千曲川の流れのように

年金生活者の徒然

浅間山

2006-12-15 | Weblog
新幹線が佐久平駅に近づくと、車窓から冠雪の浅間山が視界に飛び込んできた.美しく、泰然とした浅間山が、小さな個人の悩みを包み込んでくれるやさしさを感じた.昨年、縁があり、半年ほど佐久に通った.私にとって忘れられない場所になった.その季節(とき)は暑い日差しを受けた浅間山だった.ながの県内にいくつかの事業所があるが、佐久と安曇野(池田町)からの景色は抜群だ.夏の安曇野は北アルプスの山脈(やまなみ)が水田の緑と調和し、冬季の白い山肌は、心を静かにしてくれる.でもね、山は常に厳しい.嘗て北アルプスの夏山に何回か登ったことがあるが、外から眺めるのとは大違いだ.プロセスは辛いが、山頂での開放感は例えようがない.
 以前紹介した「ホスピタリティ原論」を読み終えた.難しく理解できない部分もあったが、気にしないで読み飛ばした.20世紀のサービスの経済からホスピタリティの経済への移行は今も進行している.でも、その本質がサービスの進化に履き違えられている.性格が違うのに気づいてないのだ.自分なりに理解できる範囲で言えば、個人と個人の関係性をつないでいくのがホスピタリティではないだろうか.サービスとの比較の中で、ホスピスの意味が分かるような気がする.気に入ったのは効率的=合理的ではないと言う.それぞれの持つ、意味を考えなくてはいけない.山本氏は「場」といわずに「場所」と言っている.また、「社会イズム」など新たな造語もいくつか登場する.機会があれば、この辺りを深く聞きたい.
初歩的な誤植がいくつあったのは、残念。覚えている範囲では、ダイエイ⇒ダイエー にほん⇒日本 ○○常⇒○○上などだ。
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