昨日の続きです。
伏羲は文字がなかった時代、紀元前3300年頃古代中国において伝説上の皇帝として生きたと言われており、中国神話の時代に生きて、易経の礎とも言える八卦を生み出しました。
伏羲は古代中華の人民を幸せにするためな、常に考えることは”善”であり、思考が善なので行動も善で、その行動は、絶えず、安寧と安らぎ、幸せを考えての行動だったといいます。
文字もない時代の、口上で伝えられる時代に生きていますから、人物像自体にも、様々な尾びれ背びれがついて古代中国の書物に多くの物語として伝えられ、各部族の伝承としても残っているようです。
ウィキペディアによると、伏羲は八卦だけでなく、結縄の政に代えて書契(文字)をつくったともされています。
結縄って何?と思ったので調べてみました。
中国で文字のない時代は、紙も無い時代。政治上の大事には大縄を結び、小事には小縄を結んで記録したようで、それを「結縄の政」というみたいです。
しかも、中国だけでなく、結縄は、インカ帝国や北米インディアン、台湾のアミ族やプユマ族も文字の変わりにもちいていたようです。
インカ帝国の結縄は、キープ(Quipu)とよばれ、「結ぶ」あるいは「結び目」を意味し、行政の様々なことを紐を結ぶことにより記録していたそうです。(英語のKeep保つはそこからきているのかな?解りませんが。)
キープの紐には羊毛が用いられ、色、結び目の距離、数、大きさ、形あるいはねじれ方などによって膨大な情報を記録することができたみたいです。
北米インディアンの間でも結縄はしばしば見られ、様々な部族が結縄に類する文化を持っていたようです。
部族の歴史、部族間の条約や協定に相当する取り決めや領土の境界、さらには個人の特徴をも記録するのに用いられたみたいですね。
台湾の原住民アミ族は文字・数の表現の代用として結縄を多く使用し、かなり近年まで(地域によっては昭和初期まで)まで結縄が用いられていたようです。また、祭礼や作業負担の記録のために結縄が用いられていました。
台湾の、別のプユマ族は、男女の情愛のほどを確かめるのに結縄が用いられ、その結び目の位置や結び方の一致・不一致によって互いの愛情を確認しあったともありました。
口伝は、言った言わないがあったり、恋愛なんかの思いも形にして確認しようと文字の無い時代の涙ぐましい努力を感じます。
縄で結んで残していたものを、文字に変化させたのが、伏羲。
中国の文字、漢字の原型?だとすると、私たち日本人も恩恵に預かっています。
文字が溢れている時代に生きて、文字の作成される前の時代を想像することも無かったですが、
記して残す必要性を、縄を結ぶことにより、様々な地方で人間が同じように使っていたのは興味深いです。
結縄は、糸や、縄を「結ぶ」ことで、そこに意味合いを持たせたわけで、最初は結ぶか結ばないかの二元論で、シンプルです。
文字を持たない時代のことは、記録がないので知る由はありませんが、当時を生きた人でさえ、文字が無い場合は、色んな手段で何とか残した方がよいと考えたのですね。
言葉は発声されたら、瞬時に消えます。
人の脳の記憶は曖昧で言った言わないが、喧嘩の種にもなります。何かしらの利害関係がある場合は文字や証明が必要で、文字が無い時代に「結び」が、政の記録として使われたことは、まずは善悪の二元論をはっきりさせる意味合いもあったのでしょうか。
結ばれたものは縁として、良いことも悪いことも、残す意味合いを感じます。
文字も一本の線がまるまったり、まじわったりしながら様々な形をとり言葉を残します。
文字によって示された様々なものを読むことが私達はできますが、想像もできない文字が無い時代に、書契(文字)を作り、それを浸透させた、伏羲。結んで残る文字、漢字の大元を作ったわけですから、凄い創造の神様だなぁと思いました。
【画像はお借りしました】