民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「江戸の大道芸人」 中尾賢治

2013年05月09日 00時56分39秒 | 大道芸
 「江戸の大道芸人」 大衆芸能の源流 所載  中尾賢治 著

 「貧人」から「」へ

 ここで少し、江戸時代はじめの都市下層民の状況について考えておきたいと思います。
実は彼らこそ、これから述べる大道芸人の出身母体ともいえる存在だからです。

 江戸時代がはじまる前後、長い戦国の動乱で家を焼かれ田畑を踏みにじられた農民たちが、
職を求め大挙して城下町へ入ってきました。
彼らこそ、「貧人」の”主力部隊”です。

 城下町が建設途上にある間は、堀を掘ったり石や材木を運んだりなど、
土木・建設の仕事を中心に多くの労働力が必要でした。

 しかし、城下町の建設が一段落すると、仕事にあぶれる人々がだんだん増えてきます。
労働力が飽和状態になってくるわけです。

 結局、「貧人」たちは、「物もらい」などをしながら城下町のあちこちにたむろして、
ひたすら生きるための手立てを求めることになります。

 乞胸のやる大道芸は十二種あったとされている。
町奉行に対し乞胸の稼業について提出した書つけ。(1821年)

1、綾取 竹の棒に房をつけ、これを投げ上げる曲芸。
2、辻放下(つじほうか) 玉を隠したり、手玉に取ったりする芸。
3、説教 むかし話に節をつけ、語って聞かせる。
4、物読 古戦物語を語って聞かせる
5、講釈 「太平記」など、きまったものを語り聞かせる。
6、浄瑠璃 謡に近づいたもの。義太夫節など講談や浪曲の元祖。
7、物まね 歌舞伎役者の口上をまねたり、鳥やけもののまねをする。
8、仕形能 能のまねをする。
9、江戸万歳 三河万歳のまね。
10、猿若 ほおを赤く染めて演じる芝居。
11、操り 人形を操る
12、辻講釈(辻勧進) 芸のできない者や子どもらが、往来にすわって銭を乞う。

 仁太夫が町奉行に提出した書きつけ(1799年)
 
 この十二種以外でも、寺社境内や空き地のよしず張り、水茶屋などで見せ物をし、
木戸銭を取ったり、見物人から銭を受けているものは、古くから乞胸の支配でございます。
ただ、古くからやっている稼業でも、見慣れてしまったものは商売になりませんので、
時々は演(だ)し物を変えて演じております。

「神農さん」 浪越 繁信

2013年05月07日 00時18分54秒 | 大道芸
 「日本の放浪芸」  小沢昭一 著  白水社  2004年

 一、祭りの露天 P-304
 浪越 繁信(東京を中心に活躍したテキヤさんの親分)と小沢昭一との対談。

 <神農さん>
浪越 「われわれは、お医者さんがお祀りしている神農皇帝を、われわれの神と崇めています。
神農皇帝とは、支那の象徴の神様でして、われわれに言い伝えたもとは、
朝廷の息子、すなわち皇太子が山に入って草根木皮をなめて、毒になる草も食う。
するとお腹をこわす。
下痢を止める薬はないかといろんな草の根、木の皮をかじってみて、
つまりゲンノショウコだとか、今の漢方薬ですね。
漢方薬を体験して、これを持って町へ降りて、衆生済度(しゅじょうさいど)ですね、
病気の人にこれはこのように効くんだから飲みなさいと、
薬というものを知らない時代に一般に広めたと同時に、
今でいう小売商の困った人々に、市を開いて物々交換をすることをやらせた。

 市を開いたということ、それから薬を広めたということ、
これによってわれわれはこの人を神様として、われわれの親分を神農皇帝にたとえて、
あの人は神農さんだと、あれは博多の神農さんだと、あれは山形の神農さんだと、
つまり県一番の親分を神農さんというふうに。
われわれが代目の杯をするときには、今日から神農になりましたということですね。
そもそもの始まりはそれからきてるようです。」

