最近は葬儀でしか昔仲間全員集合がない。
故人を囲んで親しかったあの顔、この顔。
夫生前に夫婦ぐるみのお付き合いの人ばかり。
夫婦そろって列席、もしくはどちらかが代表列席。
数百人の喪服の人々の中からつい探す。
この人たちとは、子供が小学校の時からのお付き合い。
子供たちに大人の混声を加えたコーラスをしようと目論んだ指導者の先生が居て、
カラオケはやってもコーラスも譜面読みもダメのお父さん方まで集められた。
不承不承で始めたはずが、指導のうまさですっかり大人も楽しめた。
未だ有志は先生の自宅で大人だけのコーラスを続けている。
メンバーに山のスペシャリストが居て、山の面白さを教えたいと
これまたど素人のコーラスの面々を連れて、
近場の山から少し高い山までストイックにキャンプで連れていってもらった。
男性陣はほぼ酒飲みで家庭回り持ち宴会も自然発生的になんども行われ、
色濃いお付き合いが10年くらい続いただろうか?
夫亡き後、私がさびしかろうと独り身になっても仲間から数々お声がかかったが、
みなさん夫婦お揃いの中に私だけは逆に耐えられなかった。
いつの間にか私から疎遠になっていった。
専業主婦であった私がちゃんと一人でやっているかどうか?
心配してくれているのは分かっていても、宴席は特に辛かった。
芯から楽しめないのだ。
飲べぇの夫の存在は宴席で大きかった。
楽しそうに飲む人だった。
最近の葬儀は個人の一生涯を写真編集して、コンサート会場みたいに左右スクリーンで映し出す。
山の写真も数枚出た。
最後の献花を親族の後の列に並んでさせてもらった。
がん死のお顔は知っていた顔よりうんと痩せて、
でも髪はあの頃のまま、白い物は混じってもふさふさ。
生き絶えた夫を病院から連れ帰って、自宅にいつも布団に寝せた夜、
夫を中心にこの仲間たちが車座になって、飲んで飲み乱れて一夜を明かしてくれた事がどうしても浮かぶ。
59歳で逝った彼は、あの時はまだ49歳だったことになる。
うちの次に彼が続く必要はないだろう。
しっかりした髪を撫でてお別れをした。
泣くまいと思っても嗚咽が漏れる。
ぐしゃぐしゃの顔に山のリーダーだった人が
「お元気ですね」
と声をかけてきた。
声に詰まって返事ができなかった。
彼こそ中年太りもなく御髪ふさふさであの頃を代わりなく元気そのもの。
「お元気でしたか?」
ではない。
「元気ですね」
私は元気に見えるってことだろう。
心配していてくれた言葉に違いない。
斎場へと向かう霊柩車と家族、親族のバスを見送って、
友人の花輪を手配してくれた人に清算を尋ねていたら、また彼から
「お元気ですね」
と問われた。
10年いろいろあった。簡単にお元気ではない。
私はどうしてこう皮肉れ者であるか?素直にご心配ありがとうと思えば良いのに。
面倒くさいから
「はい、元気です」
と答えた。
彼は今年60歳になる。一応、定年で同じ会社へ再雇用で務め続ける話など仲間内で始まった。
地元ケーブルテレビにも山の話で出演が多いと話は続く。
再雇用までに長期休暇があるからヨーロッパの聞いたことのある山々へ念願の登山を試みるらしい。
ほんとうに、あなたこそ『お元気』そのもの。
故人は学生時代にユースホステル部に属してレクレーションを担当していたとか?
定年後は施設慰問で人を楽しませる計画を持っていた。
我らも誘い込む話を何度も聞いていた。
名たる北壁を登ることを語る人と
彼の無念と重ねて、
亡夫は働くだけ働いて先思うこともなく終えた事も胸をよぎり
夫婦で定年後を過ごすことなくなった、私と同じシングルになった個人の妻を思い、
なんとも言えない虚脱感に襲われた。

