民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「夜這いの民俗学」 その1 赤松 啓介

2016年07月31日 00時05分20秒 | 民話の背景(民俗)
 「夜這いの民俗学」 その1 赤松 啓介 明石書店 1994年

 ざっと紹介したように、夜這いは、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みであったが、このような重要な民俗資料を、日本の民俗学者のほとんどは無視し続けてきた。

 日本民族学の泰斗といわれ、「郷土研究」や「婚姻の話」を著している柳田国男は、僕の郷里から目と鼻の先の出身で、子供のころから夜這いがおおっぴらに行われているのを見聞きしながら育ったはずだが、彼の後継者同様に、その現実に触れようとはしなかった。彼らはこの国の民俗学の主流を形成してきたが、かってはムラでは普通であった性風俗を、民俗資料として採取することを拒否しただけでなく、それらの性習俗を淫風陋習であるとする側に間接的かもしれないが協力したといえよう。そればかりか、故意に古い宗教思想の残存などとして歪め、正確な資料としての価値を奪った。そのために、戦前はもとより、戦後もその影響が根強く残り、一夫一妻制、処女・童貞を崇拝する純潔、清純主義というみせかけの理念に日本人は振り回されることになる。


春日一幸 その4 佐野 眞一

2016年07月29日 00時50分42秒 | 雑学知識
 「新 忘れられた日本人」 佐野 眞一 毎日新聞社 2009年

 味のありすぎる政治家・春日一幸 その4 P-121

 春日は最初、社会党右派に所属していたが、民社党の旗揚げとともに新党に参加、国対委員長、副書記長ととんとん拍子に出世し、結党7年目で書記長に就任した。だが、まもなく書記長の座を自ら降りることになる。原因はやはり春日らしく愛人問題だった。
 このとき春日は、少しも悪びれず、こんなエッセイを書いている。タイトルは「至愛至上主義で無病息災」である。

<愛欲の結合では、一回が1万メートルのマラソンの運動量に匹敵するという。おす聞けば、なるほど、その発汗の分量、イキのはずみ具合、それにエネルギーの燃焼の度合いの集計値は、かれこれ似通った感じのものである。健康のために色恋をする馬鹿はないにしても、色恋がこのように生命の炎をかき立てるものであるならば、色恋を怠けたりしては元気を保てるはずがない>

 こう臆面なく言われると、稚気さえ感じる。こんな政治家は、いま永田町のどこを探しても見つからない。
 古手の民社党議員から聞いた話が忘れられない。
「最盛時は、7人の愛人がいた。それがみんな金を払っても相手したくないような婆さんばかり。それをひたすら押しの一手で口説く。名古屋弁で女性自身を連発して哀願するんだ」

 春日の「人徳」は、そういう女性が選挙の度にこぞって応援に駆けつけ、炊き出しまで手伝ったことである。それでよく、本妻から文句が出ないものだと思うのだが、春日本人は平然としたものだった。春日が大真面目でこう言ったときには、腹がよじれるほど笑った。

「女房がヒステリーを起こしたときは、後ろから羽交い絞めにして般若心経を唱えることにしておる。仏の御心で発作もおさまる」

 趣味のマージャンをするときには、相手があがるとイーハン減らし、自分があがるとリャンハン増やす「春日ルール」で卓を囲み、タバコはショートホープを1日15箱というチェーンスモーカーだった。ニコチンにはバイ菌を殺す力があると信じていたのである。
 健康ブームと増税をあてこんだいじましいタバコ値上げ議論がささやかれはじめる昨今、春日一幸の型破りな生き方が、いまさらながら懐かしい。

春日一幸 その3 佐野 眞一

2016年07月27日 00時12分47秒 | 雑学知識
 「新 忘れられた日本人」 佐野 眞一 毎日新聞社 2009年

 味のありすぎる政治家・春日一幸 その3 P-119

 反共の闘士としてならした後年の姿からはとても想像できないが、春日は若い頃、プロレタリア文学を読みあさり、ダダイズムに傾倒する文学青年だった。前衛詩人を目指し、伊藤野枝と同棲した経験のあるダダイズムの詩人の辻潤をたよって名古屋から徒歩で上京したこともある。
 当時の春日の「前衛詩」を紹介しておこう。

