昨日の続きです。
中国の神様、伏羲は天地の理を理解して、易経の八卦を画いたといわれています。
当たるも当たらぬも八卦の八卦です。「卜」(ぼく)、つまり、亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占ったりするものです。
また、占筮 (せんぜい) という元は植物の茎を使い、50本の細い棒で占ったりもするみたいですね。
易の中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説いているらしく、詳しくありませんが、ウィキペディアに紹介されていました。
この「易」の作成に関わったのが、伏羲であり、文王(周公)・孔子を加え「三聖」というようです。
何千年も易は伝えられていることから真理であり、物凄く奥が深いみたいですね。
運気というものが生きているとあります。それを体型づけて説明しているのでしょうか。
運気ですが、
自分の力を加えなければ、
上り続けることも下り続けることもないのかもしれません。自然に任せると、自然が破壊後は修復して元にもどるように。
しかし、下っている時は、なんとかもがきます。底なし沼には落ちたく無いし、、底がどこかも解らないですから。
しかし、辛い時に、自分に、
運気が落ち気味だなぁ、
今、結構、底かなぁ、、
よし、いっぱい味わったらあとは抜けるだけだ!
と自分で自分を励まして生けたらいいなと思います。
りきんだり、もがいたりすると、
ドツボにはまってさぁ大変。
さらに底の穴を掘ってしまいそう。できる努力はしつつ、耐える時ってありますしね。
反対に、運気が上向きの時は調子に乗ったり、驕り高ぶる危険性があります。
喜びを味わったら、
後は徐々に下るのかもな、、
そう気を引き締めて考えて、
頂点にいる時こそ、浮かれた心を注意しなければなとも思います。
勝って兜の緒を締めよとは良く言ったものですね。
私は易は殆どわらかないけれど、
様々なパターンの説明をみると、
自然の森羅万象にそっていて、
易って深いなぁと思います。
そんな易を作った伏羲って凄いなぁとも思います。
自然は無為ゆえに永遠の命が与えられている、さまざまなパターンを陰陽あわせもって繰り返して循環している。
それを俯瞰する目が伏羲にはあったのでしょうね。
【画像はお借りしました】