大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

富雄丸山古墳からの発見をモーゼと繋げてみる

2023-01-26 08:33:00 | 神仏について

昨日、単身赴任先の夫からLINEが届きました。奈良の富雄丸山古墳と言う所から、凄い鉄剣と銅鏡が発見されたというのです。

奈良のこの地は饒速日命や長髄彦と関係がある!この時期にこの地で発見されるとは意味があると言ってきました。


私はこの銅鏡の形、発見の記事を半分ウトウトして読みながら、夫のLINEに、へー、凄いねー、、と返信して寝てしまいました。


朝目が覚めて、夫の力説とニュースの内容をもう一度よく見てみると、ふと、私はこの形、モーゼの十戒の石版に似ている!と思ったのです。




以前、モーゼのことが気になって書いたことがありましたが、また、気になりモーゼの逸話をよんでみました。


因みに、モーゼが神からいただいた十戒の内容は

①あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

②あなたはいかなる像も造ってはならない。

③あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

④安息日を心に留め、これを聖別せよ。

⑤あなたの父母を敬(うやま)え。

⑥殺してはならない。

⑦姦淫(かんいん)してはならない。

⑧盗んではならない。

⑨隣人に関して偽証(ぎしょう)してはならない。

⑩隣人の家を欲してはならない。

です。


羊飼いとして働いていたモーゼは神託をうけます。その場面がこちら


ある日、モーセは羊の群れを追っていると、神の山にやって来ました。すると、モーセはそこで燃え盛る柴(しば)を発見します。 燃え尽きない柴を不思議に思って近づくと、神様がモーセに語りかけてきました。

モーセよ、私はイスラエル人たちの苦しみの叫びを聞いた。

イスラエル人たちをエジプトから救い出し、カナンという約束の地へ行きなさい。


カナンとは、東にある約束の地です。

また、富雄丸山古墳で今回発見されたものに蛇行剣もありました。


蛇行剣にも反応してしまいました。

エジプトに戻ってきたモーセは、イスラエル人を解放するようにファラオに訴えましたが、ファラオは当然これを断ります。

そこで、モーセは持っていた杖を神の力で蛇に変えてみせました。これによって神の力を証明しようとしたのです。ところが、これを見てファラオの手下である魔術師も同じように杖を蛇に変えてしまいます。

モーセの蛇は、魔術師たちの蛇を呑み込みましたがファラオの意志は変わりません。

そして、ここから、神による10の災いエジプトに次々と降り注ぐことになります。

神が起こされた10の災いがこちら↓

ナイル川の水が血に変わる

カエルを放つ

ブヨを放つ

アブを放つ

家畜に疫病を流行らせる

腫れ物を生じさせる

ヒョウを降らせる

イナゴを放つ

暗闇でエジプトを覆う

初子(ういご)を皆殺しにする


なかなか、ファラオはイスラエル人たちを解放しませんでしたが、最後の災いがエジプトに降りかかり、神は、エジプト中にいる全ての初子(夫婦間で初めて生まれた子のこと)の命を奪い、その中にはもちろん、ファラオの子供も含まれていました。

自分の愛する子供が殺されたときになって、ようやくファラオはイスラエル人の解放を許可したのです。


ここまで。


今回、奈良で発見された蛇行剣。

古代史を学ぶと、日本とユダヤの関係は切っても切れないです。

今の時期、疫病が蔓延する時代、核戦争の脅威、さまざまなカオス状態。

なんだか、繋がります。奈良で発見されたわけですが、奈の漢字は、大と示でできています。

もとは「柰」と書き、「示」は神事で使われる文字で、「大(木)」は大地をおおう大きい樹を表すことから、「神事に用いられる果樹」を意味します


木のように天に向かって良く伸びて広がる時代が風の時代だと思います。自分の根を大地にしっかりと根付かせながら、風が強くて耐えることも必要かも。改心がなければ奈落に堕ちる可能性すらある危うさも感じます。


