民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

五大おとぎ話(日記)

2012年04月30日 12時17分52秒 | 身辺雑記
 日本の五大おとぎ話を リメイクしようと思っている。
(桃太郎、かちかち山、舌切り雀、花咲か爺さん、さるかに合戦)
「さるかに合戦」を終えて、次は「桃太郎」にしようと決めて 資料を集めているけど、
その多さに ちょっと ギブアップ気味。
どれだけ資料があるのか それさえ掴んでいない。
なんと言っても 桃太郎の知名度の高さは 魅力で、まだ 挫折するまでは いってないけど、
もうぎりぎり といったところか。
とにかく 目が弱くなって 長時間 本を読むことができない。
といって、本を読めば 新しい発見がある。
いい悪いは 別にして どんな見方があるのかは 把握しておきたい。
オレは研究者ではないし、自分で語れる台本を作れればいいんだけどね。

 そういえば まだ おとぎ話を語ってる人に 会ったことがないな。
(まだ一年半くらいしか 民話の世界 のぞいていないけど)
おとぎ話は 読み聞かせの世界なのかな。

民話との出会い(日記) 

2012年04月22日 00時51分13秒 | 身辺雑記
シルバー大学に入って、まもなく、クラブ紹介があった。
入ってみたいクラブに赤丸のチェックを入れていた。(七つハつあったかな)
クラブ紹介が進んで、「民話・語り部クラブ」の番がきた。
ノーチェックのクラブだった。
 「ん!?」
二百人近い人を前に、一人で民話を語る。
「すごいな、だけど、オレにはできないよな。」
「うん、できないな。」自問自答する。
「でも、やってみたいな。」
せっかく、シルバー大学に入ったんだから、何か新しいことにチャレンジもしてみたいし、
ダメだったらやめればいいじゃん。         

 そんな気持ちで「民話クラブ」に入った。
前に進むというよりも、いつでもやめられるよう、逃げ腰でのクラブ参加だった。
「やっぱり、オレにはムリかな。」何度、思ったことか。
それでも、やめないで続けてこれたのは、どうしてだろう。

 ひとつは、部員数が少ないので(十四、五人で、参加者は十人を切ることも多かった)やめづらかったこと。
 ひとつは、年を取って、図々しくなったことかな。
若い頃、自分を表現する手段として、「演劇」をやってみたいと思ったことがあった。
でも、できっこないと思ってやらなかった。
けど、年を取って、図々しくなった今なら、できるかもしれない。
 それと、もうひとつ、ライブでギターを弾いていたので、それにプラスになるかもしれない、と思ったこともある。
ギターもひとりで何人もの人の前で演奏する。
民話の語りも同じじゃないか。
 
 そんなことで、やめないでいるうちに、五月頃かな、学校祭の準備が始まった。
「もう、やめられない。やるっきゃない。」
 それからは、持ち前の学習意欲に火がついた。
図書館で、民話関係の本を、借りてきて読むようになった。
月に四度のクラブの勉強会にも、積極的に参加するようになった。

 八月初め、学校祭が終わった。
二年になれば、一年生を指導する立場になる。
今までのように、おんぶにだっこ、というわけにはいかない。
 一年生が入ってくる前、九月、十月がもっとも民話に熱を入れていた時期かな。
図書館から借りた、民話関係の本は百冊を超えただろう。
これで民話のアウトラインは、大体、掴めたかな、というとこまで行った。

 そうして、一年生を迎えた。
指導をするのは大変だ。
知識は詰め込みがきいても、実技、語りはそうはいかない。
 発声、滑舌、早口言葉など、語りの練習は、インターネットを使って勉強した。
 「外郎売り」という歌舞伎の題目がある。
アナウンサー、役者を志す人は、たいがい、勉強しているというので、「よし、これを覚えよう。」と決めた。
 だけど、覚えられない。
何度、挫折しそうになったことか。
しかし、ここでくじけちゃ一年生に顔向けできない。
このことが、どんだけ励みになったことか。
ほぼ二ヶ月かかって、ようやく覚えることができた。

 それと並行して、一年生のための教材作りも始めた。
それをきっかけに、民話を自分なりにアレンジする楽しさを覚えた。
さらに、みんなに読んでもらいたい、とブログ「民話・語り手と聞き手が紡ぐ世界」を作成した。

 民話との出会い、それは遅かったけれど、逆に遅かったからこそ、これだけ夢中になったのかもしれない。

「民話は夜、民謡は昼」 谷川 澄雄

2012年04月19日 01時27分26秒 | 民話(語り)について
「親子で楽しむこどもの本」 谷川澄雄  にっけん教育出版社
第五章 民話を楽しむ P-153~

