愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

活憲へ 憲法第9条を活かすとき

2009年01月18日 22時46分13秒 | 戦争のない世界をめざす
 昨日の話ですが、午後の2時から4時にかけて小松川区民館で平井・小松川9条の会の定例会が行なわれました。私は所用のために途中参加でした。

 定例会に地元の区議会議員としてほぼ毎回参加してくれているのは、瀬端勇(日本共産党)さんですが、昨日の例会では民主党の滝沢泰子(民主党)さんが参加してくれました。滝沢泰子さんは昨年の8月23日の平井・小松川9条の会の暑気払いにつづいて2回目の参加でした。


 定例会では、私は途中参加でしたのでどの番組かよく分かりませんでしたが憲法第25条、27条、28条をテーマにビデオを選んでいて湯浅誠(もやい事務局長)さんが出演していて財界関係者に「労働者を使い捨て路頭に迷わせるようなことでいいのか」と迫り、同時に国民生活に対する国家の責任を明確に指摘しました。参加者の発言のなかに「貧困が戦争を生み出す」ということが歴史の教訓としてあることを発言した人がいました。また、湯浅誠さんブレイクする状況というのはそれだけ日本が異常な状況であるからこれには湯浅さん本人もつらいものを感じているだろうなという声がありました。

 支配層は憲法第9条をなんとしても変えて日本を戦争をできる国にしようと執念を燃やしています。田母神元幕僚長の論文問題は靖国派が草の根で9条の会などの憲法を守る世論が高まっていることへあせっていると同時に改憲へ向けた執念を燃やし続けていることの現われです。日本国憲法を改正するかどうかは最終的には国民が決めることです。通常の法律のように国会での審議だけでは日本国憲法を改正することはできません。いかに9条の会など草の根で平和への世論と運動を広げていくかということの大切さを、私は感じます。

 余談ですが、昨年の8月23日における平井・小松川9条の会の暑気払いへ滝沢泰子さんが参加した記事を書いたときには具体的な名前を記事に書き込むのを遠慮しましたが、昨日の夜、ネットでいろいろ調べましたら滝沢さん本人がグーグルカレンダーで平井・小松川9条の会の暑気払いに参加していることをネット上に公開していることを知りました。そういうわけで、公職にある身ですし本人が公然と9条の会の会議へ出席したことを記している以上は遠慮する必要がないと判断し今回は名前を出しました。

 平井・小松川9条の会は、日本国憲法第9条を守るということの一致点で結成されているので思想・信条、支持政党、加入政党は問われません。ですから、社民党、自民党、公明党の議員であっても日本国憲法第9条を守ることで一致するならば9条の会としては参加を歓迎します。聞いた話だと地域によっては、自民党や公明党の議員が9条の会に参加しているケースがあるそうです。平和を守るために、今後とも超党派での9条の会への結集を高めていくことがいよいよ求められています。

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なぜ日本共産党に入ったのか

2009年01月18日 02時24分56秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
 以下の文章は、私が管理しているヤフーブログ「愛と情熱の革命戦記 Yahoo出張所」で書いた文章を再掲載したものです。「自分のブログ内」とされているのはgooブログ内ではなくYahooブログ内でのことです。



 先日、自分のブログ内のコメント欄で、どうして共産党に入ったの?という疑問が寄せられました。そこで、私がどうして日本共産党に入ったのか、簡単にここに書き込もうかと思います。たまに、こういう記事をブログに書く人がいてもいいでしょう。

 私が日本共産党に入ったのは1994年6月の終わり頃です。当時は羽田内閣で、北朝鮮の核査察の問題でアメリカと北朝鮮の関係は極めて危険な状況でした。カーター元大統領の尽力で最悪の事態は避けられました。一歩間違えれば、アメリカが北朝鮮に核兵器を使用する可能性すらあり、そうなれば死の灰が日本列島に降り注ぐという由々しき事態が発生しかねない状況でした。これに対して羽田内閣は北朝鮮問題を口実にした有事法制をたくらんでアメリカと一緒になって戦争する国をつくる、策動を張り巡らせていました。羽田内閣の前は、細川内閣でした。細川内閣の時には、おコメの収穫量が少なくてタイからお米を輸入する事態が生じました。政府が減反押し付け政策をしないでお米を十分に備蓄していれば輸入しなくても済んだのです。同時に、日本が経済力にものを言わせてお米を輸入したことにより世界におけるお米の国際相場が高騰し、貧しい国のなかでも土地がやせていてあまり穀物が収穫できない国々(イランなど)の日々の糧を奪う事態を生じさせました。国内的には、食料自給率の問題、対外的には穀物を輸入して飢餓を輸出する日本のあり方には不条理なものを感じました。他にもいろあったかと思いますが、自分がすぐに思い出せる限りでもこのような問題が私の日本共産党入党の時期と前後してあったわけです。そのほかにも、いつの内閣ということとは別に、日本国憲法があり世界で第2位の経済力がありながら、なぜ日本に餓死する人が出てくるのか(あけび書房から出版されている「福祉が人を殺すとき」という本を高校生くらいのときに目にしたときには私にとって衝撃的でした)、など、どう考えてもおかしいということを解決するのにどうしたら良いか、ということを考え、大学に入って程なくして、現行政権を打倒して新しい政府を作る以外に現実的な方法がないと考えるようになりました。そんななか、大学での民青同盟の先輩から日本共産党への入党の誘いを受けて日本共産党へ入党するいたりました。もちろん、資本主義の枠内では貧困の根絶は無理(福祉政策による緩和は可能ですが)だろうとも私は考えるようになり始めていました。

 では、なぜ日本共産党なのか。
 考える基準の一つとして私が重視したのは政党がどのような歴史を持っているか、つまり政党の経歴でした。ここでは日本共産党の党史を書くのが目的ではないので詳細は書き込みませんが、日本共産党が1922年に結成されたときから、一貫して国民主権(当時は人民主権という言い回しを使っていたと思う)を要求して、侵略戦争に反対していました。1945年8月15日に日本軍国主義が敗北して政治犯の釈放が行なわれるまで日本共産党は治安維持法により非合法の政党としか存在できず党結成の当初から弾圧されました。小林多喜二のように拷問によって殺される人が出る状況下でも屈服しないで耐え抜いた人(宮本顕冶さんもその一人でした)がいて、そういう人がつくっていったのが日本共産党です。だから、日本共産党の主張は、票欲しさの人気取りではなく結成当初からの立場を貫いていることから出てくるもので、こういう政党が与党になり政府を形成するようになればもっと違う日本をつくることができるに違いないと私は考えました。私が加入する政党を選ぶ理由として欠かせない要素として、日本共産党の戦前の戦いがありました。

 眠い目をこすりながら書いたのでとりとめのない文章かもしれませんが、どうして日本共産党に入ったのかということの私なりの動機をここに書き込みました。

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