古墳時代、日本でも力を持った豪族が神のように振る舞い奴隷に墓を作らせていたのでしょう。エジプトのピラミッドを作らせたファラオと同じです。人が神のようにふるまった時代です。また、金のうしの偶像を崇拝したりします。これは、金がものをいう時代、金をもったものが力をもつ時代の象徴かもです。

奈良時代には、奈良の大仏が作られます。疫病が流行り大仏の力により鎮めようとしたわけですが、自然に神をみるヒトが暮らしていた日本も、人心が、神からはなれていったのかもです。


十戒では偶像崇拝を禁止しています。


神は無形。森羅万象、その運行の中に神の働きをみます。全てのヒトも神のわけ御霊を持ち、差別はないと思っています。


人が自分だけが神の様に振る舞い、民を虐げたりはもっての他であり、神を形にすることも、違うのかもしれません。


人が神を畏れない時代、神が力を見せようとされているのかもです。自然を欲しいままにし、神をも畏れない人、神の名を語り困った人を自分のほしいままにして、金を巻き上げる人がはびこる。


今回、富雄丸山古墳の発掘遺跡をみて、モーゼをふと思っただけで、全く関係ない、でしょうけれど、私はこれをメッセージに捉えたいと思いました。


神々は、土の中からも人にメッセージを伝え、ヒトに気付いて欲しいと改心を促しているのかも知れません。



すずめの戸締り

2023-01-25 06:00:00 | アニメ

娘とすずめの戸締りを観てきました。とても良かったです。君の名は、天気の子、共に強いメッセージがありましたが、それらにも劣らず非常にメッセージの強いものがありました。


ネタばれになると良くないですので、観る予定の方は、これ以上読まないでください。


沢山メッセージがありましたが、要石(猫のダイジン)や3本脚のイスなど主人公すずめのそばに出てくるキャラクターについてだけ、書いてみようと思います。


娘が映画を見終わったあと、要となる常世は、過去、現在、未来が重なって存在する場所なんだね、といいました。

カナメ、要点をずばっと語っているなぁと思いました。


三本脚の椅子からは、鼎(かなえ)をイメージしました。三本脚の青銅器です。火に風をおくり、水をいれて煮炊きします。水と火を交わらせるもの。




鼎の説明については、もともとは肉、魚、穀物を煮炊きする土器として使われていたもののようですが、祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められ、精巧に作られた青銅器の鼎は、国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられたものです。


鼎に紐付けられる、いけにえ、大臣、がこの物語にでてきます。猫はダイジンと呼ばれます。


三本脚のイスに変えられた宗像ソウタは、イケニエのように円錐形の山の頂上で氷にかわり、火で燃えさかる山を氷(水)になって、おさえる要石になります。

それは、まさにイケニエ。一人の命で百万を救うのです。


昔、コノハノサクヤヒメが燃え盛る富士山に身を捧げる話(神話では燃え盛る火の中で子供を産む話となっていますが、)と少し重なりました。人身供養、イケニエは古代災害を鎮めるために実際なされましたから。


すずめは、もともとあった要石を抜いてしまい、その石はダイジンと呼ばれる猫に変身して、地震が多発してしまいます。


猫は、禰󠄀子と音が同じで、「神主」を表すのです。猫も杓子もは、猫が禰󠄀子(神主)、杓子は釈尊の弟子、つまり僧侶のことです。すずめの抜いた猫の形の土偶のような石が禰󠄀子で神主としてその地を鎮めていた重鎮だった!?という伏線を映画館で気づき、なるほどなぁと妙に納得していました。単なる空想かもですが😅


すずめは、小さい石、ネコの形の要石を抜くわけです。その小さな石はすずめの幼少期の悲しみの意識で、幼い頃母を探して一瞬入った常世で預かった鼎のような三本脚のイスと、現世を結びつけます。