 長く語り伝えられてきた民話には、人々の心を深くとらえる力があります。
ですから、ただ一回の読み、語りでは、その深さを味わいとることはむずかしいと思います。
読み、語る工夫を重ねることによって、幼いこどもたちの心を深くとらえることができると思うのです。

 民話の世界は炉端で語られるものだと言います。
それに比べて民謡は、農作業や山仕事などの労働と結びついて歌われるものです。
今、人々のくらしから、ともに歌う歌が失われてしまいました。

 汗を流し、苦しい労働を少しでも明るいものにするために、
次々に歌をかけ合っていった民謡は、
互いの心の連帯意識を強めるためにたいへん役立ったことでした。

 一方、炉端で語られた民話は、農民やきこりたちが苦しい労働を終えてもどったあと、
家族がくつろぐところで生まれ、語りつがれていったものです。
それだけに炉端では農民やきこりたちの喜びや哀しみの本音が語られました。
そして、どうしても自分たちの苦しみを自分たちの力で排除することができないとき、人々は想像の世界で大きな力を持った人物をつくり出しました。
それが「八郎」(斉藤隆介)や「ちからたろう」(今江祥智)などになったのです。

 ですから、民話は「夜の世界」のもの、民謡は「昼の世界」のものとも言われます。

 炉端で語られた民話については、忘れることのできない情景があります。
それは、もうずっと前のことになりますが、
NHKの新日本紀行というテレビでとりあげられた雪深い小千谷の山里の炉端のことです。
しんしんと雪が降っています。
囲炉裏には赤々と火が燃え、吊りかぎにかかった鍋からは湯気が立ち上っていました。
老いたばあさまが、唇をつかって糸をよっています。
その唇は長い年月の糸よりで深くひびわれていました。
その向かいには頬の赤い少女がすわって食い入るように、ばあさまを見つめています。
ばあさまは、「六地蔵」の話をぽつりぽつりと語っていきます。
糸を唇に持っていくたびに話はぽつりと切れます。
少女は、そのとぎれのたびに、それからどうなったのかと話の先を催促しています。
炉の木がときどきはじけて燃え上がる音のほか、まったく物音ひとつしません。
ほんとうに静かな雪に埋もれた山里の囲炉裏端です。


 民話を語るというのは、こういうことではないかと思いました。
大勢の人を前にして一気に語ってみせるというのでなく、
ほんとうにたどたどしいまでに、ゆっくりと間を取って語っていくこと、
それが民話の語り聞かせではないかと思ったのです。
その語りのとぎれの間に、聞いている子はどんなに広く、深く想像力を働かせることでしょう。

 テレビの語りにもよいものがありますが、どうしても一方的な流れ込むままになってしまい、
想像力を働かせようと思っても、たちまち画面にあらわれては消えてしまいます。
ですから、ときにはまだるっこしいほど間を取って、
こどもの表情を見ながら読み聞かせたり、語ったりするのがいいと考えます。

「蟹のあだ討ち」 リメイク by akira

2012年04月15日 12時22分37秒 | 民話(リメイク by akira)
 むかしの ことだそうだ。

 海が近くにある 山のふもとに 一匹の蟹(かに)が住んでいたと。
毎日、海の水をくんできては 鉄のナベにあけ、また 海の水をくんできてはあけてを くり返し、
一杯になると、それを煮つめて ちっとばかしの塩をとって 暮らしていたと。
そんなことしたって、たいした金になるわけじゃねえけど、
なんにもしなけりゃ、一銭にもなりゃしねえ、
蟹(かに)は 毎日 もくもくと 海の水を運んでいたと。
蟹(かに)は 貧しいけれど 一生懸命 生きていたんだ。

 そんな ある日のこと 蟹(かに)が歩いていると おにぎりを見つけたと。
「これはいいものを見つけた。うちでゆっくり食うべ。」って、運んでいると、
猿(さる)のヤツがやってきて、
「おっ、うまそうなの持ってんじゃねぇか、オレに寄こせ。」って、そのおにぎりを 取ってしまったと。
「猿(さる)さん、ひどい!」って、言うと、
「その代わり、これをやるわい。」って、柿のタネを投げてよこして、
「それを蒔(ま)けば、毎年 柿(の実)が食えるぞ。」って、行ってしまったと。

