「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その5 伊藤 亜紗 光文社新書 2015年
「自分にとっての『当たり前』を離れる」 P-26
前略
その、私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、世界のとらえ方はどうなるのか?そう考えて、私は新しい身体論のための最初のリサーチの相手として、「見えない人」に白羽の矢を立てました。つまり、「見えない人」は、私にとって、そして従来の身体論にとって、ちょうど補色のような存在に思えたのです。ずいぶん長くなりましたが、これが、私が「視覚を使わない体に変身してみたい」と思った理由です。
「見えないことと目をつぶること」 その1
見えない体に変身したいなどと言うと、何を不謹慎な、と叱られるかもしれません。。もちろん見えない人の苦労や苦しみを軽んじるつもりはありません。
でも見える人と見えない人が、お互いにきちんと好奇の目を向け合うことは、自分の盲目さを発見することにもつながります。美学的な関心から視覚障害者について研究するとは、まさにそのような「好奇の目」を向けることです。後に述べるように、そうした視点は障害者福祉のあり方にも一石を投じるものであると信じています。
「自分にとっての『当たり前』を離れる」 P-26
前略
その、私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、世界のとらえ方はどうなるのか?そう考えて、私は新しい身体論のための最初のリサーチの相手として、「見えない人」に白羽の矢を立てました。つまり、「見えない人」は、私にとって、そして従来の身体論にとって、ちょうど補色のような存在に思えたのです。ずいぶん長くなりましたが、これが、私が「視覚を使わない体に変身してみたい」と思った理由です。
「見えないことと目をつぶること」 その1
見えない体に変身したいなどと言うと、何を不謹慎な、と叱られるかもしれません。。もちろん見えない人の苦労や苦しみを軽んじるつもりはありません。
でも見える人と見えない人が、お互いにきちんと好奇の目を向け合うことは、自分の盲目さを発見することにもつながります。美学的な関心から視覚障害者について研究するとは、まさにそのような「好奇の目」を向けることです。後に述べるように、そうした視点は障害者福祉のあり方にも一石を投じるものであると信じています。