ヒトの意識が要石になります。意識は、過去も現在も心では区別がないのです。

すずめが抜いたネコの形の石は、それまで幼少期のすずめの心象風景と重なる廃墟のような地でずっと要石として九州を抑えていました。


人の想念や意志、意識を要石として描き、それが抜かれたから、動くネコ(禰󠄀子🟰神主)として描いたのかな。


ダイジンの言霊は、三本脚の鼎に象徴される大臣の意味もあり、また、大神、の響きもあります。

三本脚に姿を変えられた宗像ソウタは、常世と現世の扉を締める鍵をもつ閉じ師。


昨日小袋石について書きましたが、要石と呼ばれる石は、神社にいくとあります。有名なのが鹿島神宮の要石で、宮崎の高千穂から運ばれています。関東の地をおさえる石が九州から運ばれています。ここに、壮大な古代からの人の攻防などを感じます。


また、小袋石についていうと、太古、八ケ岳が噴火して長野に飛んできてそして、中央構造線と、フォッサマグナの十字に交わる所で、日本をおさえています。


小袋石の割れ目は女陰のようですが、この石から7つの子石がわかれ、また山深い長野の重点に置かれ、鎮めている、まさに重鎮のお役目を果たしています。


映画でネコは2匹でてきますが、2匹目のネコ🐈‍⬛は、幼いすずめを引き取って育てた玉環さんの思い、意識、をあらわしていました。

玉環さんの意識には、複雑に絡み合って重くなったものもあり、しかし、根っこは愛でした。玉環の意識が怒りや悲しみで爆発した時、意識はネコにかわり、さらに大きな災害の要素になりました。


タマキの名前から、玉置も重なります。玉置神社には3つの石があり、玉石社がこの地の最大の霊地のようです。石を鎮める、石を置く。石に見えて、玉だから、玉置なのか。


ヒトの意識は石のように🪨重くなって、そこに住む地に溜まります。玉のような思いはその地を鎮めるのかもしれません。ヒトの思いの蓄積が過去、現在、重なり、未来となる。そして災害も生み出してしまうとしたら、一人一人が想念の大切さを意識して生きていかないとイケナイのかもです。


太古は山そのもの、湧水がコンコンと流れて尽きない地、また磐座や巨木を御神体として人々は祈りを捧げました。


それは、自然そのものに神を見て、そしてヒトのイシ気にも自神に通じるものがあり、大いなる森羅万象の中でしか生かされてイケナイ個の小ささと、しかしながら依り集まって意識が石や玉のように積み重なり輪廻して、一方では重なって存在していることを感じていたのかもしれません。


映像の美しさも感嘆するものでしたが、映画に込められているメッセージの強さを、娘と帰路話ながら帰りました。


お母さん、この映画好きだなと思った。と見終わった瞬間に言われました。

どうして?と聞くと、


だって、神様色強いもん、、らしいです🤭


○○も好きだよね?と聞くと、


うん。と笑って言っていました。😄




津野山参拝 初めて芳生野の諏訪神社へ

2023-01-23 05:55:00 | 神社仏閣

長野の諏訪に小袋石という石があって、玉尾社という祠がその隣にあり、お婆ちゃんの名前玉尾と一緒で驚いたという話を母にしていました。









小袋石は長野の諏訪地方にありました。芳野とい地名も長野県松本市にあり下諏訪に隣接しています。祖母の生まれた芳生野と名前が似ていて驚きました。


また、津野町で諏訪神社があるのは芳生野だけなので、地名縁起で繋がりがあるかもね、玉尾お婆ちゃんも、諏訪神社に参拝に行くと喜ぶかもねと母が話しました。


母は自分の母(私の祖母)のことを色々私と話しながらしみじみ思い出しているようでした。


父の容態もひとまず落ち着いたので、年明けにお山の神様にまだご挨拶も出来ていないから、お山の神様にご挨拶と、今回は早朝に津野町芳生野まで行き、参拝しよう!ということになりました。


昨年、諏訪の御柱祭を見ることが出来たことや、冨士淺間神社で諏訪の方が実は最初に祀られていた話を聞いたこと、タケミナカタ神に纏わる神話の話を母としていました。


古い日本の神様であり、国譲りの際抵抗して、諏訪から出ないようにとされたタケミナカタ神。


津野町は河内神社が多いのに、芳生野だけは、不思議と諏訪神社なんだね、と母は同級生と話したこともあったようです。


私は、タケミナカタ神を沢山昨年調べましたし、祖母の実家が諏訪神社を氏神様としていたことを知り何だか嬉しくて、またご縁を感じました。


津野町力石から芳生野まで車で15分くらいでしょうか、諏訪神社に到着です。早朝参拝、田舎の奥にあります神社でしたが、非常に綺麗に掃除されて朝日に照らされて美しかったです。







