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日本から見ると地球儀のちょうど裏側の赤道直下付近にキューバ共和国という小さな島国があります。余談ですが、映画の「パイレーツオブカリビアン」の舞台は、今のキューバ付近だよ。
Tシャツなどその他様々なグッズに使われているので上の画像の人が誰であるかということは知る人ぞ知るところではあります。キューバ革命の指導者でアルゼンチン出身のチェ・ゲバラこそ上の画像の人です。
少し前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
キューバでは、日本からの距離の遠さにもかかわらず広島と長崎での原爆投下の悲劇のことがよく知られています。これには、チェ・ゲバラの働きが大きいのです。
1959年5月26日、キューバ革命の勝利宣言から半年が経過したとき、チェ・ゲバラが訪日しました。目的は経済視察です。キューバは、サトウキビ栽培しかこれといった産業もなくいわゆるモノカルチュア経済でした。このままでは、キューバの自主的な発展はありえないということで当時高度経済成長を始めた日本の成長力を学んで革命キューバの国づくりにいかそうということで、キューバ国立銀行総裁であったゲバラが訪日して視察するということになったわけです。チェ・ゲバラは三菱重工、鐘紡、久保田鉄工堺工場、丸紅など日本の名だたる企業を訪れました。当時、日本ではゲバラの知名度は皆無であり、朝日新聞が揶揄的に「カストロ・ヒゲ」と報じたのみでマスコミからは無視されていました。
チェ・ゲバラが宿泊したのは大阪でした。大阪から広島がそれほど遠くないことを知り、ゲバラは広島へ行き、平和記念公園の慰霊碑に献花をしているときに案内役に「あなた方はこんなにされてなおアメリカ言いなりになるのか?」と語りました。チェ・ゲバラが訪日した当初は、東京の無名戦士の墓へ行く予定でした。ところが、チェ・ゲバラは無名戦士をアジアの人をたくさん殺した帝国主義の軍隊の人たちであるとし、こんなところへ行くわけにはいかない、広島へ行くと、広島行きを実現させました。
太平洋戦争とはいったいなんだったのか、私たち日本人が考えるときには二つの側面をよく見ておくことが大切です。
1.中国、朝鮮半島をはじめ、アジア諸国へ侵略を仕掛け、数多くのアジア諸国人民を虐殺した加害国家・戦争犯罪国家であるということ
2.アメリカによって原子爆弾を広島と長崎に投下され今でも原爆症に苦しんでいる人がいることや東京大空襲などのような無差別虐殺にあった被害国家であるということ。
チェ・ゲバラは、日本に関して二つの側面をきちんと見据えて無名戦士の墓に献花することを拒んだわけです。日本が持っている二面性(加害者歴史と被害者歴史)と対米従属の異常性、これらの本質をよく見ておくことの大切さをチェ・ゲバラは私たちに示しています。
チェ・ゲバラは、キューバへ帰国したあと広島と長崎のことを話し、盟友であるフィデル・カストロに日本へ行くことがあったら広島へ行くべきだと語りました。一番最近のことだと、フィデルは2003年に訪日しています。といっても、物資補給のための非公式訪問だったのであまり報じられてはいません。フィデルはゲバラとの約束を忘れることなく広島へ行き、慰霊碑に献花しました。フィデル自身、チェ・ゲバラから広島のことを聞いて以来、広島へ訪問したときには原爆の犠牲者へ哀悼の意を表することを長年の願いとしていました。
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