陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

びんぼう福祉

2006-09-15 06:42:48 | Weblog
NHK教育の福祉ネットワークで介護の特集が昨日まであった。
全部は見ていないけれど、
福祉現場の低賃金をあつかっていたから
現実問題として、
ムカムカしながら目が引き付けられた。

介護施設の求人募集に出ている月給は10万円台。
1年以内の離職率20%と言っていた。

そして介護産業では
普通、初任給が永遠と続く。
長く勤めても昇給は期待できない。

介護福祉士養成の専門学校の乱立している。
大学の社会福祉系で資格習得が可能なところも増えている。
保育士と合わせて取れるところも多い。

資格拾得者で働いている人は3分の1くらい。
実際、
現場では誰でも受講すれば習得可能な
ホームヘルパー2級の人が多い。

昨日、学者先生が『おばちゃん産業』と言ってた。
自分もどうみてもおばちゃんの人が
どうしてこう言う侮蔑に満ちた言葉を使うんだろう。

確かに主婦パートで保ってきた。
家事労働の手助けもする訪問介護のヘルパーは
家事のプロフェッショナル主婦が一番適してもいる。
自分のパンツも干したことがない
学校で学んだだけの人に出来る仕事ではない。

いきおい学卒の若い男性も含んだ労働力は施設に向かう。

いつかグループホームの施設長の講演を聞いたことを思い出す。
確かに理想に満ちた施設だった。
働き手にきびしい要求をするから離職率が高いとも言われた。
気になったので、講演後

賃金はひとりの男性が
家庭を担えるだけの額はこの先可能かと

質問したら
答えはNOだった。

入所者だけに優しいと言うは
本当に人に優しいのだろうか?

さらに元職が看護師のその人は

看護師もかつては低賃金労働者だった。
現在、介護職より給料がいいのは
長い交渉と戦いの結果。
自分達の処遇が悪いと嘆かず
介護職も戦うべきだと言った。

かつて労働組合のさかんだった頃の話だろう。
多種多様な零細企業のパートさんが多い介護職が
団結する事もむつかしかろうし、
介護保険事業所に入ってくる少ない介護報酬を
働いている人は知っているから
経営者をつついても
ない袖は振れないと分かっている。

私は公立保育園に勤務していたから
待遇改善交渉のための組織も職場にあった。
改善、改善といってどんどん良くなるのは公務員関係だけで
民間との格差は開いていった。
実際、30年前と今と民間の保育士の処遇は変っていない。
やりきれないので、
今どんどん民間委託に切り替えられているし、
預ける側からは保育の質低下が懸念されている。

介護ははじめから税金投入をされていない。
民間ではじまって、
介護保険改正、改正で現場は泡食っている。
どうでもいい書類ばっかり増えて
お金が入ってこない。

安い賃金の割りにキツイ仕事。
理想と現実と
理論と実践と
これだけ違う現場も少ないかもしれない。

介護保険の縛りがあって、
自由な発想になりにくい。
介護報酬を無視しては経営自体が成り立たない。

充分でない労働力で
ベストな仕事をしようとすると
いきおい働き手がつぶれる。

介護産業だけでは充分な給与が支払えないから
違う産業にも手を染めて
そこも儲けを介護の方へ回す努力をはじめようとしている
経営者をテレビは追っていた。

一番やりたい仕事は
どこかの助けがないと成り立たない。
おかしな構図だ。

介護保険料はアップ。介護サービス低下。
どんどん利用者に悪く成りながらも
働き手は相変わらず低賃金。
それもあやうい。
事業所自体がつぶれる話が
もぐらたたきのように出たりひこんだり。

ケアマネに支払われる介護報酬は
一件いくらいくらと
自分でしっかり分かるから
永遠と昇給はないだろう、
ボーナスは要求しても悪かろうと
口をつぐんで働く。

それでも介護職の人よりは若干多いのだ。
元職に看護畑の人も居る所為か?

福祉はいつまで経っても人の善意に負ぶさって成り立っている。

息子が起きてきた。
朝は苦手と言う。
精神状態の回復もイマイチ。

パート労働が彼の中ではめいっぱい。

それも本当は不具合な今日など
休み保障があれば良いのにと思うが、
現在、職があるだけましだろう。

障害2級の年金と不安定なパート給と
彼の経済自立もまたむつかしい。

働き手にも福祉の助けが欲しい人にも冷たい
びんぼう福祉国日本。

不服は山とあるが時間が尽きた
続きはまた~
さぁ~びんぼう人は働きまっせ。薄給でも

疲れたと言ってはダメですか?

