民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「私に帰る旅」を読んで その3

2013年01月30日 00時02分59秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
「私に帰る旅」を読んで その3

 オレが大学に入ったのは1967年(昭和42年)
大学2年になって、大学にもなれた頃、大学紛争が始まった。

 オレは行き場もなく、将棋道場に通うようになった。
大学と将棋道場のほぼ中間地点に下宿(3帖一間)していたオレは、
将棋道場の方が大学よりわずかに近いと、かこつけて、毎日将棋道場に通った。

 夜、10時に将棋道場から帰り、朝5時まで本を読み、また次の日のお昼、
12時に将棋道場に行くという習慣は東京にいた6年の中、5年間ずっと変わらなかった。

 大学3年、太宰治の全集を読み、坂口安吾を知り、
宮沢賢治に憧れ、作家になりたいという夢を持ち始めた。

 太宰、安吾、賢治、まったくといっていいほどタイプの違う三人。
だけどオレはこの三人に自分の内なるものを感じていた。
その中でも一番影響を受けたのは安吾だ。

 その頃、大学で同人雑誌をやってる人と知り合い、仲間に入った。
月に一度集まって、同じ仲間と真剣に話ができたのはいい刺激になった。
三っつの作品を書いた。(それはオレの青春の象徴)
大学にはまったく行かなくなっていた。

 大学も6年になって、親に「いつまでも遊んでいないで、家に帰って来い」
と言われて、家に戻った。

 今だったら間違いなくニートになっていたと思う。
ただ時代がそれを許さなかった。
 親の勧めで職業訓練校、建築学科に入学。
それ以降ずっと建築の仕事をしてきた。

 その4に続く

「私に帰る旅」を読んで その2

2013年01月28日 00時10分46秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「私に帰る旅」を読んで その2

 高校の終り頃から、本を読むようになった。
みんなが受験勉強をしている中、オレは本ばっかり読んでいた。
いはゆる「自我の目覚め」っていうヤツだ。

「嗚呼、我が知らざる我は、何処の空を彷徨っているのか」
「三太郎の日記」の一節、まだ覚えている。

 先生になりたいと思っていたオレは、一番成績のよかったのが英語だった、
という理由で東京の大学(文学部、英文学科)に進学した。

 男は女の1/4という、女ばかりのクラスにオレはとまどっていた。
硬派のオレは(高校は男子校)軟弱な男ばかりの中、ひとり粋がっていた。

 そんな中、オレはひとりの女の子に心を寄せた。
いはゆる「恋の目覚め」っていうヤツだ。

 彼女はオーケストラでチェロをやっていた。
オレは彼女と仲良くなりたい一心でオーケストラに入会した。
楽器はコントラバス、練習では目の前にいつも彼女がいて、オレは幸せだった。

 家で練習するため、東京から宇都宮までコントラバスを抱えて電車で帰ったり、
夏休み、長野のスキーロッジで合宿したことはいい思い出になっている。
(真っ暗な山の中、本当に落ちてきそうな星空の美しさはまだ心に残っている)

 まだ愛好会だったオーケストラはクラブに昇格するには(大学からの援助が違う)
実績として、演奏会をやらなくてはいけないという。

 だけどそのためには、団員数が足りないので大勢のエキストラが必要だという。
オレは一人反対した。
「そんな人の力借りないで、自分らのできる範囲でやればいいんじゃないの」
何人か共感してくれた人もいたけど、結局受け入れてもらえなかった。

 オレはオーケストラをやめた。
秋の演奏会、聴きに行った。
部員の倍以上いるオーケストラ、コントラバスは8人(部員はたった一人)
曲はベートーベンの「運命」
「ジャジャジャ、ジャーン」
オレの中で何かがくずれた。

 大学の試験、オレはカンニングすることができなかった。
堂々とカンニングする生徒、見てみぬふりする講師。
オレは白紙で答案用紙を出した。

 この二つの事件(こと)「曲がったことがキラい」「ウソをつくのがキラい」
というオレの資質はどっからきたのだろうと思う。

 オレは思う、高校の時ギターを習いだして、「芸術とは何か」に興味を持ち、
その類(たぐい)の本を読んだこと、「人生とは何か」についての本を
むさぶるように読んだこと、このことが影響しているのではないか。

