いよいよ退院の日を迎えた。
朝からせわしなく自宅に戻る準備をして、それからはいつものように窓からの景色を瞳の奥に焼き付けたくて、長い間、じっと外ばかり見ている。
愉しかった、といえば、誤解をうけそうだが、本当にいい経験をさせてもらった。
患者の立場になって考える心ある医療機関がどういったものか、ということも改めて考える機会になったし、
食事の大切さや、暮らす環境が自分に及ぼす影響とか、人とのふれあいなしには
自分は生きられないタイプなのだということも、よく実感できた10日間だった。
よく本を読んだし、いつも近くには音楽があった。
11時30分、
私は訪れた時と同じ、オレンジのブラウスを着て水玉のスカートをはいて、
ここを卒業した。
入院費用の計算をしてもらうと、最初想像していたよりは少し高めだった。
同じ病気で手術してもらった友達は、みな10万円ほどだったのに、
私は28万円も!
えっ~、それなら個室料金をあわせても20万円のはず、おかしいなあ。
「ご主人は高額所得者に類していらっしぁるのでは?」との説明だったが、うちの経済情況を考えるとどうも腑に落ちない。まあ、体も治療してもらって様々な勉強をさせてもらい、入院ライフをエンジョイできたのだから、致し方ないね。でも持ち合わせた金額がたらずに
クレジットカードで切るときは、私はまだ首をひねっていた。
迎えに来てもらった車にのって、家に戻る。
不思議だが、私はほんとうなら、西梅田に暮らしているのに、なぜこの町へ帰っていくのだろうと変な気持ちになった。家は、なんだか真新しい家のようだった。
南側のベランダに面して緑色の葉を存分に茂らせた観葉植物が、
めきめきとたくましく大きくなって、
どこもかしこも緑、緑、緑。イタリアのポリスのようなニュータウンだ。
郊外のリゾート地のようなところに住んでいるのだな、と
視線の先にある、青々とした六甲山脈の山々をリビングから眺めながら感心した。
ふとビル群に囲まれた西梅田のハイソな生活が、脳裏をゆっくりと横切っていく。
母はすっかりこの家になじんでいて、私のお昼ごはんを準備してくれ、
台所にずいぶん長くいたあとで今度は洗濯物を畳む作業に精を出していた。
そのうち慣れてくるのだろうが、ここの生活は、なんかよく知ってはいるのだけど
どこかよそよそしく、
出て行く時とは違う新しい表情をして今日の私と対面していた。