2006-09-14 07:33:14 | Weblog
ふっとためいきがもれる
外は晴れ

ちょっと子育て中の人のサイトを覗いてみた
ピンと糸張って
障害ありの子のために
みんな懸命

私もずっと懸命できた
これからも
懸命が続くのかと
首の後ろが重くなる

夫の残した家も5年であちこち綻びが出てきた
息子に残すべく大金を
かけて補修をすべきななのか
このまま朽ちるにまかせて
出金を押えるべきなのか

日々の生活を支える体力が
なくなった時は
残ったお金で食い延ばし生活

かつて
野花を摘んでは飾っていた家族の食卓には

息子のCDや、精神科の薬、風邪薬、皮膚科のぬり薬
ケイタイ料金の振込み用紙、放送大学のパンフ、プリント
数本のボールペン、消しゴム、単3電池、
職場の勤務表・・・

部屋の四隅に息子のカバン、息子の衣類、
買ってに捨てるにすてられないパンフや書類やとにかく息子の紙類・・・

こうして置かない置き場所が分からなくなる
こうしていても
2階から1階から年中探しものをしている

キッチンはいつ食事をするとも分からない息子の食べ物が
鍋に入ったままだったり、
飲んでは投げ置くコップの山だったり
いつもいつも片付けは中途半端

昨夜、また玄関の靴箱に穴が開いた
風呂場のドアにも穴が開いている
私の部屋のレースのカーテンは千切れて

片付けても片付けても散乱・・・
もう片付ける体力がついていかない

これから先も
母がメゲルと息子がメゲル

母より孤独で
母より社会からの阻害感が大きくて

生き辛いのは分かるけど


息子の顔色で一喜一憂

話もストレートに通じない
なんという障害だろう


ちょっと疲れたと言ってはダメですか?

これだけ愚痴ると
重たい頭がシャキッと上がるかな?

どうぞ
パニックをおこさず
平穏な休日を息子が過ごしますように

大人の彼に
もう母は非力

どんな助けでも助けになるのなら
なんでもしてやりたいけど
思いつかない

さぁ~とりあえず仕事に行こう~外は晴れ




私が大将さんとヨイショさん

2006-09-13 08:06:08 | Weblog
『私って○○でないとダメな人なんです。』

私って↑みたいな話し方をする人がどうも苦手だ。

職場にいるその人の口癖。↓

『○○じゃない人って信じられない。』
『あぁ~いやだ。いやだ。』
『○○でないとダメですよ』

自己主張は構わないけど、
自分の思いや考えの違う人をガンガン排除している。

一方でヨイショ専門がその人の隣席に居る。

『そうですよね。ほんとうにそう思います。』
『すばらしいですね。』
『さすが○○さんですね。』
『勉強になりました。』
『また教えて下さい。』

↑ヨイショさんの口癖である。
彼女のもうひとつの癖は
会合へ着てゆく服だとか↓

『みなさんどうされます?』

細かに聞いて右にならえをする。
彼女は自分の考えを先に言う事がない。
ようするに何を考えているかまったく表面に出ないので
正直、気持が悪い。

事はなんだったか記憶から消えたが、
探し物をしていたか?何かこわれたか?
私自身が不注意だから犯人探しをしていた訳ではないのだけれど

『わたしではありません。』
『わたしは知りません。』
『いっさい触っていません。』

↑その時ばかりは彼女の自己主張を聞いた。
自分にかかる火の粉を必死でふりはらった。

このふたりが私の前の席で並んでいる。
私とは途切れる会話がこのふたりなら永遠と続く。
机にはPCが起立して壁のようになって
向うに異空間を作っている。

まいどのBGMと聞かないことにして
仕事に集中している。

ほめるってむつかしい。
迎合と紙一重の裏表。

息子にはしっかりほめることを心がけているが
私自身が本当に

 ステキ!スゴイ!