帰りに鳥居の紙垂がユラユラと揺れました。母と、色んな意味で今、参拝出来て良かったねと話しました。

玉尾お婆ちゃんが、喜んでいる気もしました。

鳥居の向こうには田圃。綺麗な四万十の川の恵を活かし、神に祈りを捧げながら太古から人は米を作っていたのでしょう。山深い地で祈りと共に生活していた素朴な人々の様子を思いました。






諏訪神社に参拝した後、力石のお山の神様の地を参拝してきました。


金刀比羅様。




恵比寿様。こちらでは、妹に頼まれて生田神社のお札を入れてきました。





母もゆっくり、杖をつきながら恵比寿様の御神木のところまで歩いて来ました。大病を2年間に2度克服したものの、体力は以前のようではなく、しっかり養生して欲しいです。








水神様と、荒神様(竈門の神様)、耳の神様にも参拝しました。


今年も四国をよろしくお願いします。

四万十川の恵みをいつもありがとうございます。


津野町からなんと、ペーパードライバーの私は母に変わって運転して帰りました。

母は、親友のようであり、心友であり、ある時は教習所の先生に早変わり🤣。偉大です。。


車も少ない田舎道。無事に安全運転で高知市内まで帰りました。車庫入れは無理😅。


その後、父を見舞いに行きました。声は殆ど音にならないものの、私をわかってくれました。父は最初会った時よりしっかりしていて、息も苦しくなさそうでした。少し安心しました。


私はその後帰途につき、次は春休みに家族で帰るので、生きていて欲しいなと思いました。



感謝を伝える

2023-01-21 08:02:00 | ひとりごと

自分も年をとるように、親も年をとります。言える時に感謝を込めてありがとうを伝えておこうと思います。



何より、この世に生を与えてくれてありがとう。



そして、誰しも生まれる時も亡くなるときも1人といいますが、私の場合は、生まれるときから心強い相棒を一緒にしてもらえて感謝です。






小さい頃のアルバムを実家に帰って見ていました。


セピア色の写真から、覚えている場面、覚えていない場面が古く変色したアルバムにあります。


父や母も若くて、母はとても美しい人だなぁと思いました。父が母にぞっこんだったのもわかる気がします。


父は日光を名前に持つ人ですが、終戦後隣国からひきあげ、まずしい時代、アルバイトを掛け持ちしながら太陽が出る前から働いて、自分で高校を卒業しました。

母と結婚した辺りから、父に日の光がさしたんじゃないかなぁと思うくらいの苦労人。母が明るくてよく笑うので母と結婚出来て幸せだったと思います。


そして、父は専業主婦の母と共に娘3人を一生懸命育ててくれました。趣味もなく仕事一本のひと。所謂堅物な感じです。


仕事が定年になり、生活の余白を次第にアルコールでうめました。老後の父は、若い頃の父とはどんどん変わっていきました。


母が癌になり、そして父はアルコールに蝕まれ、痴呆も進み歩く事もままならなくなり自宅で介護ができなくなりました。


父が母より先に入院する前日に、父は母にあんたはまっこと優しいねぇ。と、言ったようです。


そんな事今まで一度も言ったことないのにと、母は照れ隠しか大笑いしていましたが、痴呆でわけがわからなくても、本当の父の心は感謝を母に伝えなければ、という感じだったと思います。


