民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「大本営発表」 その2 辻田 真佐憲

2018年01月15日 00時01分28秒 | 雑学知識
 「大本営発表」 その2 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年

 「はじめに」 その1

 大本営発表は、日本メディア史の最暗部である。
 軍部が劣勢をよそに「勝った、勝った」とデタラメな発表を行い、マスコミがそれを無批判に垂れ流す。そして国民は捏造された報道に一喜一憂させられる。かつて日本はこうした暗い時代があった。

 戦後70年以上がすぎてなお、大本営発表が「あてにならない当局の発表」の比喩として盛んに使われている事実は、この体験がいかに比類なく強烈だったのかを物語っている。2011年3月に発生した福島原発事故に関して、経済産業省、原子力安全・保安院、東京電力などの発表が「大本営発表」として批判されたことも記憶に新しい。

 大本営発表とは本来、1937年11月から1945年8月まで、大本営によって行われた戦況の発表である。大本営は日本軍の最高司令部だったため、その内容は基本的に軍事的なものに限られていた。にもかかわらず、その発表が今日ここまで強い印象を残しているのは、そのデタラメぶりがあまりに酷かったからにほかならない。

「大本営発表」 その1 辻田 真佐憲

2018年01月13日 00時34分01秒 | 雑学知識
 「大本営発表」 その1 改鼠・隠蔽・捏造の太平洋戦争 辻田 真佐憲 幻冬舎新書 2016年

 「帯書き」

 信用できない情報の代名詞とされる「大本営発表」。
その由来は、日本軍の最高司令部「大本営」にある。
その公式発表によれば、日本軍は、太平洋戦争で連合軍の戦艦を43隻、空母を84隻沈めた。
だが実際は、戦艦4隻、空母11隻にすぎなかった。
誤魔化しは、数字だけに留まらない。
守備隊の撤退は「転進」と言い換えられ、全滅は「玉砕」と美化された。
戦局の悪化とともに軍官僚の作文と化した大本営発表は、組織間の不和や、政治と報道の一体化に破綻の原因があった。
今も続く日本の病理。悲劇の歴史を繙く。


「いま誇るべき日本人の精神」 加瀬 英明

2018年01月11日 00時48分39秒 | 雑学知識
 「いま誇るべき日本人の精神」 加瀬 英明  KKベストセラーズ 2016年

 「日本の座る文化」

 (前略)

 私は日本が「座る文化」であるのに対して、ユダヤ・キリスト・イスラム社会が「動く文化」だということが、その裏にあると思う。ユダヤ教から、キリスト教が生まれ、ユダヤ・キリスト教の母胎から、さらにイスラム教が生まれた。
 日本には「神が鎮まっている」という、言葉がある。日本の神は、静的なのだ。
 神が「鎮まる」という表現は、日本だけのものだ。日本では神は「鎮座」しているが、ユダヤ・キリスト・イスラムの神は、能動的な神だ。

 (中略)

 日本には「座」という言葉がある。「社長の座」から、「妻の座」まである。みな、それぞれ、自分の「座」を持っていて、その座に対して敬意が払われる。社長も、妻も、その座から動くことなく、そこに鎮まっているという、考えかたがある。
 日本ではトップに立つ者は、動かなくてもよいという考えが、強かった。頂点に「立つ者」というより、「座る者」といったほうがよかろう。
 社長の座とか、妻の座とかいわれるが、座に据えられた人よりも、座のほうに値打ちがある。

 

学者の妻の心得を書いた手紙 多田富雄

2017年10月04日 00時18分18秒 | 雑学知識
 結婚直前、(多田富雄が)学者の妻の心得を書いた手紙

 研究者の生活は、非常につらい生活です。仕事が詰まったとき、あるいは方角を決定するとき、精神的に短期間精神を集中し、肉体を酷使することがしばしばあります。サラリーマンと違って時間は不規則になり、マイホーム主義という生活は絶対にありません。傷んだ神経をいたわって認めてくれるのは家庭だけです。ですからあなたもそのことは覚悟してくれなくてはなりません。ぼくは年をとって(34歳)結婚することになったので、悲しいことにおままごと的な新婚生活というものは、出来ないでしょう。これからぼくは地位も上がるし、重要な段階に入るでしょう。弟子たちにはいつも控えめにして、やさしくやってください。今まであなたはお母さんに依存したところがありましたが、これからはあなた一人で何事も決定して行ってください。僕はあまり頼り甲斐がありませんので、まずあなた一人でものごとを考え、決定するためにはよほど強い意志と自分の好悪の基準と、しっかりした趣味がなければなりません。

 「春楡の木陰で」 多田富雄 集英社文庫 2014年  「解説」 多田 式江(のりえ)

 多田富雄 1934年生まれ。東京大学名誉教授。免疫学者。95年、国際免疫学会連合会長。抑制T細胞を発見。野口英世記念医学賞等内外多数の賞を受賞。2001年、脳梗塞で倒れ声を失い、右半身付随となるが、リハビリを行いながら著作活動を続ける。能楽にも造詣が深く「望恨歌」など新作能の作者としても知られる。08年第7回小林秀雄賞受賞。10年4月没。

「全身翻訳家」 鴻巣 友季子

2017年09月01日 00時12分28秒 | 雑学知識
 「全身翻訳家」 鴻巣 友季子 (こうのす ゆきこ)1963年生まれ ちくま文庫 2011年

 食事をしても子どもと会話しても本を読んでも映画を観ても旅に出かけても、すべて翻訳につながってしまう。翻訳家・ 鴻巣友季子が、その修行時代から今に至るまでを赤裸々かつ不思議に語ったエッセイ集。五感のすべてが、翻訳というフィルターを通して見える世界は、こんなにも深く奇妙でこんなにも楽しい。(推薦文)

 文庫版あとがき

 早いものでわたしが最初の翻訳書を出した1987年から、4半世紀近くが過ぎようとしている。ただただ、ひたすら、やみくもに、原文の一字一句を日本語に移していたら、いつのまにかそんな月日が経っていたのである。

 その20年の間、日本では、バブル経済とやらが崩壊したり、世界をゆるがすテロの事件が起きたり、景気がちょっと上向いてきたと思ったらまた金融ショックでどん底に叩き落されたりし、2011年3月には大地震が起きて、3・11以前と以後の世界を分かつほどの災害に見舞われた。そうしているうちにも、世界のあちらこちらで戦争や紛争やテロや革命がつぎつぎと起きていた。

 その間も、わたしはほとんどずっと部屋にこもって翻訳という作業をしていた。19世紀に、塔にこもって翻訳をしているうちに普仏戦争(プロイセン王国・フランス戦争)が始まって終わったことに気づかなかったオーストリアの翻訳家がいた、という話をどこかで読んだことがある。そこまで没頭できれば逆にあっぱれだが、わたしにも多少似たようなところはあるだろう。

 わたしの世界との接点はほぼすべてが翻訳を通したものだ。最近は書評やエッセイの仕事も増え、翻訳の量が少し減った時期もあるが、わたしにとっては書評もエッセイも、翻訳の一部。読んだ本を自分なりに解釈し翻訳するのが書評であり、自分の生きている世界を自分なりに読んで翻訳して書くのがエッセイである。

 なにを見ても翻訳に結びつき、なにを見ても翻訳を思い出す。
 わたしという人間は翻訳を通してようやく世界とつながっている。
 そんな思いで、この文庫を『全身翻訳家』と名づけた。