陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

丸めなくても失うこともある黒髪

2013-02-02 22:11:11 | 円形脱毛
私は自慢ではないが全身ハゲた。
全身というのは髪だけでなく体毛の全部。
睫毛、眉もなくなったと言うことだ。
夫没後1年経過した頃、バッサバッサと抜けた。
原因は不明。
夫没直後、看病間は耐えていた子宮筋腫を思いきって手術。
元気な体に成らなければ専業主婦から勤労者には成れないと思った。
遺児の学生ふたり。
貯金の目減り生活は怖かった。

皮膚科をまわり心療内科へも通った。
円形脱毛症の最悪なモノに罹患したのだ。
ストレス+子宮摘出によるホルモンバランスの崩れだったのだろうかと今になって思う。

幸いなことに治療が功を奏してちゃんと生えてきた。
カテゴリーの円形脱毛をクリックしてもらうとツルッパゲ写真も公開している。
同じ病に苦しむ人に治った人間もいることを知ってもらえば、
少しでも灯りが見えるのではないかと思ったからあえて載せた。

このブログ始めた当初(2004年)がなんとか生え揃った頃だったか?

なぜこんな事を書き始めたかというと、実に気分の悪いアイドルのお泊り報道のお詫び動画が発端。
言わずと知れた恋愛ご法度とかいうAKB48のなんとかいうメンバー↓

AKB48・峯岸みなみ、お泊り愛報道に「AKB48を辞めたくない」と丸刈りで謝罪 <謝罪コメント全文>(クランクイン!) - goo ニュース

ばかばかしいのを通り越している。
恋愛ご法度というのも時代掛っているが、
頭丸めて反省というもの男性でも真の反省よりポーズではないかと思える節を感じる。

癌治療の副作用で脱毛を経験した女性は多いと思う。
(乳癌の妹も失った。しっかり原因は違っても先輩としてうんちくを垂れたが^^;)
そんな人たちから見て、
女性がきれいな髪を坊主にしてしまうと言う行為はどう映っただろう?

すっぽり抜けて生える髪は微妙に髪質が変わって生えてくる。
生え揃うまでなんとなし不安がよぎる。
よぎりつつも生える喜びがそこにはある。

茶番で髪を剃ったところで反省などと思えやしない。
同情を買いたいという甘えにすら見える。
よく見ればきれいにプロによって剃られた頭ではない。
襟足あたりに数センチの髪が残っている。
切った人間は誰か?自分でしたのか?どうでもいい推測をする。

心配することはない。
半年もすればベリーショートくらいには髪の毛は生えるのだ。
人の噂もその頃には風に吹かれて消えている。

生涯に1度だけれど、丸坊主の女性に出会った。
メイクアップアーチストをしていると言う美しい人だった。
人の髪に触るという仕事はいろんなモノを人から貰って苦しい。
それを断つために自分の髪を失くしているのだと彼女は語った。

なんとかみなみさんとは
どこか覚悟の違う坊主頭だったように思ったが?

私は一度全部の体毛を失って、
どこか夫に頼っていきていた過去にスッパリ決別、
これからは自立の道だと天に言われた気がした。

どうでもいい。
世の中、平和ってニュースだろう。







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チャイとミーミー   谷村志穂 著

2013-02-02 21:01:20 | 
チャイとミーミー
クリエーター情報なし
河出書房新社


猫と作家の本にあった巻末の猫に関する本のメモを持って図書館へ行った。
雑な性格ゆえ、直に探すのが面倒になって、横道に反れた。
メモにななかったけれど、コレは間違いなく、作家谷村志穂の猫の本。
いそいそ借りて帰った。

著者は、
猫なんか飼ったこともよく分からないまま何かの縁でチャイの飼い主となる。
この辺は私に似ている。
猫なんか好きじゃなかった。
友だちの家であまりにきれいな白猫にじゃれてているそっくりの子猫を見て一目惚れ。
子猫はもうすぐ捨てると白猫の飼い主である母屋のおばぁちゃんが言うので、
あわててもらってしまったのが、我が家の初代猫ゆき。

だんだん猫バカになる過程にも覚えがある。
ゆきが雀を初めて捕って来て”みて、みて”と
言わんばかりに得意そうに咥えて帰って来た時も驚いた。
当時は猫は家の内外を自由に出入りして飼うものだと思っていた。
我が家は住宅街に位置し、みんな猫の額のような庭を大事にしている。
ガーデニングの敵が我が家の猫たち。
山のように苦情がもたらされ、世代交代した猫たちからは室内飼いになった。

チャイはずっとひとり…いや一匹ぽっちで飼い主の都合で室内飼いされていたが、
もう一匹居た方がいいだろうとの配慮で子猫のミーミーがやってきた。
モコの母親すら知らず、
ウチに来た時の先住猫ちゅんちゅんはもう母親代わりをする体力もないほど弱っていたし
性格的にも他猫を受け入れる感じではなかった。
すっかり仲良くなるチャイとミーミーの下りを読むと、モコにも必要かな?と思う。
モコは猫同士のナメナメの感触を知らない。猫同士で温め合う体温も知らない。
ミーミーが来る前のチャイみたいに、猫のぬいぐるみを我が子か友のように可愛がっている。
他猫を怖がらないかな?と言う不安も半分。悩ましい。

   

15歳のチャイの腎不全は我が家のふぃんふぃん、ちゅんちゅんとまったく同じ。
皮下補液の点滴、無理矢理飲ませる錠剤、良くなっては悪くなってゆく。
猫は人より長く生きないのだからしかたないが、この辺りの飼い主の思いもまた経験済み。
でもチャイちゃんは復活したらしい。
この本の発刊は2012年4月。元気=^_^=

  

今日の朝日新聞の『三谷幸喜のありふれた生活』では
飼い犬のとびの最期を迎えて飼い主の葛藤が書いてあった。
どこでその時を迎えるか?
どこまで治療を続けるべきなのか?
治療が苦痛を長引かせるだけではないのか?
それはペットの事であるけれども、また人の場合も然りではないかと迷いは同じ。

命がテーマの彼女の著書 余命 は
自身の乳癌から生まれたという逸話もこの本の中にあった。

たかが猫の話なれど、命まで語ってしまう。
猫ってただものでない…と猫バカは思う。

ひとりになった家にモコが居る。
私は随分モコに慰められている。
モコは私だけが頼り。
私には私の時間があって充分に一緒に居てやれない。
帰って来た車の音を聞きつけて必ず玄関で待つ。
毛が付くのも構わず五分間抱っこが済まないと家へ上がれない。
飼い主の勝手でさみしい思いをさせている気がいつもする。
猫いっぱい、家族いっぱいの暮らしが理想かもしれないけど、しかたないねモコ。

この本が生まれたきっかけは2000年出版の文藝春秋別冊『作家と猫』だそう。
   
     

         ↑ うちにあった。

我が家には夫が居てまだモコがこの世に誕生していない頃。
グラビアにはチャイちゃんだけ。まだミーミーも生まれてない時代だ。
そしてこう書いてある。

        こんなに自由な生き物を、
      私の自由の中に閉じ込めている。




我が家の猫バカ歴史も長い。亡夫が好きで、息子も娘も幼稚園児の時から猫と暮らしている。
たまにかける息子への電話で聞かれるのは母の健康ではなく、「モコは元気?」
母はしゃべっているけどモコは電話じゃ見えないものねぇ~






      本日の歩数 6,048歩

            (足というか膝…少しおやすみ)

       
                     


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