と、こころが動いたら
言葉にして
息子に返そう。


ヨイショさんは私と同い年。
子供ふたりを女手ひとりで育ててきた。
夫と言う後ろ盾でノウノウと生きてきた私とは
違う苦労があったのだろう。
どこかで身に付けた処世術なんだろう。

私は私で
主婦感覚が抜けないと上司に言われている。
どこか甘いんだそうな。

お互い今さら変われない。
そのうちいつか
ヨイショさんの本音が聞かれる関係になるかもしれないし…

やっぱり甘いか


9・11は緩和ケア病棟だった

2006-09-11 05:23:31 | 終末医療
全世界に衝撃が走った9・11。
テレビも新聞も見ていなかった。
緩和ケア病棟で夫に付き添っていた。

あの時、私は夫の死に至る経過を
一生
克明に覚えて過ごすものだと思っていた。

それが今、
どんどん記憶から落ちて、
だんだんアウトラインだけになってきている。
バーンと頭がしびれて
そして辛い記憶は忘れてゆくように出来ているのかもしれない。

転職をくりかえし、好きなように生きた太くて短い、
夫にとっては最良の人生ではなかったかと
良いことばかりを思い出す。

テレビで見た
貿易センタービルの崩壊シーンは
次の日だっのか次の次の日だったのかもう定かではない。
意識がはっきり戻った夫が

 まるでゴジラの映画みたいだ
 これから世界はどうなるんだろう
 ますます経済状態も悪くなりそうだ

たまたま見舞いに来た旧知の友と
今後の経済談義までしていた事を思い出す。

9・11のあの日。
テレビすらついていないと言うことは
私が朝刊すら売店に買いに行ってないと言うことは

昏睡状態だったのか?
あるいは疼痛緩和がしっかりされていたから
骨転移したガンの所為で立たない足を忘れて、
立って歩くと言うのを諌めて過ぎたのかもしれない。

ガンに肝臓が犯されると意識障害も出てくると
医師の説明があった。

もう立ってトイレに行けなくなり
紙おむつが必要となっていた。
いつまで続くか分からない闘病生活だった。
病院の人に教えてもらって
近くの量産店に大量に買いに走ったついでに
夏物しか持って来ていない自分に長袖Tシャツも買い込んだ。
それは今もタンスに入っているから確かな記憶だろう。

若い頃、子供さんをガンで亡くし
自らもガン患者である近所の人が
緩和ケア建設運動をはじめていて
近所のよしみで入会してはいたが、他人事だった。

夫の再発、末期告知。
それでも医師の勧めで
ワンクールの無駄な苦しいガン治療を夫は選択した。

治療終了2週間後
再々入院の日が来た。
医療のない我が家での生活に夫が不安を抱いたのだ。
夫は二度と家に帰れない覚悟だった。

しかし治療のない、
回復の見込みがない患者へ病院は実に冷たかった。

そんなある日
会の講演会のおしらせが届いた。
講師は一番近くの緩和ケア病棟ソーシャルワーカー。

付き添いのベットサイドから直で
私は聞きに行った。

そこで見聞きした病棟は
病院はこんなものとあきらめていた
夫が置かれている状態からすると
別天地だった。

講演会終了後、即座に夫に転院しようと話を持ちかけた。
ベットが空いているとも思えなかったが、
ダメモト。
一か八か、
動けない夫に代わって私が緩和ケア外来に行って話す事になった。

 そんなたいへんな状態の人が6人部屋ですか

即決。
緩和ケア病棟が空くまで
そこの一般病棟へとりあえずの転院許可が出た。
なかなか担当の医師から紹介状も書いてもらえなかった経緯も話した。
緩和ケア医はその場で
動けない夫の搬送交渉まで電話交渉してくれた。

移ってすぐに疼痛処置がされた。
しっかり刻みこまれていた眉間の縦ジワが
魔法のように消えた。

 どこも痛くない

疼痛ケアにも専門があるのだと初めて知る。

死後半年経って、会の会報に短い手記を載せてもらった。
ひとりでも多くの人に緩和ケアを知ってもらいたい思いから書いた。

もし、
同じ立場の人が居られたら
早く、もっと早く
緩和ケアのお世話になっていたらと
後悔してもはじまらない無念な思いをしないで欲しいと。

5年経過して
絶対にわすれないはずの記憶が
もうなくなり初めている。
自分の書いた手記を読み返す事で
記憶を繋いでいる。

多くの遺族を生んだ9・11。
その後11日経過。
9月22日。
私も遺族になった。

あれからのアメリカのイラク攻撃はなんだったのか?
日本の自衛隊派遣はなんだのか?