 その3に続く

「私に帰る旅」を読んで その1

2013年01月26日 01時06分34秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
「出されなかった手紙」その1と書きながら、
その2をアップしないで、この「私に帰る旅」をアップしてしまった。
それを「出されなかった手紙」その2に差し替えたので、また同じものを再アップします。

 先にアップした「碧鈴」の作品につながるところがあると思ったので、
 2008年、ミクシー(SNS)の日記に書いたものを転記します。

「私に帰る旅」を読んで その1

「私に帰る旅」岡部明美 著 ようやく読み終えた。
残り数十ページのところで、先を読むのをずっとためらっていた。
(2週間くらい経(た)っただろうか)

 久しぶりに、心打たれる本を読んで、いろいろ考えさせられ、
昔の自分と対話する時間が必要だったのだ。
マイミク(ミクシー上での友達)になってくれたあけみちゃんに、
それなりのことを書かなくちゃ、というプレッシャーもあった。

以下は「私に帰る旅」49ページからの抜粋

「私は、なんのために生まれたんのだろう?」
ある時期まで、私は確かにこうした生への本質的な「問い」を持って
生きてきたように思う。

 しかし、多忙になるに従い、私はこの問いをだんだん忘れていった。
大好きな文学の世界からも全く遠ざかり、気がついたら、
「仕事に役に立つかどうか」という基準でしか本を選ばなくなっていた。

 私の中から、純粋な思いや動機、無垢なる心、
この世界を見るまっすぐな眼差(まなざ)し、
透明な言葉への憧れが次第に失われていったのだ。

 この言葉がオレの心にグサッと突き刺さった。
漠然(ばくぜん)とは感じていた。
しかし、これだけ的確な表現で言われると、
イヤでも自分と向き合わざるを得ない。

 それから散歩の時、夜一人で静かになった時、
若かった頃の自分と今の自分との対話が始まった。

 以下は自分のことばかり書いています。
(だけどこれを書かないと、なぜあけみちゃんの本に
心打たれたか、わかってもらえないと思ったからです)

 一気に書きました。
2週間ほどの自分との対話の積み重ねがあったからです。


 その2に続く

「碧鈴」 第16号 「出されなかった手紙」 その2

2013年01月24日 01時04分19秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
「碧鈴」 第16号 (昭和44年)「出されなかった手紙」 風来 武(かざき たけし)

 「出されなかった手紙」 その2

 僕が酒を飲むようになったこと、あなたは信じることができるだろうか。
僕はあなたも知っているように、宮沢賢治を最高の人間像とする理想主義者だった。

 あなたも賢治が好きだった。
二人で童話を読みあったあの頃がなつかしい。

 しかし、僕は坂口安吾を知ってから、一挙転じて堕落主義者になったのです。
僕の言葉に以前の僕から想像できないような言葉があったなら、それはこの故です。

 僕は白より黒になろうとしたのです。
僕は堕落の道をひたすら走り続けました。

 そして、今、僕は堕落地獄にいます。
怖しい世界です。(贅言はやめます。)

 僕は転機にたったのです。
このまま堕落を続けるか、以前の僕に戻るか。
このまま堕落を続けたら、僕は必ず死ぬでしょう。
それも近いうちに。

 僕は堕落しながら、いつも以前の僕に郷愁を感じていました。
僕は自暴自棄になっていたのです。
馬鹿のように、「堕落しなければいけない。」
と、自分で無理やり言い聞かせて生きてきたのです。
苦しい毎日でした。

 「汚れた心を悲しみ、せめて身体だけでも清くしようと毎日銭湯に行って、一心不乱に
「清くなれ!」と祈りながら、身体を洗っていたあの頃。

 酔いすぎたようだ。
僕は愚痴を言うのを極度に嫌う。
その戒律が破られている。
もっと冷静にならなければ。

 それはこの手紙を書くにあたって、もっとも注意したことなのだ。
酒を飲んだのはよどみなく書けるようにです。

 恥ずかしい告白をしなければなりません。
あなたに絶交状を書いた夜、酒に酔った僕はあなたを自瀆の対象にしてしまったのです。
僕はそれ以前、アダムとイブの最初の性行為を夢見て、自瀆した。
イブがその対象だった。