自宅へ帰って喪服ままモコを抱きしめた。
祭壇に玉串を捧げる前に最前列の彼女にむいてお辞儀をしたら、
大勢の中の私を認めたハッと息を飲む顔をした。
絽の喪服がいつもの彼女をより引き締めて、最後の社会人、会社人である夫の妻を演じていた。
とうとう、彼女とは言葉を交わすタイミングがなかった。
一夜明けたがまだ、親族が家に残られているだろうか?
一人抜けた家は…どうしても広い。
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故人を囲んで親しかったあの顔、この顔。
夫生前に夫婦ぐるみのお付き合いの人ばかり。
夫婦そろって列席、もしくはどちらかが代表列席。
数百人の喪服の人々の中からつい探す。
この人たちとは、子供が小学校の時からのお付き合い。
子供たちに大人の混声を加えたコーラスをしようと目論んだ指導者の先生が居て、
カラオケはやってもコーラスも譜面読みもダメのお父さん方まで集められた。
不承不承で始めたはずが、指導のうまさですっかり大人も楽しめた。
未だ有志は先生の自宅で大人だけのコーラスを続けている。
メンバーに山のスペシャリストが居て、山の面白さを教えたいと
これまたど素人のコーラスの面々を連れて、
近場の山から少し高い山までストイックにキャンプで連れていってもらった。
男性陣はほぼ酒飲みで家庭回り持ち宴会も自然発生的になんども行われ、
色濃いお付き合いが10年くらい続いただろうか?
夫亡き後、私がさびしかろうと独り身になっても仲間から数々お声がかかったが、
みなさん夫婦お揃いの中に私だけは逆に耐えられなかった。
いつの間にか私から疎遠になっていった。
専業主婦であった私がちゃんと一人でやっているかどうか?
心配してくれているのは分かっていても、宴席は特に辛かった。
芯から楽しめないのだ。
飲べぇの夫の存在は宴席で大きかった。
楽しそうに飲む人だった。
最近の葬儀は個人の一生涯を写真編集して、コンサート会場みたいに左右スクリーンで映し出す。
山の写真も数枚出た。
最後の献花を親族の後の列に並んでさせてもらった。
がん死のお顔は知っていた顔よりうんと痩せて、
でも髪はあの頃のまま、白い物は混じってもふさふさ。
生き絶えた夫を病院から連れ帰って、自宅にいつも布団に寝せた夜、
夫を中心にこの仲間たちが車座になって、飲んで飲み乱れて一夜を明かしてくれた事がどうしても浮かぶ。
59歳で逝った彼は、あの時はまだ49歳だったことになる。
うちの次に彼が続く必要はないだろう。
しっかりした髪を撫でてお別れをした。
泣くまいと思っても嗚咽が漏れる。
ぐしゃぐしゃの顔に山のリーダーだった人が
「お元気ですね」
と声をかけてきた。
声に詰まって返事ができなかった。
彼こそ中年太りもなく御髪ふさふさであの頃を代わりなく元気そのもの。
「お元気でしたか?」
ではない。
「元気ですね」
私は元気に見えるってことだろう。
心配していてくれた言葉に違いない。
斎場へと向かう霊柩車と家族、親族のバスを見送って、
友人の花輪を手配してくれた人に清算を尋ねていたら、また彼から
「お元気ですね」
と問われた。
10年いろいろあった。簡単にお元気ではない。
私はどうしてこう皮肉れ者であるか?素直にご心配ありがとうと思えば良いのに。
面倒くさいから
「はい、元気です」
と答えた。
彼は今年60歳になる。一応、定年で同じ会社へ再雇用で務め続ける話など仲間内で始まった。
地元ケーブルテレビにも山の話で出演が多いと話は続く。
再雇用までに長期休暇があるからヨーロッパの聞いたことのある山々へ念願の登山を試みるらしい。
ほんとうに、あなたこそ『お元気』そのもの。
故人は学生時代にユースホステル部に属してレクレーションを担当していたとか?
定年後は施設慰問で人を楽しませる計画を持っていた。
我らも誘い込む話を何度も聞いていた。
名たる北壁を登ることを語る人と
彼の無念と重ねて、
亡夫は働くだけ働いて先思うこともなく終えた事も胸をよぎり
夫婦で定年後を過ごすことなくなった、私と同じシングルになった個人の妻を思い、
なんとも言えない虚脱感に襲われた。

自宅へ帰って喪服ままモコを抱きしめた。
祭壇に玉串を捧げる前に最前列の彼女にむいてお辞儀をしたら、
大勢の中の私を認めたハッと息を飲む顔をした。
絽の喪服がいつもの彼女をより引き締めて、最後の社会人、会社人である夫の妻を演じていた。
とうとう、彼女とは言葉を交わすタイミングがなかった。
一夜明けたがまだ、親族が家に残られているだろうか?
一人抜けた家は…どうしても広い。




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