秋田に伝わる祝いの針仕事 「嫁入り道具の花ふきん」 近藤 陽絽子 暮しの手帳社 2013年
はじめに P-4
かつて、嫁ぐ娘の幸せを願い、さまざまな祈りを込めた模様を、さらし木綿に刺し子で施したふきんを持たせる風習がありました。「花ふきん」です。産声を上げたときから、幸せを願って少しずつ刺しためた花ふきんは、母の想いのたけです。
数年前に花ふきんの展示をした際、年配のご婦人が膝まずいて涙を流されたそうです。身体のどこかで「母のぬくもり」を感じたのでしょうか。また、『暮しの手帳』で掲載されたときは、全国の方々から反響が多いとのことでした。それはそれぞれの地で刺し子のふきんがあり、身近で使用されてあったからだと思います。
わたし自身は、大好きだった祖母から刺し子を教わりました。73歳になった今でも、祖母の膝のぬくもり、手の皺が思い出されるのです。私に針を持たせるのは、そんな祖母と想い出からです。
花ふきんは、今ではもう昔のような、嫁入り道具としての華やかな「用」はありませんが、毎日使う器のように、生活の中でそれなりに「用」をなして、潤いとなればいいのです。電気釜の上、茶道具のほこりよけ、そのほかの物の上に、威張らずこっそりと、微笑んでいる。有るのが当たり前、無くなれば気になる。そんな存在。「母は――、家内は――、たかがふきんに、よくもこれほど一針一針根気をつめるもんだ」なんてしみじみと家族に眺めてもらえたら、それはうれしい。
花ふきんの記事をみて、刺してみたいという方に「上手く刺そうとするのではなく、ただただ無心に真っ直ぐに針を進めることです」と、運針の心得だけをお伝えしたことがあります。(中略)
本格的に刺し子をはじめてから、30数年が過ぎました。他人様に教え、教わる日々でした。先人の暮らしの知恵に感謝しながら、昔ながらのしきたりを守り、かぎり無い模様(刺し)が出来ました。その中の、ほんの数十種をご紹介します。みなさまの刺し見本となり、少しでも刺す喜びをお伝えできたら幸せです。
はじめに P-4
かつて、嫁ぐ娘の幸せを願い、さまざまな祈りを込めた模様を、さらし木綿に刺し子で施したふきんを持たせる風習がありました。「花ふきん」です。産声を上げたときから、幸せを願って少しずつ刺しためた花ふきんは、母の想いのたけです。
数年前に花ふきんの展示をした際、年配のご婦人が膝まずいて涙を流されたそうです。身体のどこかで「母のぬくもり」を感じたのでしょうか。また、『暮しの手帳』で掲載されたときは、全国の方々から反響が多いとのことでした。それはそれぞれの地で刺し子のふきんがあり、身近で使用されてあったからだと思います。
わたし自身は、大好きだった祖母から刺し子を教わりました。73歳になった今でも、祖母の膝のぬくもり、手の皺が思い出されるのです。私に針を持たせるのは、そんな祖母と想い出からです。
花ふきんは、今ではもう昔のような、嫁入り道具としての華やかな「用」はありませんが、毎日使う器のように、生活の中でそれなりに「用」をなして、潤いとなればいいのです。電気釜の上、茶道具のほこりよけ、そのほかの物の上に、威張らずこっそりと、微笑んでいる。有るのが当たり前、無くなれば気になる。そんな存在。「母は――、家内は――、たかがふきんに、よくもこれほど一針一針根気をつめるもんだ」なんてしみじみと家族に眺めてもらえたら、それはうれしい。
花ふきんの記事をみて、刺してみたいという方に「上手く刺そうとするのではなく、ただただ無心に真っ直ぐに針を進めることです」と、運針の心得だけをお伝えしたことがあります。(中略)
本格的に刺し子をはじめてから、30数年が過ぎました。他人様に教え、教わる日々でした。先人の暮らしの知恵に感謝しながら、昔ながらのしきたりを守り、かぎり無い模様(刺し)が出来ました。その中の、ほんの数十種をご紹介します。みなさまの刺し見本となり、少しでも刺す喜びをお伝えできたら幸せです。