 僕はあなたに肉体があると信じられなかった。
あなたに肉体がなければと何度願ったことか。
あなたの肉体の妄念にとりつかれ、眠れなかった夜が何日も続いた。

 陳腐な、あまりに陳腐なことなのだ。
僕はあなたを汚さなければならないと決心した。
そうしなければ、僕は今の僕から脱皮することができないのだ。
それは僕の無垢への憧れを完全に断つことになるのだ。

 だが、すぐ僕にはできなかった。
その焦燥が、絶交の手紙を書かせ、その夜、激情に狂った僕はあなたを犯してしまった。
僕はこの時ほど、自分が堕落したことを痛感したことはなかった。
そして、堕落を悲しんだことも。

 僕は罪意識に責められた。
僕は僕にまだ罪意識があったことを喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わからなかった。

 だが、僕はこれを契機に新しい自分を確立するのだという野心に燃えていた。
無垢の化身としてのあなたを葬ったことで、それは可能になったのだと信じて疑わなかった。

 しかし、ああ、しかし、あなたは決して汚れはしなかったのだ。
変わらずあなたは無垢の化身として僕の心の中にいる。
僕は敗北した。
堕落主義に敗北したのだ。
僕はどうしようもないほど、甘ったるい理想主義者だったのだ。

 僕は今、根無し草のような自分を反省し、早くしっかりとした大地に根を下ろそうと、
努力しながら生きている。
この先、自分がどうなっていくのか、自分の眼で見ていけるのだと思うと、生きていくのが楽しい。

 もう書くのやめます。
この手紙は無意味なのではないかという不安が、最初から離れなかったが、
僕はこれ以上その不安に耐えられなくなった。

 でも、この手紙出すつもりです。
僕はこれほど真剣に手紙を書いたことはないし、書くべきことも大体かけたように思うからです。

無礼があったらお許しください。
決して酒の故ではありません。

 幸福になってください。

 終わり

「碧鈴」 第16号 「出されなかった手紙」 その1

2013年01月22日 00時01分34秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
「碧鈴」 第16号 (昭和44年)「出されなかった手紙」 風来 武(かざき たけし)

 「碧鈴」とはオレが学生時代、入っていた同人雑誌の名前。
そこでオレが書いたモノ。(読みやすいように改行した)
風来 武はオレのペンネーム。
 
 今まで、分割したことはなかったけれど、今回は2回に分割します。

 「出されなかった手紙」 その1
 

 「私はいつも神様の国へ行こうとしながら、地獄の門を潜(くぐ)ってしまう人間だ。
ともかく、私は初めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、
神様の国へ行こうということも忘れたことのない甘ったるい人間だった。」     
「私は海をだきしめていたい」 坂口 安吾

 三度の愚を重ねることをお許し下さい。
どうしても言いたいことがあるのです。
前の手紙同様、無意味なことはわかりすぎる位、わかっているのです。
それなのに、また、手紙を書くことは、僕にとってこの上ない苦痛です。

 でも、僕は無意味を重ねることによって、何かを生みたい、
と、言っては、言葉の遊びになってしまうかも知れませんが、
とにかく、前の手紙を無意味に終わらせたくないという願いが、僕をしてこの手紙を書かせるのです。

 最初の手紙、僕はずいぶん乱暴に書きました。
酒を飲んでいたのです。
あなたの面影が脳裏から離れず、いたたまれず酒を飲んだのです。

 しかし、あなたの面影はなかなか去らず、僕は自棄(やけ)になって飲みました。
(酒を飲むのはその時が最初でした。酒を飲むのは自棄酒からという僕の持論はこの時生まれたのです。)

 そうして、僕はふと、ほんとうに、ふと、あなたと絶好しようと決心したのです。
あなたとはもう一年以上会っていなかったけれど、僕はその間、あなたを忘れた日は一度もなかった。

 僕はあなたとの追憶だけを生き甲斐に生きていたのです。
僕はその感傷に終に耐えられなくなったのです。

 その頃僕は、何だか自分が自分でないような不安な感じに追いまくられ、脱皮しなければならないと、
始終そればかり思っていました。

 そして、僕はあなたと絶交することで、脱皮できると思ったのです。
その時もう絶好したも同然の状態だったけれど、僕は会いたいと思えば、いつでも会いに行ったでしょう。
そんなあいまいな気持ちを捨て去るために、絶交状を書く必要があったのです。

