こうしてブログを開けて、思うことを書いていると、
時々、私の真意でない受け取り方をした。
コメントが入る。
誤解を招く書き方しか出来ない私の文章力の稚拙さも大いにあると思うが、
パッと目に入った言葉に反応して、残念ながら前後を読んで頂いていない。
過去記事のひきこもり自立支援施設アイメンタルスクールの死者にコメントをくださったともさん。
purenaheartさんのコメント
>上に立つ管理者自身が、支援する現場の職員を管理的に指導していてばかりでは職員がくさってしまうんじゃないでしょうか。
を受けて、私HNみかんが
タイトルに『腐ったみかん』としたことに反応されてしまった。
教室にひとりいけない子(腐ったみかん)がいるとみんなが腐ってしまうと言う意味にとられたらしい。
私のBlogを読んで下さっているかたなら、
私がそんな考えを持たない人間だとお分かりで、
こんな誤解は招かないと思う。
おそらく検索で当ブログがHitして、
彼がこんなに思っていた入所者を『腐ったみかん』なんて、ヒドイ
と言う思いをされたのだろう。
私はそんなことをちっとも言ってはいないのにも関わらず。
しかし、こんな誤解は日常茶飯事。
会話の流れで誤解されてしまったり、さらにそれで相手が激高してしまうと
誤解は誤解を呼んで修復不能などと言うことにもなる。
私は誤解を受けやすい言葉をついつい使ってしまうと、
職場で言われた。
どこをどう押したらそんな解釈になるんだろう?
散々悩んで気が付いた。
物を考える土台が違っているのだ。
職場で普通に対人として話してはいけない、
会社の人間であると言うフィルターを通して話さないといけなかったらしい。
そうとう物の考え基盤が私とは違う人たちが職場には集っていた。
誰でも善人、おなじ仲間と思っていた節がある。
2ヶ月も経ってそれに気が付く私も相当おめでたい。
専業主婦的感覚と言われた。
そうなんだろう。
私には五行歌や川柳やとても短い書き言葉で遊ぶ趣味がある。
歌会や句会へ行って生の声を聞くと、
言葉解釈の違いで、こうもとれるああもとれると意見交換出来て楽しい。
思った通りを口に出来る場所として、
職場がきつければきつい程、そんなところへ足が向く。
アスペな息子は言葉自体を誤解して使っていたり、自分なりの解釈をする。
なかなか人から誤解を受けない会話は
彼の障害を知らない人とはなかなか難しいものがある。
大体、言葉自体がニュアンスのあいまいさを持つ。
そんな言葉を使ってしか思いを伝えられない人間同士だから、
分かり合える人にめぐりあえたら、気持が和んでくるのかもしれない。
言葉すらいらない関係に発展できるともっといいなぁ~
今回の件は
ともさんは
『アイメンタルスクール従業員の彼は良い人である』と言う土台。
私は
『自分の思いとは違う上司に仕える』と言う土台。
ともさんは今、相当辛い思いの中に居られるに違いない。
話はそれるが、
ひきこもり解決のための他の施設はどう言う試みをしているのかも気になる。
最初からアイメンタルスクールが
商売の道具として開設された訳でも、
常道を踏み外した行為がまかり通っていた訳ではないと思いたい。