山の花は友達

大多喜城

2月14日~15日、勤務会社のOBの集まりで地元、春の房総を旅しました。
私のグループは千葉駅前に集合、市原で合流、先ずは大多喜城に向かいました。
以下関連サイトよりの引用、解説です。
 大多喜城は、標高約250mの夷隅山系を控え、夷隅川の急流に望んだ要害の地にあります。
大永元年(1521)に真理谷城主武田信興の二男信清が里見氏の侵略に備えて築城したのが最初といわれ、天文13年(1544)武田氏が里見氏の属将正木時茂に滅ぼされて後は、正木氏の本拠となりました。
天正18年(1590)徳川家康の関東移封に際して、徳川四天王といわれた本多忠勝が大多喜に十万石で入封し、山城を大改修されました。本多忠勝が築いた大多喜城は、夷隅川を天然の外堀とし、本丸には三重の天守と御殿が構えられ、二の丸、三の丸の九棟の隅櫓・城門などが城内を固め、近世城郭として堂々たる構えのようでした。
 本
多氏の後は、青山・阿部・稲垣氏と替わり、元禄16年(1703)以降、松平氏九代が城主となって幕末を迎えました。現在、薬医門と大井戸が残り、本丸跡には天守を復元した総南(そうなん)博物館があります。









既に白梅、紅梅、つはぎが咲いていました。





各地の自然の花を訪ね、撮影しています。
山野草の栽培や育種も楽しみの一つです。

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