 僕のまったくわがままな手紙で、僕はもう何を書いたか覚えていないけれど、
後で自分のあまりに無礼な気づき、許しの手紙を書いた。

 それが二度目の手紙。
「許してください」という、たった一行の手紙だったけれど、それがあなたを誤解させたのかも知れない。

 でも、僕はそうする以外どうしていいかわからなかったのです。
それは僕の精一杯の謝罪だったのです。

 僕があなたと別れたのは必然の結果だったのだと思います。
あなたとの恋は、僕にとって禁断の恋だった。

 僕は確かに過去、あなたを恋したけれど、今、あなたを恋しようとは思いません。
僕には過去のあなたが、十六のあなたがいればそれでいいのです。

 では、なぜこのように三度も手紙をかいているのか、未練ではないのです。
決して未練ではありませぬ。

 僕には僕の思想があるのです。
僕は一度知りあった二人が、何かのきっかけでその交わりにひびが入いり、絶好になるという、
そういうことが耐えられないのです。

 僕はこの思想を実践するために、あなたとの過去のことは一切忘れ、かつての交際を復活したいと願う。
邪念はありません。
あなたに拒否されればそれまでです。

 僕は人間のつながりの哀れに思いを深めるだけ、決してあなたを恨みも憎みもしません。
それは人間の避けられない宿命なのでしょうか。
僕はそう思いません。
僕は人間のめぐり逢いももっと大切にしなければならないと思うのです。

 黄昏になりました。
僕のもっとも暗鬱になる時です。

 あなたは純真無垢だった。
無邪気だった。
僕はどんなにあなたの無垢を羨望したことだろう。

 僕はあなたの無垢について行けなかったのだ。
そこに僕たちの恋の破綻の原因があったのだと思う。

 僕の理想の境地は「虚心坦懐」です。
それは純真無垢に似ているが、根本においてまったく違う。
あなたにはその違いが永久にわからないかも知れない。
 
 色に喩えて言えば、白しか知らない人間が無垢であり、白も黒も知っていて、
白でいられる人間が虚心である。

 僕は今、灰色の人間だ。
虚心を望みながら、無垢に憧れるという中途半端な立場にいる。
僕の迷いはすべてここに集結する。

 僕の無垢への憧れは自分で嫌になるほど強いのだ。
そして、無垢の化身をしてあなたがいる。

 僕は無垢への憧れを捨てきらなければ、
つまり、あなたを忘れなければ、
虚心坦懐の境地に達することはできないだろう。

 あなたは今でもあの純真無垢さを失わないでいるだろうか。
そうあってほしいと思う。
また、そうあってほしくないとも思う。

 純真無垢と虚心坦懐とどちらがいいか、僕にはわからないけれど、
僕は何と言っても、理屈ぬきに、虚心坦懐が好きなのだ。

 論理がすこし支離滅裂になってきました。
酒を飲むのを控えるべきか。
いや、飲み足りないのだ。
もっと飲むべきだ。

 お許しください。
この手紙も酒を飲みながら書いているのです。

 大分酔いました。
虚心坦懐云々について、もう少し言いたい。
僕は寒山拾得のような破戒僧、いや無戒僧と言うべきかも知れません、になりたいのです。
僕が汚れた服を着、汚れた部屋に住んでいるのはこのためです。

 なにものにも束縛されない絶対自由の境地。
それを虚心坦懐と言ったのです。
まだ言い足りない気がするけど、どんなに言葉を費やしても、無駄なことかも知れません。
これは男の世界なのですから。

 もう、ずっと前のことだけれど、なにげなしにラジオを聞いていたら、
My sin was loving you という歌が流れた。
僕はかすかに痙攣し全神経をラジオに集中させた。

 悲しい歌だった。
「私の罪はあなたを愛したこと、あなたを愛しすぎたこと、あなたを忘れてしまったこと。」
およそ、そんな意味の歌だった。

 妙に心に残り、数日間、
「私の罪はあなたを愛したこと。」という淋しいつぶやきが、僕の心を離れなかった。
今でも時々、ふと思い出して淋しくなるのです。


続く