>>> 本能寺の変の定説は打破された!
本能寺の変の一連のできごとの中で安土城の天主が焼失しました。信長の築いた荘厳な建築物が貴重な文化財とともに灰燼に帰したわけで、まことに残念なことです。
この放火犯が誰だったのか?光秀の娘婿の明智秀満という説もありますが最有力の説は信長の二男信雄(のぶかつ)といわれてきました。ところが、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』では、歴史捜査の結果、真犯人は徳川家康だったと結論付けました。おそらく本能寺の変研究で徳川家康が犯人だと言った人は誰もおらず、私が初めてだと思います。
この捜査結果に驚かれた方も多かったと思います。「そんな馬鹿な!」と思わず口に出された方もいらっしゃたことでしょう。でも私の根拠の説明に納得されたと思います。本ブログでも若干説明させていただきました。
★ 安土城放火・織田信雄冤罪を晴らす!
★ 安土城放火・織田信雄冤罪を晴らす!(続き)
それでは逆に現代の定説となっている織田信雄説の根拠がどれほどしっかりしたものなのかを確認してみましょう。本能寺の変研究界でこの説を定説にしたのは、もちろん高柳光寿氏です。高柳氏とその著『明智光秀』がいかに研究界で権威あるものとなっているかは本ブログで紹介したとおりです。
★ 定説の根拠を斬る!「中国大返し」
それでは、高柳氏が名著中の名著、本能寺の変研究の原点とされる『明智光秀』で書いたことをご紹介しましょう。
「光秀の女婿弥平次秀満は、十三日の夜安土にあって山崎における光秀の敗報に接した。そこで翌十四日未明、全軍をまとめて安土を発して坂本に向かった。このとき秀満は火を放って安土城を焼いたと『秀吉事記』や『太閤記』には書かれている。しかしフロイスの書状によれば安土城は信雄が焼いたといっている。信雄は蒲生賢秀(がもう・かたひで)の子氏郷(うじさと)らと秀満の去った安土にすぐ入ったのであり、『兼見卿記』に安土城の焼失を十五日のこととしていることから考えると、安土城を焼いたのは秀満ではなく、フロイスのいっているように信雄であったであろう。『秀吉事記』の記事は信雄がまだ大きな勢力であった当時にできたものであるから、秀吉と信雄との関係を顧慮して秀満が焼いたようにしているのであろう。『太閤記』は『秀吉事記』によったに過ぎない」
『秀吉事記』とは『惟任退治記』のことであり、ここではこの書が秀吉の意図を反映して書かれていることを根拠にして秀満説を否定しています。この視点があるのであれば、中国大返しの記述を鵜呑みにせず、少し疑っていただければよかったのですが。
★ 定説の根拠を斬る!「中国大返し」
一方で、フロイスの記述は全面的に受け入れてしまっているのはどういうことなのでしょうか。フロイスは当時九州にいたのですから、そのフロイスがどうやって安土城の放火事件の犯人を知りえたのだろうという疑問を持つべきだったと考えます。信雄を犯人とする説を外国人であるフロイスだけが言っていて、国内では全くどこにも書かれていないことも不思議であり、その理由も考えるべきだったと思います。「安土城を焼いたのは秀満ではなく、フロイスのいっているように信雄であったであろう」とした根拠はこのように何もないのです。根拠もなく、ただ権威者が言ったということだけで本能寺の変研究では定説になってしまっているのです。
さて、フロイスの記述についての私の歴史捜査結果は下記の通りです。
安土城を継承すべき信雄が信長の最高の遺産である安土城を放火することは武将の論理としてありえないし、一般常識からみてもありえない。それこそ「そんな馬鹿な!」というべき話である。
信長の死後、イエズス会は布教活動の庇護を秀吉に期待していた。キリシタン大名の高山右近らが山崎の合戦で秀吉に味方して取り立てられていたことが秀吉とイエズス会をつないだ。秀吉と対立する信雄の評判を落とすためフロイス自身が創作したか、あるいは同じ理由でキリシタン大名の誰かが創作した可能性が高い。
いかがでしょうか。織田信雄と徳川家康とどちらが犯人である蓋然性が高いでしょうか。
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「岡田以蔵と毒饅頭」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
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>>> 「本能寺の変 431年目の真実」珠玉の書評
