3.11 明日で4年になる。
なんといっても原発事故の問題が復興のあしかせ、エネルギー問題を進展させてこなかった政治的な問題も大きいと感じている。 このような事態にもかかわらず、エネルギー革命の進展は、ごくわずかである。20年以上遅れている。 第一原発も設計ミスであったことも明白だ。
この4年を振り返ってみる
カメラを持っていたにもかかわらず、2枚しか撮っていなかった。 2011年3月11日、仕事は通常通り行い、帰宅(マイカー通勤) ガソリンが底をついていたので、きがきではなかった。千葉県市川市から八街市の自宅へ向かう途中 大きな煙が見えたので、撮った。 場所は市川市 高谷。 多分コスモ石油の製油所の爆発であろうと思う。
千葉港辺り、反対車線は液状化、駐車場の車は、砂に阻まれ、動かせない。 この先に営業中のガソリンスタンドがあり、そこで満タンにした。これで、1週間以上、通勤することができた。
自宅に帰ったものの、3日間 停電。とにかく知り合いが心配だった。知り合いでない人も心配だった。何もできない。電気が通じ、ネットを開いた。悲惨な今の状況と、対処する人とのやりとりがあった。自分は千葉にいるので何もできない。
そういえば、Yちゃん 福島だった。電話をした。 学生時代の名簿を引っ張り出して、住所を調べた。 被災していた。
とにかく何かしようと、Yちゃんに、寄せ書きポスターを創ることにして、みんなにかいてもらった。
Yちゃんは第7回の100キロウオークのリポーターをしてもらったのである。 当時女子大生。
寄せ書きポスターを印刷してもらい、みんなに配布、Yちゃんのところにも送った。
Yちゃんは会津若松だったので、津波や原発事故からは免れていたが、避難者がつめかけ仕事が重くなっていた。 被災現場に行きたかった、Yちゃんの顔もみたくなった。
とにかく、行かなくちゃと思い、5月の連休に行った。
それまでは、仕事も大変だった。 市川市、浦安市の現場で働いた。