出勤前に新聞で明日の記憶の映画評発見。
思わず我が身は大丈夫か?心配になった。
『博士の愛した数式』『折り梅』などの映画も浮かんだが、
何より、若年性アルツハイマーは私と同年齢で発症する。
数日前、これまた出勤前のせわしない時間で、半分しか観ていないが、
NHKの『生活ほっとモーニング』に当事者が出演されていた。
若年性アルツハイマーの恐ろしさは、
加齢の範囲だろうけれど、物忘れ、ど忘れ、記憶落ちの自覚があるから
もっとひどい状態進行が容易に想像できてしまう所にある。
ケアマネの仕事に翌月のケアプランを自宅に持って行って説明して、
印鑑をもらうのがある。
昨日、最後の訪問宅で、前月もだったけれど、
印鑑はどこだ!?
どうも前月よりも認知症が進行されている。
バカに成って
と、自分自身をなじられる。
物が分からなくなる自分はしっかりと分かるのだ。
レイトショーに間に合う時間に夕食が済んだ。
相変わらず食べたくない息子も気になるが、
明日は休みだと思うと、フットワークよく観に行く気になった。
せっかくのOFFに
どうしてこう仕事に直結しそうな映画を選ぶのかとも
思ったけど…
新聞の評を書いた人も
長谷川式の認知症テストのシーンでは
思わず自分もやってしまったそうだが、
ハイ!私もしっかりやりました^^;
100-7=93 それから7を引くと…
利用者ファイルに閉じこんである
お馴染みのテストだけれど、
私自身が受けた事はない。
う~む・・・認知症すれすれではないかと思われる。
『もの忘れ外来』は近辺にあったかな?
行った方がいいかしらん?
帰宅した私に映画好きな息子(自宅ビデオ専門)が
『どうだった?』
思わず、『コワかった。あっホラーじゃないよ。』と
答えてしまった。
映画の内容で、ひとつ予想に反したのは
『ずっとあなたのそばに居る』と言った妻が、
退職を余儀なくされた夫の代わりに働きに出て、
日中、病気の進行する夫を家に一人で置いておく辺り。
当然のごとく、妻には妻の世界が外に出来る。
今まで専業主婦で、家族の世話が仕事。
家の事が第一だった人間が、
退職前からお金が要ると行動に出るのは
元専業主婦の感覚からすると首を傾げたくなる。
働けないかもしれない発達障害の息子との自分の暮らしを思う時、
ガンの末期宣告された夫の看病の日々を思い返す時、
お金の事は後回し、ギリギリあれば良い、
なにより、一番に
家族を見守る時間確保を考えた。
息子との暮らしが始まった時も、
まずはパート就労以外は考えられなかった。
昼に家へ帰る事が出来るから、登録ホームヘルパーを選択した。
仕事を辞めて、家にひとりぽつねんと居るアルツハイマーの渡辺謙の演技。
だんだんと精神荒廃がすすむ感じがよく出ていた。
退職の日に会社を振り返る頭の薄さ。
確か二枚目の役者さんだったと、
もう一度思い返したくらい役にハマッていた。
遅く仕事疲れて帰宅する妻との諍い。
働ける妻、養ってくれている妻、
疲れさせているのは自分だと思うのか?
また、
ふがいない自分が責められるのか?
我が家で繰り返される息子と母のシーンのも似ていたなぁ~
家に居てすることがない。
社会との接点が少ない。
ひとりぼっち…
夫だったら、私はこうやってフルタイムでは働いていないだろう。
記憶がなくなるまで、とことん二人の時間を持つと思う。
息子の場合、成人した息子の場合、
逆に、私の手厚い保護はマイナスかとも思う。
一人の道を生きていってもらうためにも私は専業主婦を降りた。
私自身は、夫の死が訪れてから後になるまで、
学業途中の子供が2人も残される事が分かっていても
実際、お金の心配は頭を占めることが出来なかった。
だんだんと死に向かう、一気に老いてゆく
夫の傍を離れる事すら考えられなかった。
彼にさびしい思いは絶対にさせたくなかった。
病院の行き届かないところは私がカバーしなければと、
それしか思わなかった。
映画のストーリーでは
ちゃんとした企業を退職して、退職金もある。
子供は巣立ってお金も掛らない。
夫が働けなくなるからと、在職中から
すぐに経済状況の方へ、思いが至る妻に共感ができなかった。
夫は夫で降格、窓際になって退職金減額になっても、
娘の結婚式までは会社人間、職のある父親で居たいと言う。
娘のため?
世間体のため?
自分自身のケジメだったのかな?
残された時間が少ないと分かったら、
もっと自分のために貪欲に使えば良いのにもどかしかった。
最後の25年連れ添った妻を忘れてしまうシーン。
回避できなかったのは、
公言した『ずっとあなたのそばに居る』
を守らなかった所為ではなかったか?
友だちでずっと独身の職場のオーナーが認知症専用の施設パンフを渡す時に言う
『自分の時間を持ちなさいよ。』
コレを後回しにするのが、専業主婦感覚かもしれない。
一旦、激しく拒否してから、やっぱり受け取ってしまう逡巡。
妻役の彼女を責められはしないけれども、
働く時間を持つと、自分を取り返す時間が欲しくなる。
これは私自身にも今、湧き出てくる思いで
ふ~む・・・そうなるのか?と我が身を観察中。
『専業主婦なんて、理屈ばっかり言って高校生より使えない。』
就職依頼のシーンで、きっぱりと言われていたが、
家族のためだけに心砕く生活で培われた感性は、
残念ながら、社会人としては邪魔らしい。
まるで、私に言われている様で、
しかも確信を突いていてズキンときた。
50余年生きて来て、
20年ぶりの専業主婦から社会人の世界への転換は
正直、カルチャーショック。
視野が狭いと言われようが、常識欠如と言われようが、
愛する人々へ寄り添う事、
自分より家族を優先して生きてきた時間をむだとは思わない。
仕事一筋からアルツハイマーで仕事ができなくなった時、
この人の生命は終ったわけではない。
ほんとうに寄り添って
夫婦で、それからの人生を模索する
もう一つの物語展開が考えられなかったか?
あの及川○○(記憶が危うい)が医師役と言うのも異表を突かれたが
このセリフはキマッてた。
人の体は滅びに向かっている
アルツハイマーもまた死へのプロセスのひとつ。
特別なことではないのかもしれない。
老いから死へ。遅かれ早かれ誰だって避けられないコトなのだ。
50代で末期ガンで逝ってしまった夫。
痛いとこだらけの不自由な体が長く続く私の利用者さんたち。
いつだれがどうなるのか誰にも予測がつかない。
生まれ落ちた時から、死に向かっている事だけは確実。
せっかくだから笑って、
いい日一日を重ねたい…と
思うことは思う…
尻つぼみ…