 蟹(かに)は その柿のタネを持って帰ると 庭のすみっこに蒔(ま)いてあげたと。
そして 毎日 水をやり、肥やしをやりながら、
「早く、芽を出せ、柿のタネ。(可愛い声で)
出さねぇと ハサミでほじくんぞ。(脅かす声で)」って、声をかけていたと。
柿のタネは ほじくられちゃ かなわんって 思ったのかな、ちっこい芽を出したと。
「よぉし、いい子だ。」って、言いながら、また 水をやり、肥やしをやりながら、今度は、
「早く、木になれ、柿の芽や。ならねぇと ハサミでちょん切るぞ。」って、声をかけていたと。
柿の芽は ちょん切られては かなわんって 思ったのかな、大きな木になったと。
「よぉし、その調子、調子。」って、言いながら、また水をやり、肥やしをやりながら、今度は、
「早く、実がなれ、柿の木や。ならねぇと ハサミでぶっ切るぞ。」って、声をかけていたと。
柿の木は ぶっ切られては かなわんって 思ったのかな、(一杯の)柿の実を ならせたと。
 
 「わぁーい、わぁーい。」蟹(かに)は うまそうな 柿(の実)を見上げて 嬉しくなったと。
そして さぁ、食おうと思って、はい登ったけど、蟹の横ばいでは なかなか登れるもんじゃねぇ。
しゃがしゃが、登っちゃ落ち、しゃがしゃが、登っちゃ落ちを 何度もくり返していたと。
 すると 山の上から それを見ていた 猿(さる)のヤツが 山を下りてきて、蟹(かに)に言ったと。
「ほうら、うまそうな柿(の実)がなったじゃないか。オレの言った通りだろ。」
そして するっするっと 木にかけ登ると、むしゃむしゃ 柿(の実)を食い始めたと。
「これはうんまい。ちょうど食べごろだ。」
自分ひとりで 食ってばっかりで、ちっとも 蟹(かに)に くれようとしないんだと。
「オイラにもおくれよぅー。」蟹(かに)が たまらず言うと、
猿(さる)のヤツ、食い意地がはってるもんだから、全部 自分で食いたくなっちまった。
そんで、蟹(かに)にやるのが惜しくなって、まだ青くてかたい柿(の実)を、
「これでも くらえっ!」って、蟹(かに)に投げつけたと。
それが 蟹(かに)の背中に当たって、蟹(かに)は、ぶくぶく泡ふいて 死んでしまったと。

 「ああ、食った、食った。うまかった(うしまけた)。」って、猿(さる)は山へ帰って行ったと。
すると 死んだ蟹(かに)の下から、ずっく ずっくと たくさんの子蟹(こがに)が生まれてきたと。
「悲しんでなんかいられない、生きていかなきゃ。」
子蟹(こがに)は力をあわせて、畑をこしらえ、キビのタネを蒔(ま)いて育てたと。
キビが実ると 子蟹(こがに)たちも立派な大人になった。
そして キビの実で きびだんごを作って、それを腰にぶらさげて、
「さあ、みんなで 親のかたき討ちに行こう。」
蟹(かに)の大将を 先頭に 猿(さる)のいる山、猿の番場(ばんば)に向かったと。

 すると(向こうから)熊ん蜂(くまんばち)が ブーン ブーンと やってきた。
槍をかまえて 勇ましい。
「やあ、やあ、蟹(かに)さんたち、みんなそろって どこ行くの?」
「これから 猿(さる)のヤツを やっつけに。」
「そうか、(猿には)ひどい目にあったからね。ところで 腰につけているものは なんだい?」
「きびで作った きびだんご。ひとつ食べれば 百人力。」
「オイラにも ひとつおくれ。仲間になろう。」

 熊ん蜂を仲間に 向かっていると(今度は)いが栗(ぐり)が ころっ ころっと やってきた。
針の山が 鎧(よろい)みたいで 凛々(りり)しそう。
「やあ、やあ、蟹さんたち、みんなそろって どこ行くの?」
「これから 猿(さる)のヤツを やっつけに。」
「そうか、(猿には)ひどい目にあったからね。ところで 腰につけているものは なんだい?」
「きびで作った きびだんご。ひとつ食べれば 百人力。」
「オイラにも ひとつおくれ。仲間になろう。」

