よい語り手になるために 「お話を子供に」 松岡 享子
わたしは、これまで、いくつものグループの人たちと お話の勉強をしてきました。
そして、いろんな人が、いろんな道筋を経て、語り手になっていくのをみてきました。
そして、つくづく思うことは、お話というのは、語る人の人柄だなぁ ということです。
なるほど、お話をはじめて しばらくの間は、人前であがるとか、お話がよくおぼえられないとか、
いわば 技術的困難とでもいうようなものにぶつかって、悪戦苦闘される方が目立ちます。
けれども、それは最初のうちだけで、時がたてば、ほとんどの人が、そういう困難は乗りこえてしまいます。
そして、ほぼ二年くらいすると、だれもが、一応 その人らしさを出して お話をなさるようになります。
問題は、その「人らしさ」です。
初歩的な、技術的な困難を克服したあと、その人のお話が どれだけおもしろくなるかは、
結局、その人全体にかかわることなのです。
その人が、どういうことをおもしろいと感じ、どういうことに心を動かされるか。
どういうことに敏感で、どういうものに興味をもっているか。
これまでどんなことを経験してきたか。どんな性格か。
そんなことが、ひとつになって、その人のお話をつくっていくのです。
さきに、お話は、物語に語り手の個性が加わって 化学変化を起こしたものだといいましたが、
まったく その通りだということを、同じ話が違った語り手によって 語られるのを聞くと、
しみじみ思わせられます。
わたしたちは、しょせん、自分である以上に、余分に 語り手であることはできないのです。
ですから、いい語り手になるためには、
あらゆる方法で、せっせと 自分をこやすしかない ということになります。
わたしは、これまで、いくつものグループの人たちと お話の勉強をしてきました。
そして、いろんな人が、いろんな道筋を経て、語り手になっていくのをみてきました。
そして、つくづく思うことは、お話というのは、語る人の人柄だなぁ ということです。
なるほど、お話をはじめて しばらくの間は、人前であがるとか、お話がよくおぼえられないとか、
いわば 技術的困難とでもいうようなものにぶつかって、悪戦苦闘される方が目立ちます。
けれども、それは最初のうちだけで、時がたてば、ほとんどの人が、そういう困難は乗りこえてしまいます。
そして、ほぼ二年くらいすると、だれもが、一応 その人らしさを出して お話をなさるようになります。
問題は、その「人らしさ」です。
初歩的な、技術的な困難を克服したあと、その人のお話が どれだけおもしろくなるかは、
結局、その人全体にかかわることなのです。
その人が、どういうことをおもしろいと感じ、どういうことに心を動かされるか。
どういうことに敏感で、どういうものに興味をもっているか。
これまでどんなことを経験してきたか。どんな性格か。
そんなことが、ひとつになって、その人のお話をつくっていくのです。
さきに、お話は、物語に語り手の個性が加わって 化学変化を起こしたものだといいましたが、
まったく その通りだということを、同じ話が違った語り手によって 語られるのを聞くと、
しみじみ思わせられます。
わたしたちは、しょせん、自分である以上に、余分に 語り手であることはできないのです。
ですから、いい語り手になるためには、
あらゆる方法で、せっせと 自分をこやすしかない ということになります。