そのまま2年の歳月の間にみるみる父は弱りました。母の癌は消えましたが、体力の衰えで自宅介護は難しいため、そのまま入院。

コロナ禍で面会は月一しか出来ないのと、離れているため、随分私はあえませんでした。


お医者さんの特別許可が今回おり、父に会いに帰りました。覚悟をしてくださいと言われました。


小さくなった父。父は私をわかってくれました。一緒にかえると言いました。酸素が無ければ難しいよ。というと、父は起こしてくれ一緒に帰ると言います。


変わり果てた小さくなった姿。

父の背中に腕をいれ抱きかかえ、少し状態をおこし、そのままハグして、

お父さん、大切に育ててくれてありがとうと言いました。


延命治療ではなく、母は、父が苦しくないようにと全てを医師にお願いしています。

延命治療という選択については、自分はしたくないな、死んでも魂は残るから、と思います。


いつの日か、誰しも亡くなります。その時には自然でありたい。無理に機械で生きながらえる延命治療を受け入れるのではなく、安らかな苦しくない最期を受け入れる日が、お別れの時でありたい。


小さくなって、変わり果てた父を見たら涙が自然とでてきました。


アルコールで人格が変わった父を、一生懸命仕事をしていた時のイメージに上書きしたくないなと思ったこともありました。


しかし、良い時もそうでない時も父はいつも私の父で、父がいなければ私はいない。そこには丸ごと感謝しかありません。


アルコールに蝕まれた父も、病院では徐々に素に戻り、看護師さんに嫁自慢をしていたみたい。三国一の美女と結婚したとか。大笑。

母の癌が治ったことも、そうか、良かった、、と。面と向かって言わなくても、母をずっと好きなんだなぁと思いました。


父は長くはないのかもしれません。覚悟をしてと言われ飛んで帰った時、このまま生きて会えなかったら辛いと思いました。

会えて意識のある時にありがとうが言えて良かった。


別れは誰しも避けられない。

しかし、また必ずあえる。


自然に生き、そして自然に還る。


不自生。


そういうふうに生き、また、そういうふうに最期を迎えたいと思いました。そして、大切な人には感謝を先延ばしにせずに伝えていきたい。


いつ別れがきても後悔しないように。






女神の一声

2023-01-20 07:14:00 | ひとりごと

末娘は良く寝る子で、私も良く寝ますから似ています。


寝る時間を惜しんで勉強するタイプではなく、勉強する時間をミニマムに節約して寝るタイプ。😅

寝る子は育つ、我が家の子供達の中では一番大きく成長しました。


そんな娘ですが、休日友達と遊ぶ約束をしていました。

私は、休日はゆっくり寝たらいいと思っていて起こさないので、それはそれは遅い時間までスヤスヤ気持ち良さそうに寝ていました。


そんな娘が、目を覚ました後真っ青になり、バタバタしていました。

どうしよう、困った、の繰り返し。そして、電話をかけてごめん、本当にごめん、、と平謝りしていました。


どうした?

ときくと、


待ち合わせ時間に起きた、、と。



えー!?


待ち合わせ場所を聞くと、急いで行っても1時間はかかる場所です。


顔を洗ったかもわからない猛スピードでそれはそれは、いつもの娘には無いくらいの速さで着替えて家を飛び出していきました。


夕方すぎに、帰って来ました。


私が友達怒ってた?ときくと、


全然、、と。



女神過ぎて優し過ぎて感動した🥹といいました。



待ち合わせの場所で娘にあった友達の第一声は、、






笑顔で、






いっぱい寝た?🥰💖





だけだったらしいです。



過失といえ、1時間以上も待たされ、怒ってもう2度と遊ばない!😤と帰られても仕方ないのに、、




優し過ぎます。



私は若い子達と沢山会う機会があり、子供達の性質が、なんだか柔らかくて温かいなぁと感じることも多いです。


老いては子に従えとかいいますが、

中年おばさんも、子供達から沢山学んでいます。


娘の過失を、温かく許す心を持つ友達の優しさに学びをいただきました。感謝。



過失は、起きた時にしか、それを許す許さないの判断は出来なくて、許さない選択、嫌味のひとつ言ったり、怒って当然、プンプンしたりする選択をとってしまいそうな時にさえ、



優しく流す。



娘の友達の優しさ、寛容さ、器の大きさ、おおらかさを見習いたいなと思いました。



もちろん、娘には反省して😴💤🛌 

2度と約束の時間まで寝るなんてことしないように気をつけてもらわないとですが😅。