小沢 「関西の方では、今でもテキヤと言わないで、神農さん、神農さんと言ってるようですね。」

浪越 「そうです。ただし、神農さんというのは親分さんのことです。
表へ出る香具師のことを、テキヤ、あるいは、香具師、露店商、外商組合、移動露店などと称して、
いろいろ言いますが、テキヤはそのときそのときで当たるものを持って行って売るから、
字に書きますと「当たり矢」が「的屋」ですね。
ヤシは香具師。香具師とはなんぞや、ということになると、
戦国時代、各地の郷士が自分の配下、小作人をまとめて戦争屋さんのお手伝い、雇い兵に行ったんですね。
雇われ兵で給料、米をもらい食っていた。
ところがいちおう徳川が世の中を治めた。
世の中が治まってくると、自分の禄高では雇えなくて、
先祖代々の正社員はしかたないが、雇い兵はクビにした。
クビにされた雇い兵が食うに困るわけです。
といって、今さら国に帰れない。そこで、今までは、おい、小沢、田中で付き合ってたんだが、
クビになったんだから、侍の女房が使う香具(化粧品)、紅(べに)、白粉(おしろい)、
香料といった香具を仕入れて、もとの友達に、どうせ買うなら俺から買ってくれと売りに行った。
香具を売って生活をしたのが、家庭訪問販売だけでは食えなくなって、
露店というものが盛んにあった時代ですから、その香具をもって露店に出たんですよ。
それで香具師になった。
これはコウグシなんですね。
香具師は本当の武士ではなく、野武士だったんですね。
田んぼをやってたのが、武士になった。
野の士です。ヤシ。
そこで香具師と書いてヤシと読むようになった。」

「露店商の先祖」 浪越 繁信

2013年05月05日 01時01分03秒 | 大道芸
 「日本の放浪芸」  小沢昭一 著  白水社  2004年

 一、祭りの露天 P-304
 浪越 繁信(東京を中心に活躍したテキヤさんの親分)と小沢昭一との対談。

 <露店商の先祖>

小沢 「お彼岸の大阪・四天王寺境内です。
所狭しと露店が並んでおりますが、それをはしから見て歩きながら、
露店商、香具師(てきや)の世界を、うちわの人間のお立場から、くわしく伺おうと思います。」

浪越 「われわれの稼業、香具師はこんなふうに始まりました。
ご承知の聖徳太子が日本国の憲法をお作りになった。
しかし、これは今でいうインテリに通じるあり方であって、
一般は無学文盲というか、レベルが低すぎたわけですね。
これを宗教に帰依させて、大和民族を善導に導こうとして、
大和にああいう立派な法隆寺をお建てになった。
ところが、これは地の利を得なかったんですね。
場所が悪かった。
そこで、浪花の地に四天王寺という立派なお寺を建てて、
大衆を一人でも多く集めて善導に導こうとしたが、なかなか人が集まらない。
そこで考えられたのが、いわゆる露店でも出せば人が集まるんじゃないかというので、
露店を勧誘してたくさん境内に出させた。
そしたら、仏教の説教を聞きにくるんじゃなくて、露店に遊びにくるのがものすごく多く集まった。
来れば本堂に入りますから、そこで仏教で人間を善導に導いたという。
そのときに集まった露店商が、われわれの先祖であるといわれてるわけです。」

「バナちゃん節」 博多 淡海

2013年05月01日 00時53分16秒 | 大道芸
 「バナちゃん節」 博多 淡海  you tubeアリ

 バナちゃんの因縁 聞かしょうか
生まれは台湾 台北で 台湾土人に 育てられ
青い時から もぎ取られ

 国定忠治じゃ ないけれど 
唐丸カゴに 詰められて その上荒縄 くくられて
金波銀波(きんぱぎんぱ)の 波越えて 大波小波の 波越えて
着いた所が 門司港

 門司は九州の 大都会 
門司の港で 検査され
一等二等と ある中に 私のバナちゃん 一等よ
長い汽車に 乗せられて 着いた所が 箱崎八幡 宮の前

 夜店小店に さらされて
冬は電球で 温(おも)されて 夏は氷で 冷やされて
私のバナちゃんば 食うたなら 35年の 長生きよ 
長生きするのは 福笑い

 さぁ始めましょ 始まましょ 
始めあったら 終わりある 尾張名古屋は 城で持つ
城の中には 池がある 池の中には 蓮がある
蓮の花には 穴がある 穴で私は 苦労する