 熊ん蜂、いが栗を仲間に 向かっていると 牛糞(ぐそ)が べったら べったらと やってきた。
近くにあるものは なんでもくっつけてしまうような ねばっこさ。
「やあ、やあ、蟹さんたち、みんなそろって どこ行くの?」
「これから 猿のヤツを やっつけに。」
「そうか、(猿には)ひどい目にあったからね。ところで 腰につけているものは なんだい?」
「きびで作った きびだんご。ひとつ食べれば 百人力。」
「オイラにも ひとつおくれ。仲間になろう。」

 熊ん蜂、いが栗、牛糞を仲間に、向かっていると 石臼(うす)が どすん どすんと やってきた。
がっしりした体つきが 頼(たの)もしい。
「やあ、やあ、蟹さんたち、みんなそろって どこ行くの?」
「これから 猿のヤツをやっつけに。」
「そうか、(猿には)ひどい目にあったからね。ところで 腰につけているものは なんだい?」
「きびで作った きびだんご。ひとつ食べれば 百人力。」
「オイラにも ひとつおくれ。仲間になろう。」

 熊ん蜂、いが栗、牛糞、石臼を仲間に加え、蟹(かに)たちは 意気揚々と 山へ向かった。
猿(さる)の番場(ばんば)が見えてきた。
「ちょっと ここで待ってて。様子を見てくる。」熊ん蜂が飛んで行った。
やがて 戻ってくると「今はいないけど、すぐに帰ってくるだろう。いろりに鍋(なべ)がかかってた。」
「どうやって やっつけようか。」蟹(かに)の大将が言った。
「オイラにいい考えがある。みんな こっちにおいで。」牛糞(ぐそ)が みんなを集めて言った。
いが栗どんは いろりの灰の中に隠れていて、そうして・・・ごそごそと 耳打ちしたと。
「そっか、わかった、まかせときっ!・・・オイラ 火の中 大好きだい。」
蟹(かに)どんは 水がめの中に隠れていて、そうして・・・また ごそごそと 耳打ちしたと。
「そっか、わかった、まかせときっ!・・・水の中なら こっちのもんだい。」
熊ん蜂どんは 味噌(みそ)がめに隠れていて、そうして・・・ごそごそと 耳打ちしたと。
「そっか、わかった、まかせときっ!・・・オイラ 小さいから 見つかるまい。」
石臼(うす)どんは 屋根の上にのっかってて、そうして・・・また ごそごそと 耳打ちしたと。
「そっか、わかった、まかせときっ!・・・オイラが 一番 難しそうだけど 頑張るわい。」

「さぁー、みんな きびだんごを食べようぜ。・・・元気を出して出陣じゃ。」
「エイ! エイ! オー!」

 猿(さる)の番場に着くと、みんな それぞれの持ち場に 散って行った。
やがて 猿(さる)のヤツが ばたっばたっと 駆け込んできた。
「おおー、さむっ、さむっ」いろりのふちにしゃがんで 火箸(ひばし)で 火種をほじくった。
すると いが栗が パーンって はじけて(勢いよく)猿(さる)のヤツのおでこにすっとんだ。
「アチチチ。」猿(さる)は 水で冷やそうと 水がめのふたをあけた。
すると たくさんの蟹(かに)が 猿のヤツに飛びついて はさみでちょっきん ちょっきんした。
「イテテテ。」猿(さる)のヤツは 必死になって 蟹(かに)をふるい落とそうと 体をゆすりながら、
味噌(みそ)を塗ろうと 味噌がめの あるとこに行って(味噌がめの)ふたをあけようとした。
すると ふたに隠れていた 熊ん蜂が 猿(さる)のヤツのおしりに ぶすっと 槍を突き刺した。
「ぎゃー!こりゃ、たまらん。」猿(さる)のヤツ、おしりを両手で押さえて 外へ 飛び出した。
すると 戸口の外に すわりこんでいた 牛糞に ずるっと滑って 仰向けに ひっくり返って、
「スッテン コロリーン。」
そこに 屋根の上にいた 石臼(うす)が どっすんこって 飛び降りたからたまらない。
猿(さる)のヤツ、石臼(うす)に のっかかられて ぺっしゃんこに なってしまったとさ。

 おしまい(めでたし めでたし)

