Produce&Climbing

音楽、ビデオなどの制作状況、登山/お散歩、泉自然公園の状況

瞑想3

2005年03月06日 | つれづれに
書き忘れていましたが、がけの上すれすれまで、到達した時の、感じです。崖に囲まれた穴から、外の世界が、もう少しで見れる事態が、迫ってきた時、ものすごい期待感と不安感に襲われました。なにか、見てはいけないものを見るような感じです。きっと、瞑想の達人であれば、見れたことと思います。もしそれが見えたなら、どうなっていたのかと、時々思います。

瞑想は、幻覚とかでは、ありません。お酒とか、覚せい剤によるような、ものでは、ありません。その違いは、覚めることと、酔うことの違いでもあります。
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瞑想2 画像はチャイコフスキーです。

2005年03月06日 | つれづれに
昨日の瞑想の話の続きです。画像はチャイコフスキーのお墓です。サンクトペテルブルクで撮影しました。

瞑想とは、一切関係ありません。
はすのポーズで、薄暗い部屋で、いつもしていました。もちろん複式呼吸です。長い呼吸です。

当時大体、5分ぐらいで、かなり落ち着き、明鏡止水の境地になります。(最近は無理です)

その後、瞑想が深くなり、次第に、映像が中央より現れてきます。ここで、呼吸が乱れたりすると、映像は消えてしまいます。深い落ち着きが大切です。

現れた映像は、断崖絶壁に囲まれた、深い穴です。空には、黄緑色の空が広がり、星が輝いています。
その穴の底に、なんと自分が瞑想しているのです。瞑想の深まりに同調して、空中に浮いてゆきます。(瞑想が深まると上に上がり、乱れると下に下がります。)僕自身は、映像と、映像の中の自分の目から見える景色両方を感知できます。

このような、瞑想の映像は、毎日同じでした。今日は、どこまで、上がれるかそれが楽しみでした。

結局、当時の最終地点は、がけのふちぎりぎりまで浮くことが出来ました。がけの外に広がる世界を見ようとすると、ものすごいエネルギーを感じ、圧倒され、心が乱れて、下に下がってきてしまうのです。
そんな経験でしたが、人間の脳って、不思議ですね。このような経験って、お金では買えないので、貴重でした。絵画や音楽、芸術もそうなんですが、感じとれる、感受性や知性を磨くことによって、味わいが深くなります。これらは、お金では買えないし、何でも売ってる世の中ですが、自己を、磨かなければ、経験できないこともたくさんあるということ。大切に出来る世の中であってほしいです。
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