「私に帰る旅」を読んで その3
オレが大学に入ったのは1967年(昭和42年)
大学2年になって、大学にもなれた頃、大学紛争が始まった。
オレは行き場もなく、将棋道場に通うようになった。
大学と将棋道場のほぼ中間地点に下宿(3帖一間)していたオレは、
将棋道場の方が大学よりわずかに近いと、かこつけて、毎日将棋道場に通った。
夜、10時に将棋道場から帰り、朝5時まで本を読み、また次の日のお昼、
12時に将棋道場に行くという習慣は東京にいた6年の中、5年間ずっと変わらなかった。
大学3年、太宰治の全集を読み、坂口安吾を知り、
宮沢賢治に憧れ、作家になりたいという夢を持ち始めた。
太宰、安吾、賢治、まったくといっていいほどタイプの違う三人。
だけどオレはこの三人に自分の内なるものを感じていた。
その中でも一番影響を受けたのは安吾だ。
その頃、大学で同人雑誌をやってる人と知り合い、仲間に入った。
月に一度集まって、同じ仲間と真剣に話ができたのはいい刺激になった。
三っつの作品を書いた。(それはオレの青春の象徴)
大学にはまったく行かなくなっていた。
大学も6年になって、親に「いつまでも遊んでいないで、家に帰って来い」
と言われて、家に戻った。
今だったら間違いなくニートになっていたと思う。
ただ時代がそれを許さなかった。
親の勧めで職業訓練校、建築学科に入学。
それ以降ずっと建築の仕事をしてきた。
その4に続く
オレが大学に入ったのは1967年(昭和42年)
大学2年になって、大学にもなれた頃、大学紛争が始まった。
オレは行き場もなく、将棋道場に通うようになった。
大学と将棋道場のほぼ中間地点に下宿(3帖一間)していたオレは、
将棋道場の方が大学よりわずかに近いと、かこつけて、毎日将棋道場に通った。
夜、10時に将棋道場から帰り、朝5時まで本を読み、また次の日のお昼、
12時に将棋道場に行くという習慣は東京にいた6年の中、5年間ずっと変わらなかった。
大学3年、太宰治の全集を読み、坂口安吾を知り、
宮沢賢治に憧れ、作家になりたいという夢を持ち始めた。
太宰、安吾、賢治、まったくといっていいほどタイプの違う三人。
だけどオレはこの三人に自分の内なるものを感じていた。
その中でも一番影響を受けたのは安吾だ。
その頃、大学で同人雑誌をやってる人と知り合い、仲間に入った。
月に一度集まって、同じ仲間と真剣に話ができたのはいい刺激になった。
三っつの作品を書いた。(それはオレの青春の象徴)
大学にはまったく行かなくなっていた。
大学も6年になって、親に「いつまでも遊んでいないで、家に帰って来い」
と言われて、家に戻った。
今だったら間違いなくニートになっていたと思う。
ただ時代がそれを許さなかった。
親の勧めで職業訓練校、建築学科に入学。
それ以降ずっと建築の仕事をしてきた。
その4に続く