9・11からもっとたくさんの無関係な人まで巻き込んで
遺族がまた増えてしまっている。

最後を心置きなく付き添え
見送りについては最良だったと思う私と
9・11の遺族の痛みとはまったく別質だろう。
だから余計に9・11が気になる。
夫の死と共に毎年思い出すに違いない。

まだ近場に緩和ケア病棟の計画すらない。


実名報道の不思議

2006-09-08 06:38:11 | Weblog
これから少年の顔と名が一斉に世間に流れる。
昨夜のテレビでも流された。
↓の理由らしい。

◆おことわり◆ 読売新聞社はこれまで、容疑者が未成年のため、匿名で報道してきましたが、容疑者が死亡し、少年の更生を図る見地で氏名などの記事掲載を禁じている少年法の規定の対象外となったと判断したことに加え、事件の凶悪さや19歳という年齢などを考慮し、実名で報道します。

急いで探さないと自殺のおそれがある時は
少年法の適応で、顔も名も明かさず、
特徴すら報道なく
死んでしまえば規定外だと言う事だ。

まだ確定ではなく『容疑者』の段階だと言うのに。

犯人の親兄弟は
田舎町にこれから住み続けられるだろうか?
同県の下関駅無差別殺人の両親は自殺している。

残された人を追い詰めるような報道はもういいんじゃないだろうか?
好奇心や憎しみを煽る報道が
新たな罪を犯してしまいそうな気配の方がたまらない。

付和雷同や多数意見はえらく正しくまちがいない事のように見える。

マスメディアは
その辺りの火付け役を
視聴率や購読量拡大に繋がれば
楽々、正義をふりかざし
何でもやってしまいそう。

一国の長も
単に見栄えで決まりそうな昨今。

  


高専生事件のせつない幕切れ

2006-09-08 00:20:15 | Weblog
ずっと犯人の少年が気になっていた。
所持金わずかで、学校周りは里山。
万一山に逃げ込んでいたら、
県警の力で山狩りは可能なのだろうかと。

あれから幾度か雨も降った。
私は家であたたかな食事をとりながらも、
犯人少年は野外でどうしているのかと思い巡らせていた。
自ら命を絶たないで出て来て欲しいと願っていた。

最悪の結末。

死を持って
した事への償いはもう少年に済んでいると思いたい。

事を起こして後、人通りのない裏道を裏道を選んで
しかも自宅方向へバイクを走らせている。
帰るに帰れない我が家。
彼の死までの壮絶な孤独でもう充分罰せられている。
罪を憎んで人を自ら命を絶った人をもう憎むのは止めよう。

私は親世代なのでどうしてもどちらの親御さんの気持を考えてしまう。
同級生の当事者同士に何が起こって、
こんな悲惨なできごとになったのか?

どちらの親御さんも心中も、
昨日までごく普通に同級生だった、
家でも話題に上っていた険悪ではなかった二人にいったい何があったのか
腑に落ちない思いでいっぱいだろう。

これまで慈しんで育てて、
これから花開く人生であったろうに
親より先に旅立たれてしまった。
しかもこんな形で。

残された来春の成人式用の振袖など
なんともやりきれない。
辛すぎる。

被害者のご両親の眉間には深くシワが刻まれていた。
立ち直られる日が来るだろうか。

また殺人犯の子の親として、
子を亡くした悲しみより深いものを背負って
これからどう生きていかれるのだろう。

学校の責任と
頭を下げた校長先生の顔がやつれていた。

19歳と20歳と。
これって
学校の責任かな?
親の責任かな?
当事者にしか分からない何かがあったはず。

マスコミがまたこれから
勝手な想像力で死者をムチ打つような報道をしない事を祈る。
本当の事はもう聞けないのだから。







生まれた時から皇位継承者ってかわいそう

2006-09-06 20:13:27 | Weblog
生まれた時から皇位継承者って、なんだかかわいそう。
将来はまっさらで
この世にあかちゃんは生まれてくるのに。

おとこ、おとこと周りからの重圧の中で
お世継ぎを生むことが使命のような女性たちも
没個性の皇族ファッションに身を包み幸せなのだろうか。

女性皇位継承問題は完全に影をひそめた。

朝から時計代わりに点けているテレビは
どのチャンネルも同じニュースで
皇室関係の過去の映像ばかりだった。
コメンテイターやアナウンサーは舌を噛みそうな敬語と
○○さま、さま、さまの連呼。

