大鳥神社で行われる酉の市では熊の手が何故うられているんだろうと考えました。
考えてもわかりません。
なら、言葉遊びをしてみます。
熊と鳥で、
くまとり。
隈取り。
なので、歌舞伎の隈取りについてかいてみます。
鮮やかな色彩の化粧のなかでも、ひときわ強い印象を与えるのが「隈取」です。
地色を塗った顔に、筆で線を引き、指で片側へぼかす化粧法で、「描く」のではなく、隈を「取る」というみたいです。
「隈」は光と陰の境目を意味し、血管や筋肉などを大げさに表現したもののようですね。
描くのではなく取るというんですね。。
白いパレットに描く🎨イメージは足すイメージなのに、実は描くではなく、取ること。。
つまり、何もないところに形をとる。象る。
仏像や石佛なんかの彫り師も、
木や石に何らかの後神霊の御姿を見て
それを象る🟰かた取る。
本当の描くは、足すではなく、
取る、引くイメージなのかもですね。
鳥は、取りであり、つまり引くイメージ。
鳥が飛んで離れて俯瞰するのは、その場から引いて観る訳ですし、言霊って、面白いですね。
歌舞伎の隈取りのクマですが、🐻、光と陰の境目だったとは、なんだか素敵。
熊の手は、酉の市で売られているみたいです。買ったことはありませんが、幸福を集めるとか言われていますね。
熊の手
シンプル イズ ベスト
ハロー、ホンモノの熊の手
光と陰の境目って、太極の交わるところかな。中庸。偏らない接点ですね。そこって、実は一番強いんでしょうね!
隈取りのお顔の迫力は、光と陰の境目を取りだして強調していたんですね。
全身を赤く塗ったり、隈取りをとって、超人的力で悪人を蹴散らかす立ち回りを歌舞伎では演じたりするみたいですね。
睨みとかも歌舞伎にはあります。睨みとは、「天と地を同時に見渡す」、「光を受けるのではなく、反射させる」ということみたいですね。
そういえば、昔のエジプトの顔の入れ墨も、太陽光が強い国ならではの光を反射させる意味合いがあったのかな?
九州に古代に渡来した鯰をトーテムにする一族も顔に入れ墨をしていたり、神話にも入れ墨を顔にいれた人が度々出てきます。
熊野大社の八咫烏も、熊とトリのセット。八咫烏は太陽の黒点とも、太陽を導くともいわれていますね。
歌舞伎なんかの伝統芸能や、お祭り、には、日本の神様の優しい奥深さが隠されているのですね。
私は、睨みより熊の手によくついているこっちの垂れ目が好きですね。