を東京新聞の記事で初めて知りました。どうやら理解していないのは日本中世史の正統派の方々の特殊性のように見受けられます。あるいは古代史でも事情は同じなのかもしれませんが。
>>> 邪馬台国の会:東京新聞の記事
邪馬台国の研究者の安本美典氏です。
記事の中で次のように語っています。安本氏は仮説検証法と書いていますが、仮説推論法と同じものです。
私は仮説検証法という方法を取ります。かつては絶対正しいという公理(前提)を設けて定理に進み議論を展開していたのですが、現代では仮説の前提は絶対に正しいものではなくてもよく、その前提から矛盾のない大きな大系がどれだけできるかによって、価値が決まることになりました。
「ある一部分の事実だけをとりあげて、マスコミ報道に持ち込むという方法をとりません。それは宣伝であって、証明にはなりません」とも語っています。
まことに同感です。
![]() | 光秀からの遺言: 本能寺の変436年後の発見 |
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>>> 怨恨・野望・偶発説は完全フェイク
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