 さぁまけたか ゴンパチ(58)か
権八ゃ昔の 色男 それに惚れたが 小紫

 もひとつまけたか ゴウヨン(54)か
ゴウヨン鳴るのは 鎌倉名産 鐘の音

 もひとつまけたか ゴウサン(53)か
五十三次ゃ 東海道 昔ゃおカゴで行ったけど 
今は拓(ひら)けて 汽車電車

 またまけたか ヨンキュウ(49)か
ヨンキュウか ここよく聞けよ ヨンキュウか 
子宮は女の 良か所(とこ)で それが男の 好く所

 姉ちゃんアンタに 婿さん無いならば 私が婿さん 世話しょうか
世話するまでの 間に合わせ 私のバナちゃんで どうかいな

 もひとつまけたか ヨンパチ(48)か
四十八ゃ久留米の 連隊で いつも戦8いくさ)にゃ 勝ちどおし
私のバナちゃん 泣きどおし

 またまけたか ヨンシチ(47)か
四十七士の 歴々は 師走半ばの 14日
雪がちらちら 降る中に 吉良の屋敷に 乱入し
ついに本懐 遂げました

 まだまだ もひとつまけたか ヨンヨン(44)か
ししは赤子の 寝小便(ねしょんべん)
はがいかば はがいかばい

 もひとつまけたか サンゴウ(35)か
産後の後家さん 気が早い

 またまけたか サンサン(33)か
三三 杯(さかづき)めでたく 済みました
緞子(どんす)緞子の 掛け声で できた子供が この子です

 人は一代 名は末代
うちの先祖は 犬殺し 
オヤジは墓場の 骨せせり 息子は遊郭 穴せせり

 帰りの土産に 何もろた
淋病 梅毒 横根搔(が)き
あとに残りし 質札 シラミとノミだらけ

 もひとつまけたか イッチンか
オチには学校の 先生で
ここらでお手手を 叩きましょ

ヨーイサーノ ヨイサノ 手締め
 

「フーテンの寅 啖呵売」 新発見

2013年04月28日 00時44分27秒 | 大道芸
 フーテンの寅、啖呵売の口上で、あいまいな言葉の意味を調べている。
今日、新しい発見があった。

 こんなヶ所がある。

 いないか、・・・それでは、続いてまかった数字が二つ。2(にっ)花札でニゾウ
ニゾウって言ったって、二匹の象じゃないよ。
兄(2)さん(3) 寄(4)ってらっしゃいは、吉原の呼び込み。(吉原のカブ)
(2,3,4は、足してカブになるという縁起のいい数字だ。)
憎まれっ子 世にはばかる
日光、けっこう、東照宮。(徳川家康、大権現。)
仁吉が通る東海道。(吉良の仁吉は男でござる。)
仁木(にっき)の弾正(だんじょう)(芝居の上での)憎まれ役。(ニッキ飴とは関係ないよ。)

 憎まれっ子、日光、仁吉が、仁木の弾正(赤字部分)はそれぞれ「いろはかるた」に入ってることを発見。
憎まれっ子、日光は関東のいろはかるた、仁吉は尾張のそれ、仁木の弾正は上方のそれ。

 おれはずっと関東に住んでいるので、
関西のいろはかるたは関東のそれに比べてほとんどなじみがない。
関西では常識であることも知らないことが多いだろう。
(もちろん、その逆もありうるけれど)

 (おれが知らない)言葉が、どれだけ知名度のある言葉なのか、そのラインを引くのはむずかしい。