幸せの基準は、ひとそれぞれ。
だけど、
私は、私の幸せを探して生きる。
これが大事なことなのである。
こんな、シンプルで簡単なことがどうして、いつのまにか日常に混乱して、わからなくなるのだろうか。
そう、ちょっと
自分の今の置かれている状況を解き放して、俯瞰してみつめてみよう。
どういう風にするのかって?
それは、ある誰かが、今の自分のような立場にたっている人がいたとして、
私は、その人をどういう「視点」(目線)でみつめるのだろうか。
例えば、なにか頭を抱えて悔やむことがあるとするなら、
それらに対して、あなたは心から同情してあげられるのだろうか。
もし、世界中で悩み、嘆いている人がいるなら
鷲の目線にたって、
ものごとをもっともっと押し広げて考えてみてごらん。
あなたの哀しみは、神様が同情に値し、
その人の願いを、何をさしおいても聞き入れて下さるほどの真理なのかどうか…。
ほんとうに冷静になって考えたら
たぶんあなたの今の悩みなど、
たいていガタガタいうほどのことじやあ、ないことが多いのだ。
たとえば私の場合なら、
挑戦したい仕事があり
周りに愛すべき家族がいて、
素直に頑張る子供をもち、
少しの蓄えがあって、
本を読みながら
紅茶を愉しむ時間もあって、
そして自分の思うようにならない事柄を嘆いているなら、
結構なこと、いい人生じゃあないだろうか。
自分の世界をすこし、ひろい角度から広げてみる訓練をすることは、大切なことなのである。
よく心得ておかねばならない。
時間は巡る。
昨日ははや過去になるのだ。