標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

ケガをして分かった。わが国に内在する包容力の狭さ

2018-02-27 19:57:44 | 日記
昨日の肉離れを起こした件であるが、直後にシップとテーピングをしたので、痛みは少ない。しかし、昨夜は寝ていて寝がえりのたびに起きていた。左右の足の置き場がなく、通常とは違う体制を確保したので、大分意識をしていたように思う。通常、右を下にして寝る場合は、左足を右足にのせてねているようだ。しかし、昨夜は左足を右にのせると痛むので、それができず左足の置き場がなかった。反対に左を下に寝返りしたときは、右足を左足にのせると右ふくらはぎが痛いので、これものせられなかった。

こんな寝苦しい夜を過ごしながら、20年前のヒラメ筋の断裂とその後の生活のことを思い出していた。わが国の文化に内在する包容力の狭さを。

20年前は土曜日の早朝のケガだった。近所の整形外科で処置をし、損傷部位のギプス、松葉杖姿となった。それにもかかわらず、次の月曜日から出勤した。何故ならば職場は一人職種だったので、幸いかな? ケガによる休暇は取らずに済んだ。

その後、病院が併設された職場だったので、その病院で湿布交換などの処置をした。そして、車いすを借り、職場内は車いす生活となり業務に支障をきたさなかった。

この時、年間予定枠で、私自身が講師の外勤があった。これも休むわけにはいかず、松葉づえをついて、片道1時間ほど係る会場まで電車で通った。それもターミナル駅では別な鉄道会社への乗り換えがある。一度外に出て、別の駅まで歩かなければならない。駅に隣接するデパートにはエレベーターがあるので、デパートの営業時間内であればそのエレベータが使用できる。しかし、講義は早朝だったので、デーパートは閉まっていた。当時、乗換駅は、ホームから、コンコースに降りるのには、階段かエスカレータしかなかった。階段やエスカレーターの使用は不安だったので、何か手段はないかと探したところ、体の不自由な人でエレベーター使用の希望の方は申し出てくださいとの表示が見つかった。早速改札を出て駅窓口で尋ねた。

すると次のようなコメントが返ってきた。「障害者手帳は持っていますか」と。すぐにはエレベータの使用許可を得られなかった。ケガの旨説明すると、本来は障害のある方しか使えないのだがと言いながら、しぶしぶ窓口のドアを開けてエレベータのところまで案内してくれた。エレベーターは倉庫のようなところにあった。多分、通常は荷物を運ぶためのものだと分かった。係り員はエレベータボタンを押し、階下へと案内した。私は礼を言い外に出た。係り員は終始無言であった。



このエピソードは、今でも鮮明に覚えている。その理由の一つは、都内のターミナル駅なのに、バリアフリーでないと驚いたこと。もう一つは、ある意味でルールに従った忠実な駅員さんとの出会いであったこと。総じてわが国の包容力の狭さを感じた。

この駅では、エレベーター使用を許可する場合は、障害者手帳を取得している人に限るというルールがあるのだろう。対応した駅員さんを責めることはできない。職務に忠実だった。
しかし、病気やケガにより歩行等が不自由になることはありうる。エレベータ使用について幅を持たせるようなルール作りが必要かなと思った点だ。

このような、ルールに忠実過ぎるという面は、最近でも見られる。少し前のニュースで、高校の校則で禁じられている髪の毛を染めることのに関するトラブルの報道があった。50年前のことであるが、私の妻はもともと地毛が茶色がかっていた。学校で髪の毛を染めるなと注意されたことがあるという。半世紀経っても、全くといっていいほど改善されていない。

悪法であってもそれに従わなくてはならないという、日本人の勤勉さが為す術といえるのではないだろうか。

ゆとり教育を見直そうという動きがあるが、もっとわが国はゆとりをもって、様々な状況、いろいろな人を配慮して、受け入れられる社会づくりが必要かなと思う。
コメント
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