また「2021年コロナ渦の日記」を始めようと思う。2020年も含めて遡り書き残しておく。
昨年、4月1日から始めた理由は、日々の流れが早すぎて、つい昨日、散歩の途中でみた花々が鼻の先までに匂いたち感動していたのを忘れたり、東京の交差点の真上にある2階の喫茶室で食べた苺パフェに心打たれたのに、遠い彼方に置いていってしまったりする自分を情けないと思ったからだ。
記憶がもたないばかりか日々の淘汰の中に大事なものを人は忘れてしまう。全部落としてしまい、気づかないで歩き、過ぎていく。
そして。もし、自分が死んでしまったとしたら。わたしを思い出してくれる人達が、スマートフォンに残った写真やアルバムを遡るのではなく、読んでいた本(書棚の中)や日記からだとしたら、十分にしみじみとかの人を思い起こせるものになるのではないか、などと思ったからである。
文章にしておくと。そこに時間をとじこめることができる。何年もたって、自分も年齢を経てから取り出してみることは、ある意味、とても面白いものではないかとも思ったわけだ。
わたしのコロナ禍日記は本ブログでは8月で終わってはいるが、実はその後も、ちまちまと何日か記録が残っている。新年になってしまったので、いつまでも昨年の日記を公開していては、読む人に申し訳ないと思い、途中で断ちきれ、やめてしまっていた。もうひとつ、昨年8月に万年筆を購入し、このポメラで書くよりも紙のノートに万年筆でかきつけることが多く、あらためてパソコンに入れておくことができないで、蓄積したままというのもある。文章的につまらないや、と思ったのも正直ある。
ただ今年1月、新潮社が出版している雑誌に「2020コロナ渦日記」という特集を見つけて購入した。
面白かった。日記には生活や暮らし、時の流れが閉じ込められている。やっぱり日記は読むのも書くのも、好きであるし、心の中のもやもやを整理することにもなるので、書ける日はやはり記しておこうと思い直す。
という、いいわけのタイトルから……始まります。
家人が起き出してきました。朝食をつくらなければ。
昨晩は、朝から提出1本。仕事依頼の原稿を最後まで書きあげる。風呂の中で推敲。
夕ご飯は、骨付き鶏肉とにんじん、白菜の薄味煮。ポテトサラダ。トマトとレタスのサラダ。赤ワイン一杯