仕事を終えて、
夕方のニュースを点けたらまらもどこもかしこも同じ。
この時ばかりは民法もお品がよく
受信料未払いが増えている某国営放送とちっとも変らない。

そう言えば朝出かけに
女性皇位継承反対の国会答弁に耳を疑うような発言を聞いた。

『もし女性の皇位継承者が留学でもして、青い目の赤ちゃんを産んだら
その青い目の子が次の皇位継承者になる事まで考えているか?』

女性でも男性でもありうる話だろうし、
『青い目』以外に外国人は居ない訳でもなく、

二重に差別、侮蔑の事柄を含んだ発言だ。

日本の皇位継承者は自由な恋愛もできないらしい。
今日生まれた男の子は将来、
次のお世継ぎに男の子を強要される運命なのだ。
絶対にハーフでないクオーターでもない
日本の女性を妻として。

宇宙飛行士にもサッカーの選手になる夢も語れない。
帝王学とやら、この世に生きてゆく手段として
皇位剥奪の将来がもしあれば、
ひとりでは生きていけない学問を学ばされる。
本人の意思とは何も関係がない。

むかし、むかしは絶対のお世継ぎのために側室がたくさん居たから
天皇制が維持できたと
テレビで誰かが今日言っていた。

一般庶民の家でおとこの子、跡取り息子、と最近言わなくなってきた。
大正生まれの姑は
ふたり居る孫のどうしても息子を特別に可愛がる。
そう言う時代を生きてきたのだ。

今日のマスコミのバカ騒ぎは
まるで
男尊女卑の時代のしっぽのような?
今の世にもう合わない唯一残っている身分制度じゃないのかな?

皇族って税金で養われている。
宮内庁などと言う膨大な公務員を抱えて
これも税金で賄われている。

今日、
介護に回せる生活のゆとりがなく
現行介護保険ではどうしても救いない人から長い電話相談を受けた。

明日一番に役に立たないケアマネでも
話だけは直接聞きにいって、
何か手立てを一緒に模索しようと思っている。

我が家では
おめでた一色のテレビは消えて、
外から秋の虫の音が聞こえている。
家に帰ってまで忘れられない相談者の
あれこれが脳内をめぐってもいる。

国のお金を回して下さい。
年に皇族のように生活費を何千万円も下さいとは言っていなから。
貧しい老後に灯りが欲しい。
宮内庁の分、福祉に回せませんか?庶民の年金も先細り不安の中だし…

憎しみが消えた頃には別れとき

2006-09-05 06:39:30 | Weblog
友人のなさぬ仲だった姑の訃報電話がきた。
老境に入りガンコになった上に
認知症が感じられるようになったと相談を受けていた。

認知症は病気だから、嫌な気持を捨てて
こんなに分からなくなって混乱されていると思えないかと
問えば、
過去に彼女に対して良い思い出がない。
嫌な仕打ちばかり思い出されてやさしくなれないと
返ってきた。

定年退職した夫と3人暮らし。
記憶がおちてゆく実母にイラだって夫がきつく姑を叱るとも言っていた。
認知症者へ叱る行為がもっとも悪い。
3人で煮詰まらないで、
姑さんにデイサービスにでもちょっと来てもらったら
風穴が開くかもと
職業意識がもたげてきたが、
介護保険のお世話などもっての他、世間体が悪いと思う家風らしかった。

私と話したその日から
姑の認知症と思える動言をメモしはじめていたと言う。

こんなことまで記憶がなくなっているのかと
改めて姑の心に近づき
次第に憎しみが消えてきはじめていたそうだ.

自宅で倒れて救急車が来た時にはもう事切れていたと。
あっけないお別れだった。

人の手を煩わせて死にたくないと
生前よく口にされていて
その通りになったと。

憎しみの心のままでお別れしなくてよかった
ありがとうと言われた。

余計なおせっかいに感謝されてこそばゆいけど
彼女の素直な本来持っていたやさしい気持ちが出て
最後に良き関係を結びはじめていたのだろう。
近々お線香でも上げに行こう。


職場の最初は信じられない程、
キツイ上司だ先輩だと思っていた人たちと
ようやく、わだかまりがお互いにとけて
あれこれ相談、助言に乗ってもらい
ようやく働きやすくなったと思ったら
2人が退職、転職をほのめかしはじめた。
どちらの健康上の理由で
引き止めたいけど、言うに言えない。
未熟者の私への指南はまだまだ足らない。
今からもまだまだ彼女たちの助けが欲しいのに残念だ。

人と人ってなかなか上手くいかない。
これが世の常なのか?

