![]() | 残花亭日暦 (角川文庫) |
クリエーター情報なし | |
角川書店 |
娘の所へ向かう新幹線内で読んだ。
どうしてこういうのを選んでしまったのか?ちょっと後悔した。
カモカのおっちゃんの闘病、死から葬儀、悲嘆の時期までを日記形式で綴ってある。
あとがきに林真理子さんが、「あきらかなフィクションである」と自分との絡み部分について書かれているから、
心情的事実を伝えるための作家的手腕が加わった私小説?であるかもしれない。
最近の私は少々、心に風邪をひいている。
なんだか解らないが10年も前に亡くなった夫のことが偲ばれてしようがない。
うちの夫もがん死だった。
命尽きるまで寄り添った記憶が読むことで蘇ってしまう。
最後の言葉になったであろうカモカのおっちゃんの科白が憎い。
<かわいそに。
ワシは あんたの。
味方やで>
そして沁みる川柳が紹介されている。
遠き人を北斗の勺で掬わんか 橘高薫風
嫌なことはしない人だったそう。
リハビリもしない。
超高齢者にもお国の方針で、いつまでも健やかに自立した生活をとリハビリをお勧めする誠におせっかいな仕事をしている私。
耳が痛い。
おせいさんの闘病中も忙しいこと。
何本もの連載執筆に、数ある講演を死の直前まで続けている。ここは事実だろう。
ふと、つい最近奥様を亡くした谷垣総裁を思う。
亡くなった後の心境に一茶の句が置いてあった。
おっちゃんの心境として
露ちるや むさいこの世に用なしと
おせいさんの気持ち
生きのこり生きのこりたる寒さかな
そして、司馬遼太郎さんに捧げた自作の句
男みな なに死に急ぐ菜の花忌
娘の家にたどり着く前に旧知で同じく寡婦となった友に会った。
10年経過して片身もがれた気がするのに、彼女はまだ2年目。
ツーカーで通じ合う話をした。
最後の最後にこう締めくくってあった。
人生はだましだまし持ってゆくべし
そんな題名のエッセイだったか?確かあった。
そうよねぇ~泣いて過ごすも笑って過ごすも一生。
この言葉に救われて、ページを閉じた頃、新幹線は終点、東京へ着いた。
これは娘の部屋の使いにくいアップルから。
早起き母のおもちゃに使えと言い残して寝た。
ドアキーも置いてある。雨降らねば、近辺の朝散歩に出られるように。
母のことを知り尽くしている。そして立派に自立してお過ごしで。
もう母のお役目は済んだらしい。
亡夫からお迎えが来るまで、だましだまし生きますか?




来られたお印にふたつクリックしていただくとうれしいです=^_^=