参考にした本(リメイクするのに もっともベースにしたのは 西郷 竹彦 編)
「さるかにばなし」文・西郷 竹彦 絵・福田庄助 ポプラ社 1967年 
「さるかに」文・松谷 みよ子 絵・滝 平二郎 岩崎書店 1967年
「さるかに」文・松谷 みよ子 絵・長谷川 義史 童心社 2008年
「さるかに」文・松谷 みよ子 絵・瀬川 康男 フレーベル館 2002年
「さるかに」文・松谷 みよ子 絵・南 伸坊 講談社 1997年
「かにむかし」文・木下 順二 絵・清水 昆 岩波書店 1976年
「さるかにかっせん」文・木暮 正夫 絵・二俣 英五郎 フレーベル館 1995年
「さるかに」文・木暮 正夫 絵・赤星 亮衛 第一法規 1981年 
「さるとかに」文・神沢 利子 絵・赤羽 末吉 銀河社 1974年
「サルカニカッセン」日本童話集 上巻 菊池 寛 文芸春秋 昭和4年
「猿蟹合戦」芥川 龍之介 (ネットで全文が見れる)
「平成猿蟹合戦図」吉田 修一 朝日新聞出版 2011年
その他、ネットで検索してヒットしたものを参考にした。
http://marmi.babymilk.jp/mukasi/sarukani.index.html (一番 世話になった)



 

「鬼子母神」 リメイク by akira (ライブバージョン)

2012年04月12日 23時20分49秒 | 民話(リメイク by akira)
 みんな 眠くなってきたみてぇだから 
いっちょ 語(かた)っか。(わーい)子供の歓声

 (むかしは 子供も大事な働き手だった。
だけど 子供は 昼間 元気一杯 遊んで 疲れているからな。
単調な作業をしてると すぐ 眠くなっちまう。
そんな時は 眠気覚ましに 語ることが あったということだ。)

 
 今日は鬼子母神でいいか。(フントコショ) 

鬼子母神、漢字 覚えたか。(フント)
鬼っこ、の鬼、子供の子、おっかぁの母っていう字に、神さまの神、だな。(フント) 


 オレがちっちゃい頃、ばあちゃんから聞いたハナシだ。(フント)
いや、じいちゃん、だったかな。(フント)
ほんとかうそかわかんねぇハナシだけど、ほんとのことだと思って 聞かなきゃなんねぇ。(フント)


 むかしのことだ。(フント)


この 最初にいう、むかしのことだ、っていうのは 地域によっていろいろあってな。(フント)
たとえば 新潟県では、(むかし)あったてんがな、って言うようにな。(フント)


 山の近くにあった 村でのことだ。(フント) 
山の奥に 鬼の女 鬼女が住んでいた。(フント) 
この鬼女には 千人もの子供がいてな、それはそれは 可愛がっていたと。(フントコショ) 

 ところが この鬼女は 人間の子供をさらってしまうという おっそろしい鬼でな。(フント) 
村のモンは いつ 自分の子供がさらわれるかと ビクビクして暮らしていたと。(フントコショ) 
 「子供を鬼から守ってください。お願いします」 
村のモンは 朝に夕に 仏さまに手を合わせて 拝んでいたと。(フント) 
(そんな思いが 仏さまに伝わったのかなぁ)(フント) 
仏さまは 鬼を懲らしめようと 鬼の子供をひとりさらって こっそりと隠してしまったと。

(子供があいづちを打つのを忘れる)あいづちは!?
フントッ(ひときわ大きい声で)(小さい子はビクッとする)

 いつものように 鬼が子供たちと遊んでいると、
子供が一人いなくなってることに気がついた。(フント) 
 すると 鬼は 子供がいない って大声をあげ、
目をつり上げ 口を耳元まで裂いて 鬼のような形相で、(フント) 
(あっ、鬼なんだから 当たり前か)(フント) 
どっどっと、こっちの山 どっどっと、あっちの山 
飛ぶように かけまわって(子供を)捜しまわったと。(フントコショ) 

 それを見て 仏さまは 鬼を呼んで言った。(フント) 
 「お前は 千人もの子供がいるというのに、 
たった一人の子供がいなくなっても そのありさまか。
少しは 子供をさらわれた 人間の嘆きが わかったか!」
 「はい わかりました。もう(決して)人間の子供をさらったりなんかしません。 
お願いです。 私の子供を返してください。」
鬼は(土下座して)泣き叫んで 子供を返してもらったと。(フントコショ) 

 それから 鬼は 子供をさらうのをやめてな。(フント) 
今までの罪滅ぼしにと 子供を守る神さま 「鬼子母神」 になったんだと。(フントコショ) 

 おしまい

 (この 最後にいう、おしまい、も 地域によっていろいろあってな、
新潟県では、いちごさかえた、秋田県では、とっぴんぱらりのぷう、って言ったりすんだ。)

 どうだ、みんな、眠気はさめたか。(はーい)
もう ひとふんばり すんべな。(はーい)