「死の医学」への日記    柳田邦男

2006-09-04 06:35:12 | 
「死の医学」への日記

新潮社

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幾人かのガン死がつづられているページをめくりながら、
夫が逝った頃の秋の風が窓から流れ込むのを感じて
休日の午後を過ごした。

図書館で借りたこの本にはあちこちに鉛筆でラインが引かれていた。
引いた人はガン死の不安の中にあった人なのか、
あるいは
私のように見送った人なのか。

死を前にした人の言葉はどれも重い。
誰にも死はやってくるが、
壮年期の人生半ばで終わりを知って過ごす人が
残した言葉は
これから死をいつか迎える者にとって示唆に富んでいた。

ガンの再発後の医師の説明は確かだったのか。
夫はためらう事なく
効果については薄いと言われながらも
副作用のきつい治療を受けた。

何日も点滴に1日中繋がれて、
食欲は落ち毛髪はあっと言う間にばさばさ抜け落ちた。
只でも弱った体を消耗させた。

大腿骨に転移していたから歩行もまま成らない状態でも
治療がなくなったら私は家に連れ帰りたかった。

入院前の様に布団で寝起きは出来そうもなかった。
トイレも風呂も手すりひとつない。
介護保険が今年から40歳以上の末期ガン患者に適応となったが、
当事、相談ひとつするところなく
福祉用品行業者に自分から電話をかけた。
もちろん丸々実費購入になる。

これから先の収入の道も不安で学費の要るふたり子供も居た。
夫は自分のための出費をこばんだ。
高い福祉用具は最低限の出費で創意と工夫で乗り切る覚悟で
連れ帰った。

自宅生活はたった20日あまり。
しかも
決して体調が万全ではなかった。
全身に発疹がでた。
黄疸がでた。
ついに何も食べられなくなった。

最後は家で看取りたかったが、
医療から隔絶した場所は不安と夫から入院を望んだ。
症状が悪くなる度に長い時間待合室で待たされての受診も
もう無理だった。

再入院で家を出る時、
自分の働きで、家族と一緒に過ごすために建てた家を振り返って
「もう帰って来ることはないね。」
と、夫はつぶやいた

本に肝臓ガンの進行状態が書かれていたが、
夫はその通りの諸症状が次から次に出た。
発疹は皮膚科でオイラックスが出るだけ。
医師からの説明は本人にも私にもなかった。

ガンの疼痛にMSコンチンと言うモルヒネの錠剤が出ていたが
充分ではなかった。
1996年に発行されたこの本には
MSコンチンが
在宅が可能になった救世主のごとく書かれていたが
夫の眉間には痛みのための縦ジワがずっと刻まれていた。

肝臓が冒されると皮膚に黒ずみが出ることも
本を読みながら、夫の状態と合致していると今さら思う。

治療がない死を待つ患者へ、
最後まで無駄な
もしかしたら
残された時間を短くし苦痛で過ごす事になる治療を
施すのが一般的な病院なのだ。

本にはそうでない病院を病人を看ながら探し求める家族や
治療をこばむ医学に明るい患者自身の例が書かれていた。

場所は在宅ホスピスのはしりだったり、緩和ケア病棟だったり。
そして
死を覚悟して、残された時間で、
病魔を慰撫しながら自分らしい完結を目指した人が紹介されていた。

まるでガン死のエリートのように思えた。

ガンは死と直結しないで、
ガン治療の後長く元気でいる人も増えてきた。
それでも発見された時は手遅れの人もある。

医学に明るくない私がもしガンになったら
どの病院を選んで、どの治療がどう副作用があってどう効いてくれるのか
セカンドオピニオンも探し…と
夫を見送ってから医療不信は私に根強く残っている。

本を読みながら、
2001年の9月22日最後の日までの事が鮮明に思い出された。

本の中からいっぱい書きとめたい言葉のほんの一部を書いておこう。

 生と死は両極端ではなかった。
 死は生につながり、
 ふとしたことで生とは死に変わり得るものであった。

 うかうかととおりすぎてはならぬ人生であった。
 その人生において、
 わずらわしく思ったことさえあった人間同士のかかわりあいは
 自らがむなしいとき、
 いかにあたたかく自然に通じあうかを知った。

 人は様々な過去の経験を背負って「いま」と言う時間を生きている。

 「身体症状の緩和」と「こころのケア」をベースに
 「人生の完成への支援」が実践されれば、
 最高のターミナルケアと言えると思うのです。

死はなにもガン死だけではない。
誰かの手を必要とする時、
そこには最高のターミナルケアが用意されている
そんな安心な世の中が実現しますように。

聖家族のランチ   林真理子

2006-09-03 07:38:14 | 
聖家族のランチ

角川書店

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実にマリコさんぽいちゃんとしたご家庭と言う舞台設定。
『ちゃんとした』というのが彼女の価値基準なんだろう。

