goo blog サービス終了のお知らせ 

本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

お勧めの一冊:中川太古訳『現代語訳 信長公記』

2013年12月10日 | 427年目からの挑戦
 単行本上下2冊で出版されていた中川太古訳『現代語訳 信長公記』が文庫本になって1,000円(Kindle版655円)で出版されています。
 織田信長の側近くに仕えた太田牛一の書いた『信長公記』が現代語で手軽に読めるようになった価値は高いと思います。
 これを読めば、信長と光秀とは良好な関係にあったことがよくわかります。「信長は光秀をことあるごとに苛めていた」という軍記物の話が頭に詰まっている現代人には目からうろこが落ちるでしょう。
 ただ、残念なこともあります。
 信長の本能寺での最期の言葉「是非に及ばず」が誤訳されていることです。次のように訳されています。
 「やむをえない」と一言。

 『信長公記』の原文は次の通りです。
 
 「是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚(おおせ)のところに、森乱(森乱丸)申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、・・・」

 この文章には大事なことが2つあります。
 一つ目は「是非に及ばず」と「上意(命令)」したということです。この言葉は命令として発せられたものなのです。「やむをえない」という命令はありえません。
 二つ目は「透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ(直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった)」ということです。「やむをえない」とあきらめた人間のすることではありません。
 「命令して戦闘態勢をとった」という文脈からすると「是非に及ばず!」は全く別の意味であることがはっきりわかります。
 くわしくはをこちらのページをお読みください。

 そして、もうひとつ残念なことは、現代語訳した『信長公記』の底本が岡山大学池田家文庫に所蔵されている牛一自筆の原本である「池田家本」でなかったことです。この本は1975年に福武書店から写真複製が出版されています。
 もし、この本を訳していただければ、光秀の詠んだ愛宕百韻の発句として定説となっている「時は今 あめが下知る 五月かな」が、実は違っていた、という真実が世の中に広まったのです


現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
太田 牛一
中経出版

  とはいえ、本能寺の変に関心のある方は是非お読みいただきたいと思います。拙著『本能寺の変 431年目の真実』で主張していることが、より理解しやすくなると思います。
 >>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ


【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫 あ 5-1)
クリエーター情報なし
文芸社


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。