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>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
>>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
>>> 愛宕百韻:桑田忠親・金子拓両博士の怪
本能寺の変の一連のできごとの中で安土城の天主が焼失しました。信長の築いた荘厳な建築物が貴重な文化財とともに灰燼に帰したわけで、まことに残念なことです。
この放火犯が誰だったのか?光秀の娘婿の明智秀満という説もありますが最有力の説は信長の二男信雄(のぶかつ)といわれてきました。ところが、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』では、歴史捜査の結果、真犯人は徳川家康だったと結論付けました。おそらく本能寺の変研究で徳川家康が犯人だと言った人は誰もおらず、私が初めてだと思います。
この捜査結果に驚かれた方も多かったと思います。「そんな馬鹿な!」と思わず口に出された方もいらっしゃたことでしょう。でも私の根拠の説明に納得されたと思います。本ブログでも若干説明させていただきました。
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それでは逆に現代の定説となっている織田信雄説の根拠がどれほどしっかりしたものなのかを確認してみましょう。本能寺の変研究界でこの説を定説にしたのは、もちろん高柳光寿氏です。高柳氏とその著『明智光秀』がいかに研究界で権威あるものとなっているかは本ブログで紹介したとおりです。
★ 定説の根拠を斬る!「中国大返し」
それでは、高柳氏が名著中の名著、本能寺の変研究の原点とされる『明智光秀』で書いたことをご紹介しましょう。
「光秀の女婿弥平次秀満は、十三日の夜安土にあって山崎における光秀の敗報に接した。そこで翌十四日未明、全軍をまとめて安土を発して坂本に向かった。このとき秀満は火を放って安土城を焼いたと『秀吉事記』や『太閤記』には書かれている。しかしフロイスの書状によれば安土城は信雄が焼いたといっている。信雄は蒲生賢秀(がもう・かたひで)の子氏郷(うじさと)らと秀満の去った安土にすぐ入ったのであり、『兼見卿記』に安土城の焼失を十五日のこととしていることから考えると、安土城を焼いたのは秀満ではなく、フロイスのいっているように信雄であったであろう。『秀吉事記』の記事は信雄がまだ大きな勢力であった当時にできたものであるから、秀吉と信雄との関係を顧慮して秀満が焼いたようにしているのであろう。『太閤記』は『秀吉事記』によったに過ぎない」
『秀吉事記』とは『惟任退治記』のことであり、ここではこの書が秀吉の意図を反映して書かれていることを根拠にして秀満説を否定しています。この視点があるのであれば、中国大返しの記述を鵜呑みにせず、少し疑っていただければよかったのですが。
★ 定説の根拠を斬る!「中国大返し」
一方で、フロイスの記述は全面的に受け入れてしまっているのはどういうことなのでしょうか。フロイスは当時九州にいたのですから、そのフロイスがどうやって安土城の放火事件の犯人を知りえたのだろうという疑問を持つべきだったと考えます。信雄を犯人とする説を外国人であるフロイスだけが言っていて、国内では全くどこにも書かれていないことも不思議であり、その理由も考えるべきだったと思います。「安土城を焼いたのは秀満ではなく、フロイスのいっているように信雄であったであろう」とした根拠はこのように何もないのです。根拠もなく、ただ権威者が言ったということだけで本能寺の変研究では定説になってしまっているのです。
さて、フロイスの記述についての私の歴史捜査結果は下記の通りです。
安土城を継承すべき信雄が信長の最高の遺産である安土城を放火することは武将の論理としてありえないし、一般常識からみてもありえない。それこそ「そんな馬鹿な!」というべき話である。
信長の死後、イエズス会は布教活動の庇護を秀吉に期待していた。キリシタン大名の高山右近らが山崎の合戦で秀吉に味方して取り立てられていたことが秀吉とイエズス会をつないだ。秀吉と対立する信雄の評判を落とすためフロイス自身が創作したか、あるいは同じ理由でキリシタン大名の誰かが創作した可能性が高い。
いかがでしょうか。織田信雄と徳川家康とどちらが犯人である蓋然性が高いでしょうか。
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