おない歳でおなじ時代を生きた女性として、
『ルンルンを買っておうちへ帰ろう』が世にでて
ハナイキ荒いトークがテレビで持てはやされ
サクセスストーリーの階段を上ってゆく彼女を見ている間は
小気味良かった。

小説もエッセイも軽い筆致で読みやすく楽しめた。
直木賞をもらってへぇ~と思ってから
結婚、高年齢出産、彼女は自分の欲しいモノをいっぱい手に入れたんだろう。
臭気が漂ってきた感じでだんだんイヤな女に見えてきてしまった。

それでも読みやすさから図書館で読んでいない題名を発見すると
借りてかえってしまう。
人気作家らしく借り手が多いのだろう。
林真理子の棚にはいつも本が揃っていない。

序が長くなったが、
題名と表表紙のキレイな女性の絵と裏表紙のおしゃれなハイヒールが
読み終えると
内容のグロテスクさが相まって
外と内のちがい過ぎる人って
居る居ると感慨深い。

またまた、彼女らしい一流好みの設定。
夫はお堅い銀行マン。
子供はお金のかかる私立へ通わせ、
主人公の女性は主婦からマスコミの寵児へと変貌して行く料理家。
自分の生活ぶりからの発想なんだろう・・・きっと。

端に美しく見える家庭のウソ、虚構のベールを剥いでゆく。

なんだか森村誠二の
『お母さんあの帽子はどうしたでしょうね~』
↓マスコミへの表向きの顔を死守しようとしたあの話を思い出した。
人間の証明

角川書店

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表向き主婦で家庭を大事にしている料理家だけれど、
実際は家族よりも自分が大事。
家族はてんでに心がパサパサしているが、
彼女は自分の事に一生懸命で、家族の気持に気付こうともしない。
堂々たる自信で、自分中心を家族に押し付けている。

東大まっしぐら一流私立高校生の息子がカルト宗教にはまり
母親の浮気相手をうっかり殺害。
ここまではありがちな話だと読み進んだ。

殺害を家庭内で糊塗しよう・・・この先の意外な展開。
おそれい入りましたマリコさま。

家庭の対面第一主義の彼女の意見に家族全員が従い一致団結協力体制。
まずブツを風呂場でバラバラにして、
料理家ならではの大型冷凍庫で保存。

そして、うふぇ~~なさらなる展開。
料理家の腕を振るって、
食べてこの世から物証は消滅させる計画を律義に遂行。

これまでバラバラだった家族がひとつにまとまっている。
自然な流れに家族ってそうかもと違和感がない。

 うつくしい料理セッテングの描写。
 食べている物は人肉。

想像させるシーンのグロテスクさは圧巻だ。

毎日、毎日、殺人のニュースがある。
被害者も犯人の老若男女。
いつからこうなったんだろう?

高専の同級生殺人の指名手配の子はまだ出て来ない。
ひょっとすると、ひょっとすると、
犯人は外部の人間で、彼は同じ研究室にたまたま居て
本当の犯人に連れ去られた、巻き込まれただけかもしれないと
想像してしまう。思いたい。

そこにある日常に殺人はそぐわない。
そぐわないのに
現実と虚構とどこかでクロスしているような現在。
居次元へのワープの穴がどこかにぽっかりあるのかもしれない。

妙なタイミングで妙な本を読んでしまった。
あの20代のハナイキ荒いマリコちゃんは只者ではなかった。
人間観察力、読者をひきつける筆致。
幾星霜・・・ちゃんと持つべき素質が花開いているわ。
また新刊が出ていたら借りてこよう。

これって彼女の懐は潤わない?
すみませんビンボウなファンで


生活のまんなかにBLOG

2006-09-02 07:00:01 | Weblog
ブログ開設の2004年の9月。
パートで訪問介護のヘルパーをしていた。
夏を越す頃になると高齢者は体調を崩して入院される方が増える。
訪問先の利用者さんが9月にはどっと減っていた。
暇のあまりに
欲しい欲しいと思っていたHPはどうやって作るのかなと
あれこれネット検索をしていたら、
Gooの簡単HPを見つけた。
登録したら即、HPの管理人になってしまった。

