陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

またひとり友が寡婦に…

2011-06-05 22:13:54 | Weblog
今朝方、亡くなったと数か所から連絡が入った。
59歳。
定年目前。

   

こういう思いは私だけで充分だと思うのに、どうしてこう続く。
通夜は家族だけでと聞いて、お別れは葬儀まで待つつもりで
気分が落ちるからリーゼを飲んで早々寝ていたら、当の本人から電話がかかった。

息絶えるまでの経過を丁寧かつ克明に話す。
死まで短くも長い時間は一瞬一瞬が尊い。忘れようとして忘れられない時なのだ。
どうしてこう多弁になるのか、私にも覚えがある。
彼女もまた正常ではいられない、いっぱいいっぱいな気持ちでいるのだ。

今夜、仮通夜。
明日は家族だけで通夜。葬儀は明後日。
現役の葬儀は大変な人数になるに違いない。
看病から続くセレモニーの喪主を極限状態で務めなければいけない。
少し体を休めるように、労わって電話を切った。

彼は亡夫の仮通夜では、布団に寝かせた周りに車座になって酒を飲んでくれていた。
ちょうど頭のあたりに座って、
「早く逝ってしまって、もう~ぺしぺし」
と、頭を軽くぶっていたのをもう10年が経とうというのに鮮明に思い出す。
遺品のセーターを大事に着てくれていたと、さっき彼女が話してくれた。

飲むと定年後にあれしようこれしようと夢を語っている人だった。
無念さがいっぱいであったろう。

最近、集まることもなくなった当時の仲間たち。
葬儀にはせめてお見送りをと、集合するのだろう。
こんな時でないと集まれない…一度、集まって昔みたいに騒いでいたらよかったね。

彼女が言っていた。
去年8月胃がんの手術をした時に簡単にはいかない気はしていたから、
震災で一瞬の人達と違って、ゆっくりお別れが言える幸せな時間が持てたと。
納得いくお見送りであったらしい。
見送って後、残された彼女の回復が早い事も、彼の冥福と共に合わせて祈る。





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ケアハウスで柔和に変貌

2011-06-05 05:25:19 | Weblog
入所から一週間。

何か足らないものはなかったか?
部屋はちゃんと片付いたか?
馴染んでいてくれるだろうか?

花好きな姑のために空き家になった姑宅の花を摘んで行こうかと思って止めた。
花はやがて枯れる。
住むことをあきらめた家を思い出させるような物は慎む方が良さそうと判断した。

指導員へまず訪問の挨拶。つつがなく暮らしている様子。
こだわりのストッキングも最初の入浴後の着替えでソックスに変えたとのこと。
転倒のリスクは減ったが、可能性はゼロでない。
施設の責任うんぬんでなく、いたしかたない事だと再度口にする。

部屋を出てちょうど血圧測定とおやつタイムとのことで、
集合のフロアーへ行ってみた。
歩行器を横に置いて、女性グループのテーブルに腰掛けていた。
勝気だった顔から何か落ちたようなまるで仏様のような柔和な顔付きになっている。

どこでも優等生で居たいタイプだから、ここでも優等生をやっている?
無理して遠慮して穏やかにしている?

      

入所した日の唇の転び傷はきれいに治っていた。
こざっぱりと洗濯済みのブラウスを着ている。
留守の部屋を断って見せてもらった。
すっかり片づいている。

家から持ってきた古びた籠に着替えがきれいに畳んであった。
汚れて洗濯しなかった割烹エプロンが綺麗に洗われていた。
ここでも毎日着けていた割烹着を着けないと落ち着かないのかも?
ずっと散髪の白い上っ張りで過ごし、店を閉めてからは代りのように割烹着だった

パジャマは上下が違う生地が薄くなって破れそうで色あせた物が籠に出してあった。
新しく買い揃えたものはちゃんとタンスに仕舞ってある。
上下違うのは私が選別した時に多分、破れやシミがあって処分の方へ区分けしてしまった所為?
一緒に暮らしていなかったから、パジャマの事は分からなかった。
ずっと気丈で弱みを見せない人だった。
手助けはことごとく私を傷つける言葉で断られたから、自然と距離を置く習慣で過ぎた。
90まで店を開け続けた人。
今、そのすっくと立っていたプライドや意地が見えない。

ベランダには姑の手洗いらしい下着やタオルが干してあった。
姑の残した家とはまったく違う清潔感が漂う。

部屋を出て姑の処へ。
ラジオのチューニングを合わせてあげたと告げた。
テレビもラジオもつける気がしないと言う。

落ち込んで鬱々している顔ではなかった。
あれだけ探して常時不安だった書類やら通帳やらは手元から消えた。支払いやら金勘定も必要なくなった。
お金周りのことは危なくて任せられないのが今度の入所の一因でもある。
そうとう気を張っての独居だったのか?

いつも上から目線でビシバシ人に物を教えていた大嫌いだったあの頃の姑に戻って欲しいような
逆要求が芽生える。

人間って勝手だ。いや、私の身勝手か?

まだまだ余所行きで地が出せないで居るのだろう?
ずっと商売をしてきた人。
そう簡単に人中で自由闊達に振る舞えないのかもしれない。
つい91歳にもなって遠慮な生活を強いられているのかと、ちょっと可哀そうな気がする。
まぁ、そのうちに慣れて今までの姑になる日も来る?

一番最初のケアマネ業務では特定介護付きではないケアハウスの入居者を10数名担当していた。
帰路、あの時の個性豊かな一人一人を思い出したりした。
        

私自身の先の事として、
介護が必要になりそうな早いうちから施設生活も有りだと思っている。
ここにも数名の自立の人が入居されているのだ。
ただ、姑みたいにちゃんと入居費がその時にあるかどうかというのが問題だけれど…

夫存命だったとしても…やはり入所を考えたと…思う。

  これで良かった?

天に問うも答えなし。夢にも出て来ない。




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