「歩いている 歩いている 歩いても道ばかりである
 でも仕方ないので ブラリブラリ歩いている」

「七色の虹を浮かべて しゃぼん玉
 風にゆられてフワリフワリ
 束の間のいのちかよ でも楽しそう」

 ストレートすぎる心情吐露と、感傷癖だけの駄作としか思えない。だが、春日に言わせれば「日本詩壇の将来を背負って立つ逸材」と言われたということになる。
 これぐらいの自信過剰と廉恥心のなさがなければ、そもそも政治家などという人種にはなれないのかも知れない。
 だが、やはり詩人としては芽が出ずに終わった。文学熱が昂じると恐ろしい。23歳のときには、カルモチンを服用して自殺をはかった。カルモチンは太宰治も自殺に使った睡眠薬である。幸い未遂で済んだが、この点だけは天才作家気取りだった。

春日一幸 その2 佐野 眞一

2016年07月25日 00時12分49秒 | 雑学知識
 「新 忘れられた日本人」 佐野 眞一 毎日新聞社 2009年

 味のありすぎる政治家・春日一幸 その2 P-119

 この当時、民社党は「春日党」と呼ばれていた。春日が私の目の前で、秘書を「娘ッ!」「坊主ッ!」と呼び、書記長の塚本三郎さえ「サブッ!」と呼び捨てにしたのには驚いた。
 ちなみに、独特の名古屋弁で一部には熱狂的な人気のある河村たかし(現・名古屋市長)は、春日の元秘書である。そういえば、春日と河村のキャラクターにはどこか通じるものがある。

 春日は、身長158センチ、体重65キロと典型的な短躯型である。頭髪は総退却し、唇はぼってりとぶあつい異相である。全体に造作が大きく、政治家としてはトクな顔立ちといえる。それ以上に強烈な印象を残すのは、口を開けば必ず出てくる明治の壮士風天下国家論である。
「小なりといえども民社党」「不肖春日一幸」「幾山河を乗り越えて」「おそれず、たゆまず」「鉄火、熱火の国民路線」。春日の演説には金言名句、金科玉条、故事来歴の数々が豪華ケンランと織り込まれ、低く高く、時には声涙下る弁士ふう名調子は、内容はともかく、一度聞いたら、絶対に心をギュッとつかんではなさない。


春日一幸 その1 佐野 眞一

2016年07月23日 00時06分01秒 | 雑学知識
 「新 忘れられた日本人」 佐野 眞一 毎日新聞社 2009年

 味のありすぎる政治家・春日一幸 その1 P-117

 前略

 政治家として立派だったかどうかは別として、いまはなき民社党委員長の春日一幸は味のある、というより味のありすぎる政治家だった。
 今回は、いまでは完全に死滅してしまった政治家の典型の春日一幸を取りあげてみたい。
 私が春日に初めて会ったのは、春日が民社党の委員長を突然辞任して、政界に様々な憶測が飛びかっていた昭和52(1977)年の秋である。

 春日は黒いフィクサー、野合の闘将、永田町の妖怪、荒業師、陽気な錬金術師といった、アクの強さとうさんくささを感じさせる評価が終生つきまとった政治家である。それだけに、突然の委員長辞任については、離党後入閣説、ガン説、日韓癒着関係発覚説、東海銀行不正融資説、愛人問題発覚説などなまぐさい噂が流れていた。
 あらためて辞任の真相を尋ねると、春日は政治家というより浪曲師の広沢虎造ばりの渋い声で、こんな時代がかった台詞を音吐朗々とまくしたてた。

「ガンはガンでも、頑固のガンだ。ごらんの通りピンピンしている。日韓癒着といわれるか。日韓は元々癒着せねばならん。利害一致の間柄だ。大義に即した癒着である。いささかたりとも疑惑はない。愛人?もはや色気も瘡(カサ)ッ気も解脱、枯淡の心境だ」

 それにしてはなまぐさい噂が絶えないが、とたたみかけると、こんな答えが返ってきた。

「そりゃチンポは立つ。チンポは立つが指弾を受けるような立ち方ではない。オーソドックスな立ち方である」