はて?
内容がないまま開設。

今、こちらにリンクしている『うたたまご』さんから
BBSの貼り方やらご指南いただいて、
『川柳しりとり』も貼り付けだんだんHPの恰好が整うのも楽しかった。

『川柳しりとり』は熱心な方が多くて、毎日たくさんの方が
しりとりを繋いで下さり、BBSに写真を下さり
ネットで知らない人とのおつきあいも楽しいものだと感じるようになった。

Blogもうたたまごさんから教わって、
陽だまりでねごとをうにゃうにゃ言う猫写真をUPし
猫自慢をするだけのつもりで開設。

しりとり川柳で交流する人の数は増えたけれど、
人となりに触れる事は少なかった。
Blogには本音が書ける。
書いた本音に答えてくださるコメントが付く。
TBもやってくる。
Blogの向うに人が見える。

実社会では
摩擦が起こらない表面上の付き合いに始終する。
心開ける友もいるが、お互い日々の暮らしに追われて
毎日、出会う訳にはいかない。

家にはうまく意志の通じ合えないアスペルガーの息子ひとりしかいない。
根がおしゃべりで、きっとはけ口が欲しかったのだろう。

本音吐露の場として、
Blogが私の中でだんだん重要なモノに変っていった。

しりとり川柳から比重がBlogに傾いた時点でHPは閉鎖。
Blogだけにした。

当事、
だだ家に居る息子は荒れに荒れていた。
ひとりで耐え過ごした大学生活が彼自身を荒廃させていたのだ。

私は私で、夫を亡くし、看病の日々から一転。
失恋と失業とを一緒くたに経験したような
失意のどん底から這い上がる
自分の事で満杯状態。

ストレスから完全になくした体毛のすべてが、
どうにか復活して、生活を立て直すべく
パートのヘルパーとして古巣へ復活したところだった。

息子への配慮が足りていなかったし、
5年間のひとり暮らしで身に付けた息子の生活パターンと
高校時代の私の知っている息子との間にも大きなギャップがあり
接し方に戸惑いがあった。

 辛かった
 泣き場所が欲しかった


今、私はパートヘルパー復帰に際に先の目標にしていた
正社員ケアマネとして仕事をしている。
息子も息子なりの仕事や落ち着き場所を確保しつつある。

なんだかんだとトラブルがありながら、
人生の歯車は油切れもせず、ようやく快調に回ってきはじめた雰囲気。

Blogの向うの顔の見えないみなさまに
励まされているようにも思い
Blogを打つ手が止まらない。

恥多き日常を、世の中へのうっぷんを
小さな感動や興奮を、勝手に更新して
どこかで精神の均衡を保っている気がしている。

今、私の生活のまんなかにBlogがある。

朝の風はもう秋の気配。
『陽だまりのねごと』へお越し下さるみなさまに感謝して、
今日も一日

UDON

2006-09-01 00:34:32 | 映画(DVD)
UDON - goo 映画
帰省した時に娘がおすすめと言い置いた映画。
キャストにユースケ・サンタマリアやトータス松本。
『踊る大捜査線』の本宏克行監督ときたら
レイトショーでも寝ないで観れそうな気がしたし、
今日は疲れてない気もしたし、
息子の機嫌もそう悪くない雰囲気だし
ちょこっと近くだし
リフレッシュ、リフレッシュと
20時から上映に間に合うように家を出た。

なんで、ひらがなで『うどん』でないんだろう?
などと思っていたらいきなりニューヨークから始まった。
ドタバタの定石を踏んだ笑いにしっかりはまりながら
ストーリーに引き込まれていく。
ちょっとしんみりシーンになったとたん
中盤、ちょっと寝てしまった惜しい
やっぱ・・・トホホ・・・
なにせ映画館の暗闇に反応して夜はまぶたが自然に重くなるらしい。

破天荒な展開、何があっても悪いようには転ばない話は安堵感と元気が湧く。
うどんがおいしそうだった。
さぬきうどんはシンプルに生醤油をかけて食べるらしい。
乾麺のさぬきうどんが我が家にストックされている。
こんどやってみようかな?
打ちたてでないとだめかしらん?

映画館を出る人が『うどんを食べたくなった』と
話しているのが聞こえた。
おもわず同じ思いの人がいると笑ってしまった。

ベタな話と言えばベタな話。
気分が軽くなり、うどんが食べたくなる術にかかる。
しあわせ気分になれたから
リフレッシュ大成功
観て良かったと思える映画かも?