仕事で出会う高齢者は、介護保険利用者だから大半は歩行困難や痛みがいつもある人たち。生きてきたように老いるとも聞くが、同じ様に痛くて、できなくなることの増えてゆく人たちなのに、おどろくほど千差万別。
柔和な人、ガンコな人、感謝、感謝と言う人、不服ばかりの人、鬱の人…
老いる=喪失感の蓄積
子供の巣立ち。定年。伴侶の死。友人の死。
徐々に失われて行く体の元気以外にもどうしようもない喪失がやってくる。
老後は趣味を、晴耕雨読の生活をなどと退職後の夢をよく聞くが、
それも体が元気である間の事だと思う。
それが出来なくなった時の自分は、次々に訪れる喪失体験の中で
何に生きる喜びを感じるのだろうか?
高齢者に会いながら、自分の老いてゆく道を想う。
職場では
主婦感覚が抜けない、プロ意識が足りない、甘い。
やさしいだけでは通らない。強い口調も必要だ。
と毎度、怒鳴りつけられる。
上司の言う職業人としてプロとして身に付くのが、
この顔つきならイヤだなぁ~
神妙に聞く顔のウラで、これまた毎度思う。
利用者さん宅へ同行した時、
真剣に話を聞き取っている彼女の横顔には
案外、昔はやさしい顔だったのかも?と思わせる片鱗が見えた。
意外や意外。そっちが彼女の素なのかもしれない。
何かが、彼女に意地を張らせているのかな?
ひょっとすると脆い人が虚勢を張っている内に
こんな顔つきになってしまったのかな?
職場で否定ばっかりされていると、
だんだん自信がなくなって、自分を見失いそうになる。
肌のはりもなくなって、シワもふえて、
目じりも口角も下がって、あごには引力の法則で肉が付き…
美醜を越えて、人間性が問われるお年頃に突入している私。
人は哀しいし、弱い。
毎日、上司のような底意地の悪い顔になっていないか?
ついついチェックしてしまう。
鏡の中の私は
不幸そうな、不服そうな顔もしていないかな?
こんな方にあやかりたいなぁ~と思う人に出会ったら、
その秘密をクンクン嗅いで、しっかり学び取る。
美しいオババさまに結構お会いするんです。
老いの顔は自分が作りあげるみたい。
いくら化粧品を選んでもやダイエットに励んでも
行き着く先は
まぁ~内面だろう?と思う今日この頃。